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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第二章
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ただ、抱きしめて

 カヤは、ゆっくりと目を覚ました。目に入ってきたのは、暗い天井。明かりはついていない。光は窓からはいる月明かりだけだ。ここはどこだろう。


「うっ」


 カヤは、自分の左頬が痛むのを感じた。そっと手を触れるとずきっと激痛がはしる。頭がぼうっとしていた。自分に何が起きたのだろう。体を起こすと、自分がベッドに横になっていたことに気づく。といっても、毛布の中ではなく、その上だ。ふと、変な匂いがすることに気づく。一体どこから……そう思い、自分の手に視線を落とす。そして……


「!」


 カヤは声を失った。手には赤い何かがついている。これは……血? そして、よくみれば、自分は体中、それがついている。

 手が震えだす。何があったか、段々と記憶が戻ってくる。


「いや……」


 カヤは頭を抱えた。自分はそうだ。殴られたんだ。妙な男たちに囲まれて……そのあと、何があったんだろう。何が起きたの? そして、自分は今、どこにいる? カヤは混乱し、両手で頭を抱え、ベッドの上でひどく震えた。もしかして、自分は連れ去られたのではないか。そんな考えが浮かび、カヤはハッとした。何かされるかもしれない。


「和幸くん……」


 カヤは、あわてて左手を見た。カメラ、カメラ、と指輪を見る。だが……薬指には指輪はない。和幸と唯一、つながっていた指輪が。カヤは、「いや」と声をだし、左手を右手で握り締めた。


「いや! 和幸くん!!」


 その叫び声は、悲鳴にちかかった。


***


「カヤ!」


 急に、その声がした。私は、ハッとする。震えが急に止まった。


「カヤ、大丈夫か」と、和幸くんが、部屋に入ってきた。私は、その姿を見て、思わず涙がでた。


「おと、おとこたちが……」


 一生懸命、事情を説明しようとしても、言葉にならない。涙が次から次へと出てきてしまう。和幸くんは、私の横に座り、私の両肩をがっしりとつかんだ。


「大丈夫だ。いいから、落ち着いて」

「お父さんのたいせつなもの……どうしても、がまんできなくて……」


 いいから、と言われてもあふれてくる言葉を止められなかった。怖かった、すごく。何があったか話さないと気がすまないような気持ちがして、しゃべらずにはいられなかった。

 和幸くんは、そんな私に優しく微笑んで、私の髪をなでた。


「落ち着いて。もう大丈夫だ」

「……どう、なったの? あれから……なにがあったの? この血は?」


 私は、嗚咽をあげながら、途切れ途切れにたずねる。和幸くんは、一瞬難しい顔をした。でも、それは本当に一瞬で、すぐにまた笑みを浮かべる。


「いいから……」


 それだけ言って、和幸くんは私を抱きしめた。


「!」


 私は、何も言えなくなった。


***


 俺は、しばらく、カヤを抱きしめていた。胸の中で、段々と落ち着いていく彼女の呼吸を感じる。パニックはおさまってきたみたいだ。

 俺はあのあと、適当にタクシーを拾って戻ってきた。幸い、暗くて運転手は俺たちが血だらけなのに気づかなかったようだ。彼女が酔っ払っちゃって、なんてありきたりの嘘を言ったら「お若いのに」と皮肉じみたことを言われた。

 とにかく、カヤの精神面が心配だった。ぽんこつカメラが途中できれてしまって、何があったのか俺はよく分かっていない。カヤの頬のあざも、どうして出来たのか。

 とりあえず……さっきカヤは「この血は?」と聞いてきた。つまり、気絶したのは、あの血の海が出来る前、てことだ。カヤが気絶したのは、あの惨劇が原因ではない。不幸中の幸いだな。あれを見るのは、流石にショックが強すぎる。だが……気絶するような何かがあったことには変わりは無い。一体、何が? それに……


「両親が……殺された、て」

「!」


 カヤのか細い声がした。首元にその息を感じる。さっきと違って、落ち着いた声だ。


「ああ、聞いてた」


 そう、そこまではカメラも作動していた。


「大丈夫か?」

「……」


 カヤは、何も答えない。大丈夫なわけ、ないよな。俺は馬鹿だ。しばらく、カヤは黙ってしまった。数分の沈黙が……重い空気で何時間にも思えた。俺には、どんな言葉をかければいいのか分からない。


「そうだ……」


 俺は、思い出したように切り出す。カヤを引き離し、カヤの顔を伺った。左頬のあざが痛々しい。ずきっと胸が痛むのを感じた。


「風呂、お湯ためといたから。まず、血をおとそう。な」

「……」


 ほんのちょっとでも、気分転換になれば。そう思ったのだが……なるわけないだろうな。まぁ、どちらにしろ、早く血は落とさないといけない。気持ち悪いだろうし。

 カヤは、唇をかみ、ゆっくりとうなずいた。


「タオルと……服は、俺のでいいか?」


 そう言って俺は立ち上がった。だが、何かがひっかかって、俺は中腰で止まった。


「え?」


 振り返ると、カヤが俺の服をつかんでた。


「砺波の服のがいい……か? 一応、何枚かあるけど」


 俺が戸惑ってそう言うと、カヤは首を横に振る。なんだろうか、とまたベッドに腰を下ろした。

 カヤは、迷子の子犬のような、寂しい目で俺を見つめて言う。


「もう少しだけ……」

「え?」


 もう少し? なんだ?

 俺が困惑していると、カヤは俺に寄りかかるように体を預けてきた。


「カヤ?」

「ただ、抱きしめて……」


 それはかろうじて聞こえるほどの、小さな声だった。

 俺は、カヤの背中に手を回すと、何度か優しくさすった。


***


 とりあえず、風呂にはいって血をおとそう。和幸くんはそう言って、私をお風呂場に案内してくれた。部屋と玄関をつなぐ廊下の真ん中。ドアを開けると、そこは脱衣所になっていた。和幸くんのTシャツとハーフパンツを渡され、私はそこに入る。


「バスタオル、あとで持ってくるな」と和幸くんは言って、脱衣所のドアを閉めた。


 血まみれの服を脱ぎ、下着をはずす。一体、何があったんだろう。ブラにまで、血がしみこんでいる。これだけの血……誰の? まさか、あの男達? あの後、一体何があったんだろう。和幸くんが……何かしたのかな。でも、一体何をしたの?

 私は、お風呂場のすりガラスのドアを開く。浴槽にはお湯がたまっていた。わざわざ、和幸くんがためてくれたんだ。そう思うと、自然と笑みがもれた。優しさが身にしみる。

 キュッとシャワーを開け、全身であびる。気持ち良い。体の緊張がほぐれていくのを感じた。両手に視線をおろす。両手にこびりついていた血がお湯に溶けていく。指先から赤い液体がするすると落ちていった。排水溝まで赤い筋となってそれは流れていく。


「……」


 しばらくぼうっとそれを見つめていると……何かがぐっとこみ上げてきた。ずっと、こらえてきたもの。


「お母さん、お父さん……」


 涙がシャワーと混じって、頬を、体を、足をつたって排水溝へと流れていく。私は、シャワーを全開にする。勢いのよいシャワーの音がお風呂場に響き渡る。


***


 俺は、トントン、と脱衣所のドアをノックする。やっと見つけたおろしたてのバスタオルを手に持って。


「カヤ、入るぞ」


 風呂場のほうからシャワーの音が聞こえる。カヤはもうシャワーを浴びているんだ。特に答えを待つことも無く、俺は脱衣所を開けた。

 すりガラスを通して、シャワーを浴びているカヤの姿がぼんやりと見える。なめらかな体のラインに、つい、目を奪われた。バスタオルを置いてさっさと出るつもりが、俺は数秒ほど、そこで見とれていた。


「って、何してんだ」


 ハッと我に返ると、俺はあわてて棚に歩み寄り、そこにバスタオルを置く。ふと、足元に血だらけの服を見つけた。そして、カヤの下着。……下着!?


「悪い!」


 カヤに聞こえるはずもないのに、そう言って不自然に顔をあげた。そのときだった。


「ごめんなさい」

「いや、俺が悪い……え?」


 俺は風呂場に振り返る。シャワーの音に隠され、かすかだが、カヤの声が聞こえた。反射的に返事してしまったが、明らかに俺に対してじゃないだろう。俺は、風呂場のドアに歩み寄った。シャワーを全開にしてるのか、シャワーの音がやたらと大きい。耳をとぎすますと、やはり聞こえてきた。


「ごめんなさい」という、カヤの声。そして、それは……嗚咽する声に変わっていった。すりガラスを通して、カヤがしゃがみこむのが見えた。


「お父さん、お母さん……」


 俺は一瞬、風呂場をノックしよう、と手をだし……そして、やめた。このシャワーは、ちょっと開けるだけで充分な勢いがある。全開にする必要はないはずなんだ。

 つまり……と、俺は足音をたてないよう、静かに脱衣所を出る。パタン、とドアを閉め、そのままもたれかかった。シャワーにまじって、カヤの泣き声がかすかに聞こえる。


「俺に、聞かれたくないんだな」


 なぜだかは分からない。だが、カヤがそれを望む以上……知らないふりをするのが、今、俺が唯一カヤのためにできることだ。


「……無力だ」


 俺はその場でしゃがみこんだ。

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