訪問者 -下-
自殺? 本間のおじさまはそう言っただろうか。
「自殺って……」
「おや、知らないのか?」
本間のおじさまは顔をしかめた。私は、力なく首を横に振る。
「私は、殺された、と聞きました」
そう。夕べ、警官は「殺された」と私にはっきり言った。聞き間違うはずがない。それに、自殺なんて……両親がするはずがない。
「殺された? 誰に聞いたんだね?」と、本間のおじさまが、するどい目つきで身を乗り出す。すごい真剣だ。そりゃ、そうだよね。本間のおじさまにとって、父は親友だった。殺された、となるとまた別問題だもの。私はぎゅっとスカートを握り締め、本間のおじさまを見つめ返す。
「警察の人です」
「警察? いつだね?」
「夕べです」
「家に帰ったのかね、夕べ?」
本間のおじさまが目を見開いた。なんだか、尋問みたいだ。私は居心地が悪かった。
「……はい」
「そして、警官に会った?」
「捜査中、だったみたいです」
捜査、か。自分で言ってて嫌になる。あんなの、捜査じゃないのに。
「それで……どうしたんだね?」
「それから……」と、そこまで言ってハッとした。
だめ。言っちゃダメだよ。
私の頭に、和幸くんの笑顔が浮かぶ。そして……私の手にこびりついていた血。
――和幸は、『男たちを殺した』とはわたしには言いませんでした。わたしにいえるのは、それだけです。
藤本さんの声が頭に響く。あのあと……警官は殺されたんだ。調べようと思えば、すぐに分かること。父の書斎に警官の遺体が四つあるはずだもの。失敗した。おじさまに、家で警官に会った、なんて言うんじゃなかった。万が一……万が一、和幸くんが調べられることになってしまったら……。ごまかさなきゃ。私は、あの警官の死と無関係。彼らが殺されたことも知らない。そういうことにしなきゃ。
「それから」と私はごくりと唾をのんだ。おじさまを騙すなんて……気がひけるけど……「それから、すぐ帰りました」
本間のおじさまが、眉をひそめた。
「帰った?」
「はい。ショックだったので、すぐ友人の家に……」
しばらく、本間のおじさまが私を睨むように見つめた。まるで、嘘を見極めるかのように……。
「おじさま?」と、私は微笑する。おじさまは頭のいい人。ちょっとでも不審だと思えば、あの手この手で夕べの真相を調べ上げてしまうだろう。そんなこと、させるわけにはいかない。和幸くんは私を守ってくれた。今度は、私の番だ。
「そうか」
本間のおじさまは、ふうっとため息をついて、ソファに深く座りなおした。よかった。張り詰めた空気が消えた。信じてくれたみたいだ。
「とにかく、カヤちゃんが無事でよかったよ」と、おじさまは微笑む。「いや、昭三と舞さんの悲報を聞いたとき、娘さんは行方不明だ、と言うじゃないか」
私はハッとした。そうか……一昨日の夜、私は家を飛び出してしまったから、私は消息不明になっていたんだ。
「遺体は見つからない、というから……すがる思いで高校に電話をいれたんだよ。そしたら、学校に来ているというから、飛んできたんだ」
私は苦笑いを浮かべた。すごい違和感ある状況よね。両親が死んで行方不明の娘が、元気に学校には来ているなんて。何か筋の通る言い訳を考えなきゃ。
「一体、どうなっているんだね?」
また、おじさまがするどい視線を向けてきた。
おじさまがどんな仕事をされているのか、私は実は知らない。父から聞いたことはなかったし、私と話していると仕事が忘れられる、とおじさまが嬉しそうに言っていたからだ。聞かないほうがいいんだろうな、と幼心に思ったのを覚えている。それに、聞く必要もないと思っていた。でも、今は……興味がある。このおじさまの貫禄……少なくとも、ただの会社員ではない。
「実は……」と、私はとっさに言い訳を考える。「両親とケンカしたんです」
「ケンカ?」
私はうなずく。
「一昨日の夜、ケンカして……それで、家を飛び出したんです」
「カヤちゃんが家出か」
それは、嘘ではない。私は口元だけ微笑をうかべた。
「それから、一体どこにいたんだね? ホテルかい?」
「いえ、友人の家に泊まっていました」
「友人の家」と、おじさまは腕を組んだ。
「それで、夕べ、仲直りしようと思って家に帰ったんです。そしたら、警察の方がいて……両親が殺された、と。驚いてすぐに家をまた飛び出して、友人の家に帰ったんです」
「そうか……」
おじさまは、固い表情を浮かべて視線をおとした。納得……してくれたかな。私はじっとおじさまの様子を伺う。
しばらくして、おじさまは何度かうなずいた。
「大変だっただろう」
その言葉に、一気に緊張がほぐれた。よかった。納得してくれた。
「どうだね」と、おじさまはまた身を乗り出した。「今後のお葬式やその他の整理、一切をおじさんに任せてくれないか?」
いきなりの申し出に私はぎょっとした。全然考えてなかった。お葬式とか、お墓のこととか……いろいろ考えなきゃいけないんだ。急に、寂しくなってうつむいた。
「それはさすがに申し訳ないです」
「いやいや、カヤちゃん。ぜひ、やらせてほしい。急に両親を亡くしたんだ。君にそんなことをさせたくはない」
でも、それこそ、今までの恩を両親に仇で返すようなものだ。お葬式も全て、他人に任せるなんて……
「実はね」と、おじさまが声を低くして切り出す。「昭三に言われていたんだよ。自分にもしものことがあったときは、本間さんに全て頼みたい、と」
父が、そんなことを? 私は聞いたこと無い……
「今思えば……あのときから、自殺を覚悟していたのかな」
遠い目でおじさまはそう小さく言った。
自殺……私はやはり腑に落ちなかった。夕べまで、殺されたと思っていた。警官もそう言った。なのに、急に自殺? 両親が? そんなわけない。悩んでるように見えなかったし……それに、変な男に私を売ろうとしていたんだ(理由はまだ分からないけど)。そんな大事なときに自殺なんてするだろうか。でも、おじさまはこう言っているし……どれが本当なの?
「どうだい、カヤちゃん。おじさんの頼みを聞いてくれるか? 友人との約束を守りたいんだ」
「……」
そういわれてしまうと……私は、小さくうなずいた。
「お願いします」
父がそれを望んでいたのなら、そうするべきだろう。でも、なんだろう、この違和感。何かがおかしい気がしてならない。
***
「それと、もう一つ……」と、本間が真面目な表情で切り出したのは、帰りがけだった。
本間と並んで校長室の扉の前に立ち、カヤは首をかしげる。丁度、本間のためにドアを開けようと手をのばしたところだった。
「本間に来ないかね?」
カヤには一瞬、意味が分からなかった。ドアノブに伸ばした手を戻し、困惑した表情で本間を見上げる。
「はい?」
「うちに養女にこないか、と言っているんだ」
「……!」
カヤは目を泳がせた。本間の家に養女に入る? あまりに突然の申し出だ。まさか、本間がそんなことを言い出すとは思ってもいなかった。返す言葉が見つからない。
だが、すぐに断る気も起きない。確かに、現実的な話だからだ。両親が亡くなった今、カヤに身よりはない。今は和幸の部屋に泊めてもらっているが、ずっと、というのはさすがに悪い。藤本にお金を借りることになるだろうし。そう考えれば、幼いころから知っている本間の家に養女に入るほうが気が楽だ。だが……やはり、突然すぎる。自分はまだ両親の死も受け入れきれていないというのに。
「あの、おじさま……」と、カヤはうつむいた。
「いや、今すぐに返事が欲しいわけではないよ」と、本間はすぐに微笑んで付け加えた。「ただ、考えておいてほしいんだ」
そう言って、本間はカヤの肩に手をおく。カヤは、そう言ってもらえてホッと安堵した。そう、断りたいわけではない。ただ、今はまだ早すぎるだけだ。
「ありがとうございます、おじさま」
「あ、そうだ。おじさんと一つ約束してほしいんだ」
本間は、急にそう言ってカヤの前に人差し指を立てた。
「はい?」
「いいかい。何かあったら、一番におじさんに教えて欲しい。困ったことや気になること……それから、昭三や舞さんの死に思い当たること。なんでもいい。何かあったら、おじさんに電話するんだよ」
本間の顔は真剣だった。自分を気遣っての言葉なのだろうだが……カヤは素直に「ありがとう」と言えなかった。あまりに鋭いまなざし。低い声。なぜか、脅されているような気がして仕方がない。
「分かりました、おじさま」と、カヤは無理して微笑んだ。
「そうだ、おじさんの名刺をやろう。電話番号もメールもかいてあるからね」
本間は思い出したように胸ポケットをさぐりだす。
「どこにやったかな」と探しながら、本間はカヤにこう尋ねた。「文化祭がちかいんだって?」
カヤはその言葉に、自慢げに微笑む。
「あと三週間くらいです」
「校長先生から聞いたが、劇にでるんだって?」
今日の様子は少し変だったが、本間はカヤにとって叔父のような存在。いわば、たった一人の身寄りだ。カヤは目を輝かせて、本間の腕をつかんだ。
「そうだ、おじさま。ぜひ、観に来てください」
「劇をか? カヤちゃん、主役なんだろうね」
「ヒロインです」と、カヤは恥ずかしそうに笑った。
「あ、あった、あった」と、本間は名刺をとりだす。「それで、何の劇の誰役だね? ジュリエットか?」
カヤは、すうっと息を吸うと、小声で答える。
「『無垢な殺し屋』、カインの劇」
「――カイン?」
「私は、悪い人に売られた女の子の役で、カインに助けてもらうんです」
「!」
その瞬間、本間の表情が凍った。名刺を渡す手も中途半端な位置で止まっている。カヤは、本間の異様な変化に恐怖さえ覚えて、心配そうに顔を覗き込んだ。
「おじさま?」と、恐る恐る呼びかける。
「いや、すまない」
本間は我に返ったようにまた動き出した。だが、名刺を渡す手だけは止まったままだ。カヤはそれに自分から手をのばしたほうがいいのか、判断しかねていた。
「カイン、とは……意外というか」
本間は不自然に笑った。あら、とカヤは目を丸くする。
「おじさま、カインをご存知なのですか?」
「え?」
「おじさまって真面目な印象があったので……そういう都市伝説みたいな話は聞いたことないだろうな、と思っていました」
カヤも、カインが実在する、とアンリから聞かされるまではカインの存在を信じてはいなかった。カインの噂は何度も聞いたことはあったが、誰かが面白半分ででっちあげた作り話だ、と思っていたのだ。そんな噂を、大人が相手にしているとは思えなかった。まして、本間のような真面目な人間はそんなものを聞く機会すらないだろう。だが、本間の様子からして、どうやらカインが何かを知っている。意外というか不思議だった。
「ここまで歳をとると、たくさんの人からいろいろな話を聞くものだよ」
本間は、カヤの疑問をふきとばすかのように、屈託のない笑顔を浮かべた。
「とても興味深い。是非、劇には伺わせてもらうよ」
「お待ちしてますね、おじさま」
「未来の娘の晴れ舞台かもしれないからね」
その言葉に、カヤはどう答えればいいのか分からなかった。未来の娘……そうなるかもしれない。だが、今は想像もつかない。カヤは笑顔を消し、うつむいた。一体、自分はこれからどうなるのだろうか。急にそんな漠然とした不安が襲ってきたのだ。
「どれ、わたしはもういかないと」
そんな声がして、カヤはハッとする。顔をあげると、本間が名刺を胸ポケットにもどすところだった。カヤは首をかしげる。自分に渡すために取り出したはずだ。
「おじさま、その名刺……」
「あ、そうだったね。うっかりしていた」
本間は苦笑いをうかべて、名刺をカヤに渡した。「ありがとうございます」とカヤは言って名刺を受け取る。いつもしっかりしている本間が、こんなおっちょこちょいなミスをするなんて……。本間も、物忘れする歳になったということか? カヤは首をかしげながら、本間を見上げた。
「それじゃ、また。多分……劇のときに」
ドアノブに手をかけた本間は、何事もなかったかのように落ち着いていた。
「はい。お気をつけて」
カヤは気になりつつもそう言って、校長室から出て行く本間を見送った。パタン、と扉が閉められカヤが一人残される。
「今日のおじさま、何か変だったな」
ぽつりとそうつぶやき、カヤはおもむろに名刺に視線を落とした。そして……
「え!?」
カヤは校長室に響き渡る大声を出した。そこには、信じられない肩書きがのっていた。カヤは思わず口に手を当て、何度も見直す。
「うそ……おじさまが?」
ここにきてやっと、なぜ野村があんなに浮き足立っていたのかが分かった。そして、校長のあの丁寧な態度も今なら納得できる。だが、納得できないのは……どうして今まで自分はこれを知らずにいられたのか。
カヤは呆然として、未来の養父になるかもしれない男を思い浮かべた。