迎えに来た少年
曽良くんは、真剣に私の話を最後まで聞いてくれた。私が男に殴られ気絶し……和幸くんが助け出してくれたこと。その短い間に四人もの男たちが何者かに殺されたこと。そして、和幸くん以外に、その犯人が考えられないこと。
「なるほどねぇ」と隣で曽良くんは頬杖をついた。「確かに、かっちゃんが殺したとしか考えられないね」
私は、ふうっとため息をつき、うつむいた。やっぱり、そうだよね。
「だって、そうじゃなかったら、かっちゃんがそれを調べてるはずだ。カーヤの周りにいた男たちが殺されたんだもん。カーヤのボディガードとしては、何があったのか気になるはずだ」
曽良くんは私に振り返り、真剣な表情でそう推理する。
「なのに、それをしていない。気にしている素振りすらないんだろ? 普通、カーヤに聞くはずだよ。何があったか、誰がやったか心当たりはないか、て。それをしないのは知っているからだ。誰が何をしたのか。つまり、その本人ってこと」
ぎゅっと私はまたスカートを握り締める。夕べのことを思い出した。私が和幸くんの部屋で目を覚まし、パニックになったとき。あれから、何があったの? 私がそう尋ねると、和幸くんは……
――いいから……。
まるでごまかすようにそう言って私を抱きしめた。あのときは、私を落ち着かせるために話すのを避けたのかと思った。でも、違うのかもしれない。和幸くんは全部知っていて……でも、それを私に隠したかったから……
やっぱり、和幸くんなんだ。そうなんだ。私は、和幸くんを本物の『殺し屋』にしてしまったんだ。
「というのは」という、明るい曽良くんの声が耳に入ってきたのは、私が絶望に襲われたときだった。「カインとしての意見ね」
え? 私が曽良くんの顔を見上げると、曽良くんは明るい笑顔で私を見ていた。
「ファミレス友達としての意見は……」といって、携帯を取り出し私に差し出す。
「ケータイ?」
「本人に聞きなよ」
「!」
本人に聞く? 確かに……今まで、直接和幸くんに聞いたことはない。でも、和幸くんは藤本さんにさえ何も言っていない。たとえ聞いても何も変わらないんじゃ。はぐらかされて終わるに決まっている。そんなことを考えながらいぶかしげに曽良くんの携帯を見ていると、おもむろに曽良くんが話し出した。
「残念なことに、俺たちに超能力はないから」
「え」
超能力? 急に何の話だろう? でも、曽良くんがあまりに真剣な表情だから、私は口をはさめなかった。
「相手が嘘をついているかどうか、一発で分かったら便利なんだろうけど……それは出来ない。だから、俺たちは信じるしかないと思うんだ。言葉、てやつを」
信じる……その言葉を頭で繰り返し、私は曽良くんを見つめる。
「かっちゃんがもし、殺してないって言ったら……カーヤはそれを信じて、もう悩むのはやめなよ」
「え」
「かっちゃんのこと好きなら……それくらい、やってのけなきゃ」
「!」
曽良くんの曇りのない瞳が私を見据えていた。真剣そのものだ。まるで、証明しろ、と挑発されているようにも感じた。
「かっちゃんのことは、俺が代わりに疑ってあげるから」
「私の……代わり?」
「だから安心して、カーヤは思う存分かっちゃんを信じなよ」
曽良くんは、ね、と歯をみせて微笑んだ。曽良くん……。私は、胸が苦しくなった。また、違う涙がでてきそうだ。
私は、ごくりと唾をのみ、曽良くんの携帯電話を見つめる。曽良くんの提案は、厳しくて……それでいて、きっと正しい。私にできることは、和幸くんの言葉を信じることだけなんだ。それができないなら、好きだなんて言っちゃだめなんだ。他の誰が疑っても、私だけは和幸くんを信じる。それくらいの覚悟がなきゃ、恋しちゃだめだ。
私は目をつぶった。深呼吸する。
覚悟……私に欠けていたことかもしれない。和幸くんに、好きだ、と言えなかったのも、拒絶されるのが恐かったから。逃げていたんだ。和幸くんとちゃんと向き合えてなかったのは私のほうだ。嘘ついていたのは私のほうだ。隠し事をしていたのは私のほうだ。だめなんだ。それじゃ、だめなんだ。言わなきゃだめだ。伝えなきゃだめだ。気持ちを秘めてばかりの私に、和幸くんが本音を話せるわけがなかったんだ。
「ありがとう、曽良くん」
私は、目をゆっくりと開き、曽良くんの携帯電話に手をのばした。
女は度胸。あたってくだけろ。私は、強くならなきゃだめだ。
***
これから電話をする、というカヤのため、曽良は席をたち、トイレへ向かった。こういうところは、誰よりも気が利く人だ、とカヤは曽良の背中を見送る。
曽良の携帯電話に視線をおとし、ボタンを押す。電話帳で、は行をさがすと、そこにはたくさんの「藤本」がいた。皆、カインなのだろう。カヤはその多さに驚きつつも、和幸の名前を探す。
「あ……」
これだけ「藤本」がいたら、同姓同名もいるだろう、と思ったのだが、幸運なことに藤本和幸は一人だけだ。
カヤはもう一度、深呼吸をする。そういえば、和幸に電話をするのは初めてだ。中学生のときの初恋を思い出した。電話の発信ボタン一つ押すのに何時間もかけていたな。カヤはクスッと微笑む。でも、もうそんな時間はいらない。カヤは迷わず、発信ボタンを押す。携帯を耳にあて、和幸の声を待つ。
コール音が一つ、二つ、三つ、四つ……それとともに、カヤの心臓の鼓動も早くなる。だが、でたのは和幸ではなかった。知らない女。いや、よく聞く声の女だ。
「ただいま、電話にでることができません」
女は無愛想にそう言ってきた。カヤは、ふうっと大きなため息をつく。女は、メッセージがあるなら残せ、と言う。では、お言葉に甘えて、とカヤは録音開始の発信音をまった。
ピー。女の予告どおり、耳に刺さるような音が鳴る。
「和幸くん」
その名前を口にして、急に緊張しだす。
「あのね……夕べのこと……」
そこまで言って、カヤは唐突に言葉をとめた。これは違う、と気づく。そっちじゃない。まず、自分が言わなきゃいけないことは、それじゃない。殺したのは和幸くん? お願い、教えて。それを問い詰める権利は今の自分にはない。隠し事をしている自分に……自分の気持ちに正直でない人間に、誰が心のうちを打ち明ける? まずは自分が素直にならなきゃ。自分の気持ちを、伝えるんだ。カヤはぎゅっと拳を握りしめる。
「私」と、カヤは強い口調で切り出す。「和幸くんのことが……」
そのときだった。
「カヤ」
その声に、カヤは目を見開く。
「え……」
電話をそのままにし、カヤは振り返った。やはり、空耳ではない。彼はそこに立っていた。カヤは飛び出しそうな心臓をおさえるように胸に手をあて、裏返った声で叫ぶ。
「和幸くん!?」
***
どうして? どうして、和幸くんがここにいるの?
私は、携帯電話を耳に当てたまま、和幸くんを凝視していた。帽子を深くかぶっていて、顔は見にくいけど……それでもはっきり分かる。和幸くんだ。でも、なんでここにいるの? 私服になってるから……家に一度帰ったんだろう。わざわざ、迎えに来てくれたんだろうか。私は携帯電話を耳から離す。
「今、ちょうど電話してたの」
すると、和幸くんは肩をすくめた。
「みたいだな」
「……どうして、ここにいるの?」
心臓が早い。胸が熱い。驚いたのと、緊張と……あと、嬉しい気持ちが混ざり合っている。
「一緒に来てほしいんだ」と、和幸くんは私に手を差し出した。
ドキ、と心臓がとびはねた。あ……と、曽良くんの言葉を思い出す。
――カーヤを取り返しに来ると思うんだぁ。
そうだった。曽良くん、言ってた。和幸くんに私たちの居場所を教えた、て。ここに来るよ、て言われたじゃない。でも……本当に来てくれるなんて。
私の頬は一気に紅潮する。和幸くんの手だ。私に差し出されている。思わず泣きそうになった。嬉しい。
私は和幸くんの手をとる。
「連れて行って」あのときのようにそう言って。
どこに連れて行ってくれるのか分からないけど……そこで、言うんだ。好きだ、て伝えるんだ。電話よりずっといい。留守電なんかよりずっといい。
私は携帯電話を切った。
***
和幸はマンションのエレベーターをおり、自分の部屋へと向かっていた。三階の角部屋だ。廊下のずっと奥。ポケットから鍵をだそうとひっぱりだそうとして、和幸は携帯を落としてしまった。
「げ」
渇いた音が廊下に響く。和幸はあわてて携帯を拾った。一度もおとしたことがなかったのに、とため息をつく。
「壊れてないよな」と、携帯電話を食い入るように見つめた。ふと……ディスプレイに、留守電のマークがあることに気づく。そういえば……さっき、曽良からの電話を無視したんだった。
「はあ。ガキっぽかったよな」
和幸は頭をかき、苦笑した。そして、ケット、と心の中で呼ぶ。
――なに?
高く透き通る声が頭に響く。和幸は留守電を再生し、携帯電話を耳にあてた。
「さっきは、あたって悪かったよ」
誰もいない廊下で、そんな独り言が響く。
――だいぶ、落ち着いたみたいだね。
ケットが嬉しそうにそう答えた。和幸は「メッセージは一件です」という女の声に耳を傾けながら「ああ」と頷き、部屋へと歩をすすめる。
――気にしないで。神は八つ当たりされるためにいるからね。
その言葉に、もっともだ、と和幸は苦笑する。
あそこまで頭に一気に血が上ったのは初めてだ。和幸はケットに怒鳴りつけたときの自分を思い出す。今思い返すと、あれはまるで他人のようだ。どうやら、知らないうちにプレッシャーやストレス、迷い、混乱……様々なものをためこんでいたようだ。
――世界の終焉なんて、普通の人が聞いたらショック受けるのは当然なんだ。
ふと、話しかけてもいないのに、ケットがそう言い出す。
――かずゆきが今まで、ケットたちに素直に協力してくれたことが本当はすごいことなんだよ。だから、大丈夫だよ。
声は子供そのものなのに、その言葉には重みがあった。和幸は、参ったな、と鼻で笑う。子供に諭されているようで落ち着かない。
部屋の前まで来たときになって、女の声がメッセージの日付、時間、そして相手の電話番号を伝え、やっとメッセージを再生しだした。再生まで時間がかかりすぎだ、と和幸はあきれる。あとで設定を変えようか、と思ったときだった。
「和幸くん」
おもいもよらない声が聞こえた。え、と和幸は足を止めた。それは、カヤだ。曽良のお気楽な声を待っていたのに、カヤの重苦しい言葉が飛び込んできた。和幸は面食らった。
「あのね……夕べのこと……」と、カヤは口ごもる。和幸は眉をひそめた。夕べのこと? なんだろう、と聞き入るが、その内容が語られることはなく、「私……」と急にカヤは強い口調で切り出す。「和幸くんのことが……」
和幸は、ごくりと唾をのんだ。俺のことが……? まさか、と期待を高める。なんでカヤが留守電にメッセージをいれてきたのかはよく分からない。それも、曽良の携帯電話から。カヤは携帯電話を自宅に置いたままでてきてしまった。確かに、彼女は今、自分の携帯電話を持っていない。曽良の電話を借りるのは当然だ。だが、問題はそこじゃない。てっきり、二人は付き合うことになると思っていた。カヤを抱きしめる曽良を和幸はその目で見たのだ。なのに、カヤはその曽良の電話で自分にかけてきて、意味深なことを言い始めている。曽良は平気なんだろうか? 花束まで持ってきて、相当本気のはずだ。なのに、目の前で他の男に電話させている。一体、どうなってる? と和幸は戸惑っていた。
とりあえず、続きを聞こう。ここまで耳に集中したことは、これが初めてだろう。それくらい、和幸は真剣にメッセージに耳をかたむけていた。
だが、カヤの言葉は思わぬ人物の声にさえぎられる。
「カヤ」という声が、電話の向こうでかすかに聞こえた。和幸は眉をひそめる。なんだ、この声は? 聞き覚えがある。でも、誰だ? 明らかに、曽良ではない。だが、この声を自分は知っている気がする。
そして……和幸は、想像すらしなかった名前を耳にすることになる。
「和幸くん!?」とカヤは『誰か』を呼んだ。