もういいんだ
「何の用だよ、砺波?」
俺は、ガチャっと扉を開け、いきなりそういった。砺波は、相変わらず丈の短いワンピースを着てそこに立っている。長袖だからましなほうだが、夏になるとランジェリーみたいな服を着だす。どういう神経してるんだか。
砺波は、不機嫌そうな顔で俺をにらんでくる。
「何時間待たせてんのよ?」
「は?」
待たせる? 今夜、約束してたか? 俺は眉をひそめると、砺波は両手を腰にあてがった。
「言ったでしょ? 待ち合わせ場所にカヤをつれてきて、て」
「え?」
そんなこと言われたか? ええと、と思い出す。
「『実家』で会ったときにはなしたじゃない」
ああ……そういえば、別れ際にそんなことを言ってたな。なんとなく思い出した。だが、あんな乱暴に言われただけじゃ、それは約束といえないだろ。
「簡単にいうけどな。別に、待ち合わせの場所も時間も知らされてないんだぞ。
どうやって……」
反論すると、砺波はえらそうに、ストラップがうじゃうじゃついた携帯電話を見せ付ける。
「これ、何か分かる?」
「……ケータイ」
おい、馬鹿にしてんのか? すると、砺波はすうっと息をすい、一気に俺に怒鳴りつける。
「そう、携帯電話。け・い・た・い! 分かる? 常に持ち歩くものよ。なんで、あんたはいつもチェックしないのよ? 何時間も前に、場所も時間もメールしといたんだから」
「こっちは『おつかい』してたんだ。それどころじゃなかったんだよ」
そもそも、メールの返信が無い時点で、俺が気づいてないことを察しろよ。本当に自分勝手だ。……まぁ、こいつもカインだし仕方が無いか。カインは基本、皆、自分勝手だ。俺もきっとそうなんだろう。俺たちは、自分で自分を守るしかない。親代わりの藤本さんもいるが、大勢の『子供』たちを抱えている。一人一人、細かく面倒みれるわけではない。自分を面倒みれるのは自分だけ。自分を一番に考えなきゃ、到底生きていけない。そうしてるうちに、段々自分勝手になってしまうんだ。
「『おつかい』……それを言われると……」
砺波は、むむっとたじろいだ。とことん、こいつは藤本さんを特別慕っているからな。何が『おつかい』よ、とは冗談でもいえないだろう。『おつかい』だった、という言い訳はこいつには効果てきめんだ。
「とりあえず」と、砺波は落ち着いた様子で俺を見上げた。「今からでもいいから、カヤを連れてくわ」
「え?」
「カヤ、居るんでしょ? あんたの部屋に泊まってる、て聞いたんだけど」
いや、居るけどな……今から? そりゃ、無理だろ。どんだけ、遊びたいんだよ、こいつは。
「今夜はキャンセルできないか?」
「ええ?」
砺波は、信じられない、と目を丸くした。
「なんで?」
「……いろいろ、あったんだよ。大事な用事じゃないんだろ?」
事情はとても全部話す気にはなれない。俺は目をそらして、どうせ、と呆れたように言った。
「それはあんたが決めることじゃないでしょ?」
さすがにむかついたのか、砺波は俺をにらみつける。
「とりあえず、カヤに聞いてよ」
「聞いても同じだよ。今夜は無理だ、て」
というか、今の状態のカヤを、このハイテンション自己チュー女と会わせたくはない。カヤはきっと、嫌だ、とは言わないだろう。そういう性格だ。それをいいことに、砺波は、カヤを無理やり引きずり出す。そんな映像が容易に想像できる。俺がここでこいつを引き止めなくては。
砺波は、え~っとつまらなそうに声をあげた。まるで、だだをこねる子供みたいだ。童顔だから、それがさまになっている。
「もう……曽良になんて言えばいいのよ」
「え?」
ほら、帰った帰った、と追っ払うつもりだったのだが……砺波のつぶやいた言葉を、聞き逃すことはできなかった。曽良だって? なんであいつの名前がでてくるんだ?
「曽良? あの、曽良か?」
俺が戸惑いつつたずねると、砺波は肩をすくめて、おなじみのフレーズを返す。
「松尾芭蕉の弟子のね」
それは、曽良のキャッチフレーズのようなものだった。自己紹介では、いつも言っていた。掴みにはばっちりだ、と本人は気に入っていた。確かに、インパクトがあって覚えやすい。だが、『松尾芭蕉の弟子』がそこまで有名かは俺にはわからない。実際に、一部のカインには、芭蕉、と呼ばれている。本末転倒だよ。そんな曽良もカインの一人。俺や砺波と同い年だ。小学校では三人で同じクラスにもなったことがある。中学にあがってからは、めったにつるむことはなくなったが……。
「曽良がなんなんだ?」
久々に聞いたその名前に驚いていた。砺波はまだあいつと遊んでいるのは知っていたが……まさか、カヤと三人で遊ぼうとしたのか? すると、砺波は意外な言葉を口にした。
「デートよ」
「は?」
デートだ? 待て。余計に混乱してきた。
「誰と、誰がデートするんだよ?」
「カヤと曽良よ!」
それがまるで当然のように、砺波は俺を責める口調でそういった。
「え? どういうことだよ?」
意味が分からない。なんで、カヤと曽良がデートするんだよ? どういう経緯でそうなるんだ? なんかよく分からないが、いい気分じゃない。
聞かれて、砺波は急に嬉しそうな表情を見せた。この顔……見覚えあるな。色恋話をするときの砺波だ。目がきらきら輝いている。だが、なんで今、その顔をするんだ?
「実は……」と、砺波はもったいぶったように言い、「カヤに男を紹介することになってさ」と自慢げに言い放った。
「……」
俺はなぜか、頭が真っ白になった。
「男? なんで?」
俺は、ひきつった笑顔をうかべて砺波に聞き返す。
「なんで、て……彼氏もいないし、好きな人もいないっていうから。じゃあ、私が探すの手伝うよ、てことになったのよ」
「……」
「って、なんで、あんたに話さなきゃいけないわけ?」
「あ……そうだな」
視線をどこにやればいいのか分からない。目が勝手に泳ぐ。間違いない。俺は動揺してる。いきなり、とんかちで頭を殴られたような気分だった。急に、むなしくなった。なぜだか分からない。だが……ショックだった。砺波は、俺が急におとなしくなったので、気味悪そうに顔をしかめる。
「大丈夫? 顔色わるいわよ」
「なんでもない」
低い声でそういうと、じゃあな、も無しに玄関のドアを閉める。俺は、これ以上……話す気になれなかった。というより、聞きたくなかった。
「ちょっと!?」という砺波の声がかすかに玄関に残った。俺は、ドアを背にし、後ろ手に鍵をしめる。ふうっとため息をついた。
「デート……か」
俺は半笑いで、はき捨てるように言う。
* * *
「砺波ちゃん、なんだって?」
和幸くんが部屋にはいってきて、私は開口一番、そう尋ねた。和幸くんは、扉の前で立ち止まると、頭をかいた。
「デート……」
「え?」
「デート、だったんだな」
え? 何の話だろ? それに、なんだか和幸くんの様子も変。さっきとどこか違う。
「デートって?」
「曽良とデートだったんだろ、今夜」
そら……? どこか聞き覚えのある……あ! 私は、ハッとした。『松尾芭蕉の弟子』というフレーズが頭に浮かぶ。カインの曽良さんだ。そうだった……砺波ちゃんに、今夜、曽良さんを紹介するって言われてた。すっかり忘れちゃってた。怒ってるかな。あとで謝らなきゃ。
それより、今は……と、私は和幸くんを見つめる。デートっていうわけじゃない、て伝えなきゃ。話の流れでそうなっただけ。和幸くんに、デートだなんて思われるの、すごく嫌。
「和幸くん、それね……」
「悪い。勝手に断った」
「え……」
「デートだとは知らなかったから」
和幸くんは、まるでわざと私の言葉をさえぎるように口を挟んだ。こんなこと、今までなかったのに。どうしたんだろ……。心臓がどんどんはやくなっていく。喉が渇いていく。嫌な予感がする。
「曽良には、俺から事情説明しとくから。安心しろよ」
「そんなこと、しなくても……」
「曽良は、良い奴だから。うまくいくといいな」
「!」
胸が、えぐられるような気分。和幸くんは、優しく微笑んでいた。まるで……全然気にしていないみたいだ。
「俺、風呂はいるな。今日はもう休めよ」
「あ……」
ちょっとまって。これ、なに? 何か、間違ってる。何かが変な方向へ転がってる。そんな気がした。
「和幸くん」
私は思わず、呼び止めた。
「ん?」と、和幸くんは振り返る。その表情は、いつも通り。でも、どこかそっけない。
「さっき……」と、私は勇気を出して言う。「さっき、何を言おうとしてたの?」
「え?」
私は、手の中にある指輪をぎゅっと握りしめた。
「『カヤ、俺は』……て、何か言いかけたでしょ」
和幸くんは、すぐには答えなかった。しばらく、顔をそむけ……そして、申し訳なさそうに微笑んだ。
「もういいんだ」
「……!」
和幸くんは、私の反応を待つことなく、すぐに部屋を出て行った。廊下を歩く足音と脱衣所のドアの音が聞こえる。もういいんだ……その言葉は、とても冷たくて、遠ざけるような言い方で……私は、ただその場に立ち尽くした。
軽蔑……されたのかな。こんなときにデートなんてするお気楽な女だ、て呆れられた? 男遊びする軽い女だ、て思われた?
どうしよう。嫌われたかもしれない。
「……嫌だよ」
和幸くんが抱きしめてくれた体が、もうすっかり冷えてしまった。すぐそこに居てくれたのに。優しく抱きしめてくれたのに。
――もういいんだ。
その、冷たい言葉が頭に響くと、さっきとは違う涙がでてきた。