トーキョーの黒幕
具体的な役職名がでてきますが、実際の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。
夕方になって、カインノイエの教会に一人の青年が駆け込んできた。静かな教会にドタバタという足音が鳴り響き、青年の一つに結んだ髪が馬の尻尾のようになびく。
「藤本さん!」
青年は勢いよく、藤本の部屋の扉を開けた。藤本は、入ってきた人物に目を見開いて驚く。
「三神くん?」
それは、常にノックをしてから入る情報屋の三神だ。いつも飄々としている彼にしては珍しく、興奮している。
「どうしたんだね?」と、藤本は戸惑って尋ねると、三神は力強い足取りで藤本のデスクまで向かってきた。いつもならば、我が物顔で早々とソファに座るのに。
「尻尾をだしましたよ!」
三神は、藤本のデスクに両手をばん、と置くとギラギラと目を輝かせてそう言った。藤本は一瞬、あっけにとられた。尻尾?
「何の話だね?」
「あなたがずっと探していた……黒幕です」
藤本は、ハッとした。黒幕。それは、カインノイエが目指す最終目標。トーキョーの人身売買を牛耳っているといわれる人物。藤本は思わず立ちあがった。この歳でここまで興奮しては、心臓発作になりかねない。それくらい、心臓が高鳴っていた。
「誰だ、誰なんだね!?」
「落ち着いてください。といっても、僕も興奮していますが」
三神は右手を藤本に掲げて、不敵に笑った。藤本は、ごくりと唾をのみ、深呼吸をしてイスにまた腰をおろした。
「話してくれ」
「少し、長くなりますけど、いきますよ」
三神は、ひとつ深呼吸をすると、デスクの前を短く右往左往しながら語りだした。
「藤本さんからの依頼をうけて、僕は神崎の事件を調べたんです。神崎昭三、舞夫婦の殺害事件ですね」
藤本は、デスクの上で手を組みながらうなずく。相変わらず、心臓の鼓動が早い。黒幕さえ分かれば、人身売買を止める方法が分かるかもしれない。これは希望だ。どこのどいつかは分からないが、三神に頼めばその居場所もすぐあばける。それが効果的ならば、藤本は自らの手をその人物の血で染めても構わない。そう覚悟していた。それで人身売買の終焉が目に見えるものになるなら。
「そしたら、奇妙なことが分かったんです」
「奇妙?」
「ええ。心中自殺、になっているんですよ」
藤本は顔をしかめた。どういうことだ? 自殺? 和幸は殺された、と言っていたはずだ。
「すまない。わたしは和幸の報告だけで、しっかり調べたわけではなかった」
間違った情報で三神に仕事を依頼したのなら、こちらのミスだ。藤本は、和幸が間違えるとは思えないが、と思いながらもとりあえず謝罪した。すると、三神はあわてた様子で右往左往していた足を止め、藤本に両手を出した。
「いえいえ。藤本さんは間違っていません。昨日まで、殺害事件だったんですから」
「なに?」
「だから、奇妙だ、と言ったんです。情報源によると、今朝になって、急に心中自殺に変えられたようなんです」
情報源とは、三神がもつ巨大な人間のネットワークだ。三神にとって、インターネットよりも正確で信頼できる情報のネットワーク。三神は、各方面に多くの情報源をもっている。いわば、スパイ、といえる彼の仲間だ。彼らとはどういう経緯で、どういう関係で知り合い、それが誰だかは三神は死んでも誰にも話さないだろう。
「変えられた? 自殺の証拠がでてきた、ということではないのか?」
「そういうことにはなってます。書類上ではね。遺書が見つかった、と」
「それでは、何も問題ないだろう。神崎は自殺した。遺書があるなら、それでいいんじゃないのか?」
果たして、この話が黒幕と一体どういう関係があるのか。藤本には皆目見当がつかない。もしや、神崎こそ黒幕で、人身売買の黒幕だった、なんて遺書に書かれていたというのか。
しかし、三神は顔を横にふる。
「その遺書ですが……確かに、紙の上では存在しています」と、三神は人差し指を立てた。「しかし……実際には存在していない」
「!」
つまり、でっちあげだというのか。藤本の頭は混乱した。一体、誰が何のためにそんなことをする? そして……どうやって、そんなことが出来たというのか。
「妙だったそうですよ。夕べまで殺人事件として捜査が進んでいたのに、今朝、急に自殺に変わり捜査が打ち切りになったそうです。ただ、興味深いのは……肝心のその遺書は誰も見ていない、ということ。まるで……」
三神は、真剣な顔で藤本を睨むように見つめる。
「まるで、事件を誰かにもみ消されたようだ。そう僕の情報源が言っていました。さらに、神崎夫婦の遺体の第一発見者の田中という女性も行方不明。夕べ、神崎の自宅を捜査していた警官四人は銃の暴発で死亡したそうです」
藤本はハッとする。自宅を捜査していた四人の警官。それは確か、和幸が殺したのでは、とカヤが心配していた件ではないだろうか。そうか、銃の暴発だったのか。藤本はそう納得しようと思ったが……その一方で、どこか無理があるように思えて仕方がなかった。銃の暴発で四人もどうやって死ぬというのか。さらに、銃の暴発で死亡したなら、遺体の状況を見て和幸は分かるはずだ。なのに、和幸はそのことは何も言わなかった。何かがおかしい。
「もみ消された……か」と、藤本は難しい顔でつぶやく。
「『なぜ?』なんていわないでくださいよ」
早い三神の返しに、藤本は面食らった。
「藤本さんは、僕の情報を信用してくれていますよね」
いつものへらへらとした口元はどこかへいっている。三神は真剣そのものの表情でそう尋ねた。藤本は戸惑いつつもうなずく。
「もちろんだ」
君のことは気に入らないが、君の情報は頼りにしている。そう、藤本は心の中で付け加える。
「それなら分かるはずです。神崎昭三は、トーキョーの黒幕に近い存在だった。僕は、黒幕ではないか、とさえ思っていました。そんな彼が死に、誰かが、その捜査の邪魔をした。誰かが、神崎昭三を警察が調べるのを嫌ったんです。
それも、雑な方法です。遺書を偽造することもせず、ないものをさも存在するかのように捏造し、無理やり殺人事件を葬った。よほど焦っていたんでしょう。それほど、神崎昭三を調べられるのは、その人物にとっては危ないことだった。なぜ?」
藤本は黙りこくった。三神の言いたいことが分かっていくうちに、緊張と興奮、そして憎悪が入り混じった複雑な感情が心の中を渦巻いていく。
「神崎昭三は人身売買に関わっていました。殺人事件となれば、彼自身のことも調べられてしまう。犯人を見つけるためにね。彼が調べられれば、何かしらの人身売買の証拠もでるでしょう。人身売買は、あくまで裏のビジネス。表の番人である警察に正式に それが見つかっては、大打撃だ。警察も全員が腐っているわけではないですからね。人身売買が裏で行われている、と知って正義感をふるいたたせ、捜査を始める者もでてくるでしょう。誰かには、それは許せないことだった」
藤本はここにきて、やっと口を開く。それまで貝のようにぐっと閉じていた、かわいた唇が動く。
「それに……神崎昭三をたどって、その誰かの名前が浮上する可能性もある。神崎昭三が調べられれば、自分まで巻き添えをくう。そういうことだな」
三神は、満足そうにうなずいた。
藤本は理解した。それなら、四人の警官の件も納得できる。おそらく、銃の暴発もでたらめだろう。屋敷内で起きた事件である以上、殺された、となると屋敷に捜査がはいる。暴発なら事故。神崎の死との関連を疑われることもないし、神崎や屋敷が詳しく調べられることはないはずだ。そう考えたのだろう。もちろん、藤本には、実際に四人の身に何が起こったか知る由もない。和幸が『殺されていた』と言う以上、藤本はそれを信じるだけだ。四人の警官は何者かに殺された。そして、その事件も銃の暴発として処理された。今は、それだけ分かれば充分だ。
藤本は、大きく息を吸う。核心は目の前だ。
「つまり……」と、藤本は爆発しそうな心臓を落ち着かせながら、かみしめるように言う。「その人物こそ、トーキョーの黒幕」
すると、三神は、まあ待って、と咳払いをした。
「それだけでは、まだ可能性の域をでません」
「なに?」
あんなに熱っぽく語っていたと言うのに、ここに来てなぜ弱気になるのだ、と藤本は呆れた。だが、三神は情報屋だ。こんな推理に近い憶測を情報として渡すわけにはいかない。ちゃんとした証拠がないものは情報とはいえない。それは、トーキョーに三神あり、といわれるほどの情報屋であるプライドだ。
「僕は、その人物を割り出しました」
いきなり言われて藤本は目を見開いた。いつももったいぶってなかなか核心をつかない三神には珍しく、潔い発言だ。だが、あまりに急だ。藤本は顔をしかめた。
「割り出した? どうやって?」
「それは後で話します。その前に、僕は断言します」
「断言?」
「彼こそ、黒幕です」
「さっきと言っていることが違うだろう」
興奮する藤本に、三神はまた右手を出して制す。
「その男の隠し口座を見つけたんです」
「隠し口座?」
「ええ。不思議なことに、大金がその口座に流れています。それも、どうもよからぬ人たちから……」
よからぬ人たち……それは、つまり裏で活動する人間たちのことだろう。藤本は、この青年を少しおそろしく感じた。この短時間で、隠し口座を調べ上げ、さらに金の流れまで暴き出したのだ。一体、彼の情報網はどれほど巨大なのだろうか。
「なるほど。そのよからぬ人たちだが……具体的に誰だか、調べはつくか?」
言われて情報屋は、にやりと笑む。やっといつもの三神らしい表情が戻った。藤本は、不覚にもホッとしてしまった。いつもは、あの不敵な笑みが気に食わないというのに。
「依頼していただければ、いくらでも」
つまり、金を払えば、ということだった。藤本は、鼻で笑ってうなずいた。三神も慈善事業で藤本に情報を渡しているわけではないのだ。人身売買についてはよく思っていないようだが、情報を売るのが彼の生業。生きるための情報提供だ。
「それで」と、藤本ははやる気持ちをおさえつつ尋ねる。「黒幕は誰だね?」
三神は、また真剣な表情に戻った。
「一晩で、殺人事件を自殺に変える。一般人ができるわけはありません」
それはそうだ、と藤本は眉をひそめる。
「一警察官にできることでもない。つまり、もっと上からの圧力がかっている」
「上だと?」
藤本は驚愕した。思わず、イスから立ち上がって叫んでいた。
「それじゃ、君は……黒幕が警察の中にいる、というのか? それも、上層部に?」
三神は、申し訳なさそうな表情で力なく首を横に振る。
「もっと、上です」
「なに?」
「ある人物が、夕べからせわしなく警察の上層部に連絡をとっていたという話を聞きました。どういう会話がなされたのかは、僕でも調べられなかった。それほどの、危険な会話がなされた、と理解してください」
藤本の喉がからからに渇いている。それは単に身体的な渇きではない。真実への渇きだ。何十年も、人身売買と戦ってきた。その黒幕がやっと明らかになる。藤本の手に自然と力がはいる。
「それで、僕はその人物が怪しい、と調べ上げたんです」
「それで、誰なんだ?」
三神は一度目をつぶり、ゆっくりと目を開く。そして、低い声でその名を言った。
「国家公安委員会委員長、本間秀実です」
「なんだと!?」
藤本は目を見開いた。
国家公安委員会。それは、内閣府におかれる外局で、警察庁を管理する機関だ。六人で構成される委員会の中で、唯一、委員長は国務大臣。
「そんな馬鹿な……」と、胸をおさえ、藤本は倒れるようにイスに座った。「そんなわけがない」
思ってもいないことだった。藤本は、絶望感におそわれる。
「何かの間違いだ」
藤本は首を横に振り、震える声でつぶやいた。三神は、それを冷たい視線で見つめている。
「僕もそう願いたいですが……彼を調べれば調べるほど、彼が黒幕だと思えて仕方ないんです。神崎との関係もはっきり分かりました。大学の先輩後輩です」
「だめだ」
藤本の心臓が、異常なリズムをうちはじめている。藤本の額には、汗がふつふつと湧き上がる。
「だめってなんですか?」
「もう手遅れだ」
手遅れ? 三神は、眉をひそめた。せっかく、黒幕の正体が分かったというのに、なぜ手遅れなのだろうか?
「三神くん」と、藤本が喉に何かがつまったような声をだす。「この件からは手をひけ。公安委員長をこれ以上調べる必要はない」
「え?」
ついさっき、金の流れを調べろ、と依頼したはずではないか。三神は身を乗り出し、デスクに手を置いた。
「どういうことです?」
「分からないのか!?」
藤本は、息をあらくし、苦しそうな表情で三神を睨んだ。
「わたしにはもうできることはない!」
「ここまで来て何を言っているんです? これから、でしょう」
「今までとはもう違う。相手は国の大臣だ! 国民に選ばれた人間だ」
「だからなんですか?」
「人身売買はもう国の行いだ。わたしには止められない」
「はい?」
ううっとうめき、藤本は胸をぐっとつかんだ。三神には、藤本の言っていることはさっぱり分からない。だが、それよりも藤本の異常な様子が気になった。
「大丈夫ですか、藤本さん? 水、飲みます?」
「もう何もできない」
「藤本さん?」
藤本はイスの上で体をかがめながら、搾り出すように言葉をだす。
「子供たちには言わないでくれ」
「はい?」
「子供たちには……黒幕のことは、言わないでくれ」
三神には到底理解できない。せっかく、黒幕がわかったというのに、自分に口止めをしている。大臣だから一体なんなのだ? 何が変わるというのだ? 人身売買を牛耳っているのに変わりはない。
「あの子たちが知れば、大臣を殺すだろう」
藤本は、今まで経験したことのない心臓の痛みに耐えながら、最後の力をふりしぼるように三神に伝える。
「それだけは、だめだ。そんなことをしても、もう何も変わらないのだから。
腐敗しているのは警察だと思っていた……」
「藤本さん!?」
三神は、声が小さくなっていく藤本にかけよる。額の汗がひどい。目も焦点があっていない。
「もっと上……国全てが……狂っていた……」
その言葉をのこし、藤本は意識を失い、三神に倒れこむようにイスからおちた。三神は、血相を変えて藤本を揺り動かす。
「藤本さん!? 藤本さん!?」
それから二十分後、救急車が到着し、藤本は病院へ搬送された。
*外局とは、特殊な任務を担い、ある程度独立した機関。
実際の国家公安委員会に、事件をもみけしたり、といった力はありません(と思います)。委員会は、国の安全を守るために何がベストかを一生懸命に考えてくださっている方々です! フィクションとはいえ、申し訳ないですが、ご了承ください。