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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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スラムの聖女

 朝の七時半。藤本は教会の鍵を開け、扉を全開にした。鳥のさえずりが教会に響き、朝日が光線となってふりそそぐ。藤本は、朝日を全身であび、ゆっくりと深呼吸をする。カインノイエをはじめてから、藤本は朝型の生活をするようになった。『子供』たちが学校前にいつ訪れてもいいように、朝早く教会を開けなくてはならないからだ。藤本の自宅はここから徒歩十分ほどのマンション。何かあれば、『子供』たちは藤本の家にかけこめるのだが、この教会を『カインの家(カインノイエ)』と名づけた以上、『子供』たちが好きなときに出入りできる場所にしたかった。だから、夜遅く閉め、朝早く開ける。藤本は、風呂と寝るためだけに自宅に帰っているようなものだ。もはや、『カインの家(カインノイエ)』ではなく、『藤本の家』にちかい。

 藤本は、日課である朝の掃き掃除を始めた。昨日、和幸が丁寧に拭き掃除までしてくれたので、ほこりがほんの少しある程度だ。五分もせずにきりやめた。できのいい息子をもつと、つまらないものだ、と藤本は微笑む。


「藤本さん」


 ほうきを片付けようとしたときだった。落ち着いた女性の声が教会に響く。誰かはすぐ分かった。藤本は、ほうきをその場に置き、女性に目をやる。開け放たれた扉の前にたつ女性を、朝日が逆光となり照らしている。女性は一歩、二歩、教会にはいってくる。修道服を纏った三十代半ばほどの女性。やせて骨ばった顔。とんがった顎。薄い眉。目は少したれている。決して美人とはいえないが、全身から母性が滲み出ている。保育士にでもなれば、園児にモテモテになるだろう。彼女は右にえくぼをつくって微笑んだ。


「おはようございます」


 その佇まいは凛として、貴婦人を思い起こさせる。藤本は、頬をゆるめ、足早に女性に歩み寄る。


「これはこれは。シスター・マリア。おはようございます」


 藤本はシスターに頭を下げる。それを見て、シスターは満足そうに微笑んだ。


「朝早くに申し訳ありません」

「いえいえ。さ、どうぞ、中へ」


 そう言って、藤本はシスターを中へと促す。シスターはぺこりと一礼し、藤本の部屋へと向かった。


***


 私は、昨日と同じ道を和幸くんと歩いていた。和幸くんのマンションから、カインノイエまでの道のりだ。住宅街をくねくねと進むだけで平坦な道。昨日よりも三十分ほど早く家をでたから、少し肌寒く、人の気配も少ない。部活の朝練があるのか、たまに野球部のユニフォームを来た中学生くらいの子が走っていくくらい。それと、眠そうなサラリーマンがちらほら通り過ぎる。ただ……皆、私とすれ違うと、私を二度見し、必ずなめるように見つめていく。理由は分かってる。このフリフリの超ミニスカートだ。


「カヤ、大丈夫か?」


 また一人、サラリーマンが私の足をじっくりと見ながら通り過ぎたとき、和幸くんは遠慮がちにそう尋ねた。


「だ、大丈夫」


 ほんとうは恥ずかしくてたまらない。今にも下着が見えそうなミニスカート。それもふわふわしてて、危なっかしい。私は極端に小またで歩いていた。砺波ちゃんはよくこんな服を着れるなぁ。


「悪いな、て俺が謝るのも変なんだけど……」


 和幸くんはそう言って頭をかく。確かに。和幸くんが謝ることじゃない。


「私がいけないの。せっかく、昨日洋服買ったのに、カインノイエに置いてきちゃったから」


 そう。昨日、両手に抱えていた買い物バッグを、ごっそり藤本さんの部屋に置いてきてしまったのだ。初めての『おつかい』で頭がいっぱいで、すっかり忘れていた。忘れたことに気づいたのは今朝。着替えようと思って、着替えがないことに気づき……結局、また和幸くんに砺波ちゃんの服を出してもらったのだ。


「あの角曲がれば、カインノイエだから。ついたら着替えられるよ」

「う、うん」

「ところで」と、和幸くんは不思議そうに私を見つめる。「なんで、ずっと腕組んでるんだ?」

「え!?」


 ぎくっとした。そう。私は和幸くんの部屋をでたときからずっと腕を組んでいる。体のラインがはっきりと分かるびったりとした赤いロングTシャツ。それは今の私にとっては、『不適切』な服で……私は腕を組んでいなければならなかったのだ。胸を隠すために……


「あ……」


 私は恥ずかしくて言葉がでない。でも、和幸くんは首をかしげて私の答えを待っている。


「つけてないの」


 私は観念してそう白状する。遠まわしに……。


「は?」


 和幸くんにはそれが理解できなかったようで、顔をしかめた。男の子には、直接的に言わなきゃわかんないかな。


「下着も、置いてきちゃったから」


 もごもごとそういうと、和幸くんはしばらくぽかんとした。そして、やっと意味が分かったかのようにハッとして立ち止まった。


「……え!? ノーブ……」


 ノーブラ。そういいたかったんだろう。和幸くんは、ぎりぎりで言葉を止め、顔を赤くして明後日のほうを見た。

 夕べの事件で、私の(というか、砺波ちゃんの)服は血だらけになり、ブラにまでしみがついてしまった。換えのブラも、昨日の紙袋の中。そこで私は仕方なく、ノーブラで外出という人生初の試みをすることにしたのだ。

 それにしても……と、私は歩きながら考える。夕べ、一体何があったんだろう? あの血は一体なに? 私が覚えているのは、空き巣に殴られるまで。そこからの記憶はない。気づいたら、和幸くんの部屋で寝ていた。体中、血だらけで。夕べはあえて、和幸くんに聞かなかった。聞く気にもなれなかったし、とにかく夕べは正気を保つのに必死だった。普通にふるまって、考えないようにしていた。和幸くんも、それが分かっていたのかもしれない。夕べの出来事について、一切口にしないでくれた。

 でも、いつまでもそうやって避けてはいられない。いつか聞かなきゃ。いや、聞きたい。今は、少し落ち着いている。何があったか聞く覚悟はできていると思う。両親の死のことも、いつか聞かなきゃいけないし。つらいけど、逃げてるだけじゃなにも解決しないもの。

 そのときだった。ふわっと何かが肩に乗っかるのを感じた。


「え?」


 振り返ると、和幸くんが緑のスクールブレザーを私にかけてくれていた。和幸くんはシャツにネクタイ姿になっている。


「和幸くん?」

「それ着てろよ。隠せるだろ」


 相変わらず、視線は明後日のほうだ。よほどノーブラが衝撃的だったんだろうか。そんなに必死に目をそらさなくてもいいのに。

 和幸くんのかわいらしさと優しさに、笑みがこぼれた。


「うん」と、私は和幸くんのブレザーに腕を通し、前をボタンでしめた。やっぱり男の子って体が大きい。ゆったりと着れるから、ちゃんと胸が隠れる。


「ありがとう」

「お、おう」


 和幸くんの頬が赤らんでいる。やっぱり、かわいいな。私はクスッと微笑した。


  ***


 藤本とシスター・マリアが本題を終え、談笑していたときだった。


「藤本さん」とノックをすることなく、和幸がはいってきた。


「カヤの服を……」


 そういいながら紙袋を探して部屋を見回し、和幸は思わぬ人物を見つける。修道服に身をつつんだつつましい女性。


「シスター・マリア!」


 嬉しそうに微笑んで、藤本に挨拶することなく、和幸はシスターにかけよった。シスターもそれに応えるように、ソファから立ち上がると、えくぼをつくって微笑む。


「お久しぶりですね、和幸」

「お元気そうで」


 和幸は安心したように目をほそめてそうつぶやいた。

 そんな様子にきょとんと扉の前で突っ立っているのは、カヤだ。藤本の部屋にはいると、ソファには修道女(シスター)がいて、和幸は嬉しそうに彼女にかけよった。確かにここは教会だが、形だけの教会のはず。その正体は『無垢な殺し屋』の隠れ家だ。そんなところに修道女がいるのが不思議でならない。修道女がこれだけミスマッチする教会もここくらいだろう。


「あら」と、シスターは、扉の前で佇む美女に気づく。中東系の見慣れない顔立ち。きりっとした眉に、くっきりと大きな目。すらっとのびる長い足。ミニスカートがそれをより強調させている。残念なのは、ぶかぶかの緑のブレザーだろう。全くサイズがあっていない。それに、左頬のあざ。


「あのお嬢さんは?」


 藪から棒に、そのケガはなんだ、と聞くようなデリカシーのない人間ではない。シスターは、あざに気を病みつつそれを顔にだすことなく、和幸に柔らかい口調で問いかけた。


「ああ」と、和幸はカヤに振り返った。「彼女はカヤ。俺が今、護衛してる」


 カヤは、『護衛』という言葉にドキッとした。そういえばそうなるのか、と今更ながら気づく。


「初めまして。シスター・マリアです」


 シスターは丁寧にお辞儀をした。まるでマナー講習のビデオのようにキレイなお辞儀だ。ゆったりとした動き。それでいて、まるで分度器で計ったかのようにきっちりとした角度。カヤは、初めて人のお辞儀に見とれた。

 シスターは体を起こすと、カヤに微笑む。


「お美しいお嬢様だこと」

「え、あ……初めまして。神崎カヤです」


 いまさらになって、カヤはあわててお辞儀をした。つい、シスターの上品な立ち振る舞いに気を取られていた。


「シスターはな」と、カヤが顔をあげるのをまたずに和幸は話し出す。「お台場の教会で貧しい人たちを助けてるんだ」

「お台場?」


 カヤは体を起こすと眉をひそめて和幸を見つめる。


「お台場って、港区のスラム街じゃ……」


 カヤが驚いたのも無理はなかった。お台場は、トーキョーで有名なスラム街。職も金もなく、家もない人々が集まり、集落をつくっている場所だ。開発が滞り、国から見離されたお台場は、廃墟が立ち並び、家のない彼らにはまたとないたまり場になった。そこにいっても金が手に入るわけでもないのだが、トーキョーの貧民は最後にはお台場に行く、といわれている。理由は分からないが、まるでそこが聖地かのように、困り果てた貧困層の住民はぞろぞろと救いを求めてお台場に向かうらしい。

 カヤはもちろん、行ったことなどない。近づこうとすら思ったことはない。そこは死臭がただよう巨大な墓場だ、とも言われている。まさかそんなところに教会があるとは……カヤには驚きだった。さらに、こんな素朴で気品ただよう女性がそこで暮らしているなんて、信じられない。


「スラム街……というより、わたしはあそこを大きな教会だと思っています」


 柔らかくすらすらとシスターはカヤに言った。


「……教会、ですか?」


 今まで耳にしたお台場のイメージと教会では、全くそぐわない。カヤは首をかしげる。


「皆、救いを求めてやってきます。わたしたちは、お台場で、彼らとともに、何ができるか考えているのです」


 わたしたち……つまり、他にもシスターがお台場にいる、ということか。カヤに理解できたのはそれくらいだった。

 カヤがぽかんとしているのを見かね、藤本が口をはさむ。


「わたしたちカインノイエとシスターのヴィーナス教会は、姉妹のようなものでしてね。協力しあっているんですよ」

「協力、ですか?」


 カヤには、『無垢な殺し屋』と貧困街の教会がどう協力できるのか想像もできない。


「シスターのもとには、様々な人々が救いを求めて現れます。その中には、子供を盗まれた人々も多くいる。つまり……」


 藤本がそこまで言うと、和幸があとをひきつぐ。


「人身売買の被害者さ」


 カヤはそこでハッとした。人身売買……これまでそんな商売が行われていたことも知らなかった。だが、今のカヤにとっては他人事ではない。両親がそれを斡旋していた可能性もあるのだから。


「人身売買には大きくわけて二つのタイプがあってさ。一つは、俺たちみたいな『創られた』子供が売られる場合。もう一つは、貧しい子供が誘拐され、売られるケース」

「つまり……」と、カヤはぎゅっと胸元をおさえる。アンリの顔が思い浮かんだ。「アンリちゃん?」


 和幸は、何も言わずにうなずく。そう。アンリもその一人。三歳のときに誘拐され、売られ、そして一年後にカインが『迎え』にきて、今の実の両親のもとに帰されたのだ。文化祭の劇で、その一連の出来事を語るのは、他でもない、ヒロインであるカヤ自身。やっぱり、実話なんだな……と、カヤは深刻な顔で思った。


「わたしは、教会にそのような相談がきたとき、彼らにこのカインノイエを紹介しているのです」


 シスター・マリアは相変わらず、えくぼをつくり微笑んでいる。


「そして、シスター・マリアからの依頼をうけて、わたしは盗まれた子供の居場所を探し出し、カインを『迎え』に送る。そういう流れになっています」


 そう付け加えたのは藤本だ。

 カヤは、ぽかんと聞いていた。本当に、ビジネスみたいだ、とシンプルな感想を抱く。


「藤本さんは、その『紹介料』として、食料をこちらの教会に寄付してくださっているんですよ」

「え!?」


 シスター・マリアの発言に、カヤは思わず声をあげた。シスターの依頼でカインノイエが子供を救い、その『紹介料』で食料を寄付? それはとても『協力』とはいえないんじゃないだろうか。その『依頼料』として、シスターがカインノイエにお金を払うほうが自然だ。カインノイエにばかり負担がある気がしてならない。

 もちろん、シスター・マリアも、それを重々承知だ。カヤに言われずとも分かっている。


「藤本さんには助けてもらってばかりで……」と、シスター・マリアは藤本に見やった。「なんとお礼をしたらよいか」


 藤本は、何も言わずに微笑むと、首を横に振る。


「藤本さんは、シスターがこうして来てくれるだけで嬉しいんですから。それで充分ですよ」


 和幸は、からかうようにそう口をはさんだ。すると、藤本は「こら」と冗談交じりにしかる。


「まあ、和幸は大人になりましたね」


 シスターの上品な笑い声が部屋に響いた。

 カヤは、黙ってその様子を見ていた。このカインノイエとお台場の教会との関係はよくわかった。だが、カヤには不思議でならないことが一つ残っている。藤本になぜ、そこまでの財力があるのか。カインノイエの一連の『おつかい』は、貧しい人を相手にビジネスしているようなものだ。もしくは、身寄りのないクローン。一体、誰が藤本に金を払うというのだろうか。それなのに、お台場の教会に食料を寄付までしている。さらにいえば、カイン一人一人にクレジットカードまで与えている。そこまでの金がどこから来ているのだろうか。

 カヤは首をかしげ、この謎の多い老人を見つめた。

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