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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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訪問者 -上-

「失礼します」


 カヤが職員室の扉を開けると、担任の野村が一番奥の席であわてて腰をあげた。野村は、ブルドッグと陰で呼ばれている社会科教師だ。三十代後半で、既婚。ゴルフ焼けの顔に、おたふくのようにふくらんだ頬。髪は真ん中わけでサラサラとしている。将来はげることはなさそうだ。目はつぶらでかわいいのだが、全体的に顔のバランスが悪い。


「神崎、神崎」


 野村ははねるように、カヤのもとへはしってきた。


「野村先生、あぶないですよ」と、年配の化学教師が小言のようにつぶやくのが聞こえる。


「どうしたんですか、野村先生?」


 カヤは、若干身を引きながらそう尋ねた。野村は、いやいやいや、と興奮している様子でカヤの腕をひく。向かっている先は、どうやら校長室のほうだ。

 カヤの頭に、過去の出来事がフラッシュバックする。職員室に呼ばれ、校長室に連れて行かれる。カヤにとってはお決まりのコースだ。まさか……と、嫌な予感がした。また、学校を追い出されるのでは?


「野村先生、待ってください!」


 カヤは、急に足をとめ、野村の腕をはらった。周りの教員が、取り乱した少女の声に驚いて振り返る。


「今回は嫌です。無理です!」

「え? なんのことだ、神崎?」


 野村は驚いて顔をしかめた。カヤは優等生で、野村も気に入っていた。声をはりあげるような生徒ではない。一体、何事だ。


「小倉くんの件ですよね? ご迷惑をおかけして、ごめんなさい。でも、私は、本当に何も知らないんです!」

「小倉?」


***


 そうだ。そういえば、小倉くんが大怪我をしたんだった。私の頭に、足を包帯でぐるぐるに巻いて劇の練習に現れた小倉くんの姿が浮かんだ。


――お前には、二度とかかわらねえ!


 小倉くんの憎しみに満ちた声が蘇る。あのあと、先生に何か言われることもなかったから、あれで終わったのだと思っていた。いつも、こういう羽目になる。私に近づいた誰かがケガして、私は校長先生に呼ばれ、こういわれるのだ。


「他にいい学校がありますよ」


 遠まわしに、転校してくれ、ということだった。

 でも、まさかこんなにいきなり呼び出されるなんて……いつもだったら、もっと学校中に噂され、学校がごまかせなくなってから、『交渉』される。今回の場合、小倉くんの件は噂になっていない。小倉くんと私はそこまで仲良くなかったし、小倉くんのケガと私を関連付ける人もいなかったんだろう。てことは、別の人? 私が知らないだけで、誰かがケガをした? 私の『ストーカー』によって。

 あれ? ちょっとまって。そういえば……和幸くんはどうして何ともないの? 和幸くんは私といつも一緒にいる。私は和幸くんの部屋に泊まってまでいる。なのに、和幸くんは一度も、『ストーカー』のことを口にしたことはない。小倉くんの次に襲われるなら、和幸くんのはずなのに。そもそも、私と和幸くんが仲良くなったきっかけは、『ストーカー』を捕まえるためのおとり捜査。なのに、『ストーカー』が現れない……。どうなってるの? もしかして、もう『ストーカー』はいなくなったんじゃ?


「そうだ!」


 私は胸が高鳴り、思わずそう叫んでいた。野村先生はぎょっとしている。構わない。だって……


「もう、ストーカーはいませんから、大丈夫です」

「……は?」


 そうよ。『ストーカー』はもう諦めたんだ。それが一番しっくりくる理由だもの。校長先生には、事情をちゃんと説明して……和幸くんにも証言してもらって、それを訴えよう。今後はこういうことは二度と起こらないから、て説得するんだ。そしたら、この学校を追い出されることはなくなるはず。

 だって……絶対、嫌だもん。私は、この学校にいたい。和幸くんのそばにいたい。


「だから、転校だけは許してください」


***


 うるんだ瞳でカヤにじっと見つめられ、野村は自分の胸がときめているのに気づいた。だが、自分は既婚で教師だ。相手は二十も下の女子高生。何を考えている、と野村は咳払いをする。何より、他の教師に誤解を生むようなことがあってはいけない。


「何言ってるんだ、神崎。転校するのか、お前は?」

「はい?」


 カヤはきょとんとした。転校以外に何の話だ。そして、重大なことに気がつく。そうだ。『ストーカー』以上の問題を自分は今抱えているんだ。カヤは視線を落とした。


「両親のこと、ですか……」


 今度は急に落ち込んだカヤに、野村は困惑した。さっきはいきなり目を輝かせて懇願するように見つめてくるし、今度は泣きそうな表情でうつむいている。優等生に限って問題があるものだし……と、野村は不安になった。


「ご両親に何かあったのか、神崎?」と、野村は気をつかって小声で尋ねた。他の教師は興味なさそうにテストの採点やらプリント作成やらをしているが……聞き耳をたてているのは明らかだ。


「え? 両親のことでも、ないんですか?」


 『ストーカー』でも、両親のことでもない。カヤにはさっぱり分からない。それなら、なぜ呼び出されたのだ?


「お前にお客さんが来てるんだよ」


 野村はちらりと校長室に目をやって、早口でそう告げた。お客さん? カヤは顔をしかめた。自分に誰が学校にまで尋ねてくると言うのだ? それに、野村の様子が尋常ではない。浮き足立っているような……


「とにかく、早く校長室へ」


***


 校長室に入ると、校長先生が私に微笑みかけた。五十代くらいのきっちりとした女性の校長だ。ぴったりとしたシックなスーツが、スタイルの良さを強調している。ヨガでもやっているのかな? シルエットだったら二十代に間違えられそう。ショートヘアに薄い化粧でクールな印象。顔立ちも上品だし、きっとお嬢様育ちなんだろうな。


「神崎です」と、私は会釈する。

「知っていますよ。さて、私は席をはずしますね」


 校長先生はゆっくりとイスから腰をあげる。

 校長先生が席をはずす? わざわざ、どうして? 私が不思議に思っていると、「すみませんね」という聞き覚えのある(・・・・・・・)声がした。


「え!?」


 私はハッとして横を見た。そこには、ひょっこりと薄い黒髪の頭がソファの背もたれからはみでている。まさか……お客さんって……


「失礼しますね」と、校長先生がその頭に向かってお辞儀をした。すると、ソファに座っていた男性がおもむろに立ち上がり、校長先生にピシッとお辞儀を返す。

 私はその後姿に、ハッとした。やっぱり、そうだ。あの人は……


「それでは」


 校長先生が私の横を通り過ぎ、扉をパタン、と閉めた。すると、『お客さん』はくるりとこちらに振り返る。


「やあ、カヤちゃん」

本間(ほんま)のおじさま!」


***


 カヤは、本間に嬉しそうに駆け寄った。

 男の名前は、本間秀実(ほんまひでみ)。薄い黒髪に、ふちなしの眼鏡。黒いスーツに、紫のネクタイ。四角い輪郭。芋虫のような濃い眉毛と小さな目。六十半ばのこの男は、どこか厳しさのある顔に、笑みを浮かべてカヤを見つめた。


「久しぶりだね」

「お元気そうで」

「ま、座りなさい」と、本間は腰をおろしながら、目の前のソファにカヤを促した。


 カヤは久々の再会に心をおどらせながら、ソファに座る。本間はカヤの父の古い友人で、カヤが幼いときから家によく遊びに来ていた。父親と本間との詳しい関係は知らないが、博識で礼儀正しいこの男をカヤは尊敬していた。親戚付き合いのなかった神崎家に育ったカヤにとって、本間は叔父のような存在だ。


「どうされたんですか? おじさまが私を学校に訪ねてこられるなんて。驚きました」

「心配していたんだよ」と、本間は眉間にしわをよせて低い声で言う。

「はい?」

「わたしも時間がないから……さっそく、本題に入らせてもらう」


 カヤは本間の真剣なまなざしに、緊張して背筋を伸ばした。


昭三(しょうぞう)と舞さんのこと……聞いたよ」


 カヤの心臓がどくん、と鳴った。昭三と舞。それは、カヤの両親だ。本間は苦渋の表情を浮かべてため息をついた。

 カヤはごくりと唾をのむ。遺体を見ていないことが大きかったのだろう、カヤには信じられないでいたのだ。両親が殺されたなど……何かの間違いだ。そう思えて仕方が無かった。だが、こうして本間の口から聞くことで、とうとう両親の死が現実味をおびてしまった。

 カヤはうつむいた。言葉がでない。

 そんなカヤをよそに、「どうして、自殺なんて……」と、本間はつぶやいた。


「え?」


 カヤはその言葉に、目を見開く。


「自殺?」

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