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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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願い

 風呂場の扉を開閉する音が聞こえた。カヤが風呂をあがったんだ。

 俺はベッドを背もたれ代わりにして床に座り、ボーっと窓から月を見上げていた。しばらくして、ガチャっと脱衣所のドアが開く音がする。ひたひた、と裸足で歩く音。キイッと部屋の扉が開く音。俺はその音全てに耳をすましながらも、視線は月から反らさなかった。


「お風呂、ありがとう」


 そんな、カヤの遠慮がちな声が聞こえた。


「おお」


 俺は、それでもカヤに振り向かなかった。というより……振り向けない。心臓の鼓動が早くなっている。俺は、最低だ。今夜、ひどいことがカヤに起こった。俺は、カヤを慰めなきゃいけない。それなのに、俺は今、全然別のことを考えている。


「隣、いい?」


 すぐ横に、カヤの気配がする。


「あ、ああ」


 『あ、ああ』? なんだよ、その返事は。かっこわるすぎだ……。

 よいしょ、とカヤは隣に腰を下ろした。風呂上りのぽかぽかした暖かさが、左肩に伝わってくる。俺は、ちらりとカヤに目をやった。


「!」


 だめだ。俺はすぐに目をそらす。思ったとおり。風呂上りのカヤは、色っぽすぎて……見てたら理性がどうにかなりそうだ。ぬれた髪。ほてった顔。ぶかぶかのTシャツ。

 ああ、くそ。なに考えてんだ? おかしいだろ。無神経にもほどがある。ああ……カヤが一人で風呂場で泣いた理由が分かるな。こんな俺が、相談相手になるわけがないんだ。

 俺は、何を言えばいいか分からず、ただ黙っていた。時計の音が、いつにも増して耳障りに聞こえる。なにか話さなきゃ……だが、何を?


「ごめんね」


 突然、カヤが言った。


「ごめん? なにがだよ?」


 俺は、え、と思って、カヤに振り返る。暗くてよかった。俺が変な顔してても分からないだろう。


「資料、見つけられなかった」

「え」


 資料? カヤは、無理した笑顔を浮かべている。何の話だ?


「うっかり、忘れちゃったの。『おつかい』のこと」


 俺は、ハッとした。そうだ。すっかり基本的なことを忘れていた。カヤは、俺たちに協力するために、家に戻った。そして……


「……」


 俺は、言葉を失った。一気に、目が覚めたな。煩悩がどっかに吹っ飛んだ。俺は本当に最低だ。それを実感する。そうだよ。カヤがこんな目にあったのは、俺のせいじゃないか。そんなことも、分かってなかったのかよ、俺は。


「和幸くん?」

「俺のせいだ」


 つぶやくように言った。カヤは、目を丸くした。その目は、泣いたせいで赤くなっている。


「俺たちの『おつかい』に、巻き込むべきじゃなかった」

「え?」


 俺が家に侵入すべきだったんだ。カヤを行かせるべきじゃなかった。そしたら、カヤはケガなんてしなくてすんだ。怖い思いをすることはなかった。血を浴びることなんてなかった。俺はぎゅっと拳を握り締める。何が、守りたい、だ。カヤを危ない目にあわせたのは、俺じゃないか。


「俺は……」


 分かってしまった。血の海で、カヤを見つけたとき。俺の心の『変化』を。カヤと話すようになったのは、ほんの数日だというのに……こんな気持ちが、今、俺の心の中にうずまいているなんて信じられない。だが、はっきり認識した。俺の中にある今まで味わったことの無い『恐怖心』。恐ろしくなってしまったんだ。彼女を失うのが、とてつもなく怖くなった。こんな気持ちは、今まで感じたことはなかった。『おつかい』をするだけだった今までは、俺には『気持ち』なんてものもなかったのかもしれない。カヤは、それを俺にくれた。カヤは俺を必要としてくれた。俺に、助けて欲しい、と言った。カインとしての俺じゃなく、和幸としての俺を頼ってくれた。俺はあのとき、この地上で『存在』を許された気がしたんだ。

 俺の脳裏に、まぶしいくらい愛らしいカヤの笑顔がうかぶ。カヤは、俺にとって……


「和幸くん?」


 カヤが、顔を覗き込むように俺を見てきた。


「大丈夫?」


 俺に、優しく、そう微笑みかける。だが、その笑みはとても不自然で……明らかに無理していることが分かった。たった一夜で、心に深い傷をおったはずだ。今もつらいんだ。なのに、俺の心配かよ。『大丈夫?』って、それは俺のセリフだよ。何で俺は、こんなときにカヤに心配させてるんだ。何で俺は、カヤにこんな無理した笑顔をつくらせてる? 俺は、なんてふがいないんだ。

 俺は、カヤの目をじっと見つめる。カヤは戸惑いつつも、微笑して俺の言葉を待っていた。

 これが正しいことかは分からない。でも、伝えたくてしかたがなくなった。今さら、こんなことを言っても説得力はないかもしれない。俺のせいでこうなったのに、守りたい、なんて身の程知らずかもしれない。自分勝手かもしれない。でも、カヤに誓いたくなった。もう二度と、こんなことはおこさせない。例え何があろうと、君を守ってみせる。だから……また、あの笑顔をみせてほしい。


「カヤ、俺は……」


 そのときだった。ピーンポーン、という呼び鈴がなった。


***


 和幸くんが、次の言葉を言う前に、部屋の呼び鈴がなった。誰か、来た?

 和幸くんはハッとして、私を通り越して、玄関のほうに目をやる。部屋のドアは開いたままだ。まっすぐに玄関のドアが見える。


「かずゆき~~~」


 そんな、砺波ちゃんの声が聞こえてきた。


「砺波?」


 和幸くんは不思議そうにそう言って、私に視線を戻す。その表情には、困惑が見受けられた。


「ちょっと、一人にしても大丈夫か?」

「うん、平気。だいぶ、落ち着いたから」


 申し訳なさそうに、和幸くんは微笑んだ。本当に、優しいな。私は、心があたたかくなるのを感じた。

 和幸くんは、腰を上げ、部屋を出て行った。ぱたん、とドアが閉められ、私は一人、部屋に残される。一気に、緊張がとけた。ふうっと深いため息がでる。和幸くんの、あんな真剣な表情、みたことがない。なぜか、今更、急に心臓がドキドキし始める。


「『カヤ、俺は』……なんだろう?」


 私は、言われた言葉を自分で言ってみた。何を、言おうとしたんだろう? もしかして……なんて、空想を抱いて顔があつくなる。そんなわけないよね。砺波ちゃんが彼女かもしれないんだし。

 でも、いいの。和幸くんがこうして傍に居てくれるだけで、私には充分だよ。私は心からそう思った。じゃなきゃ、今頃私は心身ともにボロボロだ。隣にいてくれるだけで、安心できる。心があたたかくなる。

 ふと、目の前のテーブルに目をやった。


「あ」


 暗くてよく見えなかったが、そこには、あの指輪があった。黒い石のついたシルバーのリング。


「こんなとこに……」


 失くしたんじゃないか、なんて心配してたから、すごくホッとした。私は腰を上げ、その指輪を手にとった。


「よかったぁ」


 ぎゅっと指輪を抱きしめるように胸にあてた。私と和幸くんをつなげていた指輪。大切な指輪。愛おしい指輪。

 私は、左手の薬指を見つめた。ここに、和幸くんはこの指輪をはめてくれた。私は、そのときのことを思い出す。思い出すだけで、また胸がドキドキする。夢のような瞬間だった。

 私はずっと忘れない。あのときのこと。絶対、忘れない。何があっても……


 私は指輪を握り締め、目をつぶった。そして心の中でつぶやく。でもね、欲を言えば……もう一度、いつか……


「神さま……」


 そんな言葉が口からもれた。私は目を開け、月を見上げた。

 私はどの宗教にはいっているわけでもない。これから入るつもりもない。でも、祈りたくなった。願いたくなった。だって、そうでもしなきゃ、叶いそうにない願いに思えたから。


「もしよかったら、あと一度だけでもいい。この薬指に、指輪をください。

 和幸くんと私の……二人の指輪を」


 なぜ、月に願ったのか。自分でも分からない。私はクスっと笑ってしまった。


「能天気ね、私は」


 今夜あったことを考えれば、他にもたくさん祈ることがあるはずだ。でも、こういうときだからこそ、私は明るい未来を願いたかった。

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