すれちがい
もうすっかり空は夕焼けだ。私は、大量の紙バッグを両手に提げて、教会に戻ってきた。紙バッグにはいっているのは、全て洋服。それも、私が買ったことがないような派手なお店の。全部、砺波ちゃんに半ば押し付けられて買ったものだった。彼女は、私に同意すら求めず、自分の趣味で全て選んでしまった。果たして、これらを着ることがこれからあるのかどうか。
砺波ちゃんは、同じように大量の紙バッグを提げ、鼻歌まじりに前を歩いている。教会の扉に手をかけ、私に振り返った。
「本当によかったの? あのドレス、買わなくて」
「え……うん。私には高すぎるから」
あのドレス、とは、私が「シャトー」で試着した赤いマーメイドドレスのことだ。お店の人にも、「お似合いです」と何度も褒められ買うようすすめられたのだが……
「値段は気にすること無かったのに。どうせ、パパのカードで買うんだから」
砺波ちゃんは、それがなんでもないかのように軽く言って教会の扉を開けた。私は、苦笑いをうかべる。
「だから、だよ」
そう。現金もろくに持たずに家をでた私。そもそも、お財布自体持っていない。真夜中に和幸くんに連れ出されたのだから、当然だ。それを知った藤本さんは、砺波ちゃんにカインのカードを使って私の服を買うように、と頼んだ。カインのカードとは何か、と思ったが、ふたを開ければただのクレジットカード。藤本さんはどうやら、カインの皆にクレジットカードを渡しているようだ。カインを一人で世話している、と言っていたが、お金まで一人で面倒をみているとなると……相当、大変なはずだ。一体、あの藤本さんのどこにそこまでの力があるというのだろうか。
そんなことを考えながら、私も砺波ちゃんのあとについて教会に入る。ぱたんと扉を閉じ、くるりと教会の祭壇のほうに体を向けた。そのときだった。
「砺波!」
いきなり、そんな怒鳴り声が響いた。私の体がびくっと反応した。声の主が誰か、すぐに分かった。
和幸くんだ。
和幸くんは、上は半そでの白いTシャツ、下は黒のジャージ姿で、片手に雑巾を持って中央の通路の奥で立っている。顔には疲労がうかがえた。もしかして……掃除でもしてたのかな。
「あははは」と、砺波ちゃんの笑い声が教会に響き渡る。
「掃除させられてやんの。何しでかしたわけ?」
やっぱり、掃除なんだ。
私は、半日ぶりに会う和幸くんにドキドキしていた。いつも、ブレザーの制服姿しか見たことなかったから……こういうジャージ姿を見れただけで、なんだか胸がときめく。半袖からのぞく二の腕の筋肉がたくましい。男の子なんだな、て改めて思った。
「何もしてねぇよ。他にやることなかっただけだ。
そっちだろ、問題は」
でも、何か和幸くん、様子がおかしい?
雑巾を床にたたきつけると、こちらのほう、つまり入り口に向かって、ずかずか向かってくる。
「こっちは、朝からずっと待ってたんだ。どういうつもりなんだ?
居場所の一つも連絡してこないってのは?」
「は? なんで、そんなことしなきゃなんないのよ」
やっぱり、和幸くん、怒ってる。砺波ちゃんは、そんな和幸くんにひるむ気配すらみせず、胸をはってはっきりとした口調で言い放つ。
「何度も電話したんだ」
「あら、ごめんね。気づかなかった」
「せめて、藤本さんには、どこにいる、とかメールでもしないか?」
「なんでそんなこといちいちしなきゃなんないのよ? 買い物行ってただけなのよ?」
和幸くんは、砺波ちゃんの目の前で立ち止まって、砺波ちゃんを睨むように見下ろした。
二人の会話は、すでに口論になっていた。私は、砺波ちゃんの斜め後ろで、止めるべきかどうか迷っていた。
でも、それはおせっかいだよね。二人は付き合ってるのかもしれないんだし……和幸くんは、朝からずっと連絡のない彼女を心配してたのかも。だから、こんなに怒ってる、とか。この怒りは、優しさの裏返し?
やだな。二人の口論も、見てるのがつらい。
実際、ずっと和幸くんは私に話しかけてくれない。私に見向きもせずに、砺波ちゃんにばかり……。
ああ、最低だ。嫉妬してるのかな。私はただ、和幸くんに助け出してもらっただけなのに。その上、和幸くんに何を求めてるんだろ? ずっと一緒にいてほしいの? そもそも、和幸くんが私に近づいたのは、『おつかい』のためだった。本当は、和幸くんは私と仲良くなりたいわけじゃないのかもしれないのに。
「カヤ」
「!」
急に呼ばれてドキッとした。優しくて、愛おしい声。
ハッと顔をあげると、和幸くんがこちらを見ていた。やっと、私を見てくれた。
「疲れただろ。朝から、こいつの買い物につきあわされて」
「失礼ね。カヤの服を買ってあげたのよ」
「はいはい」
砺波ちゃんはムッとして、和幸くんの腕をはたいた。
「いってぇな」と、和幸くんは砺波ちゃんをにらむ。
「……」
そんな、二人のやりとりに、また胸がいたんでしまった。うらやましい、と思ってしまった。嫉妬なんて、よくない。私の心が醜くなってる、そんな気がした。こんなの嫌なのに……アンリちゃんに嫉妬して、今度は砺波ちゃんに嫉妬してる。そんなこと知られたら、和幸くんに嫌われる。
「私……」と、勇気を出して声を出した。二人は、ぴたりと止まってこちらを見ている。
「私、藤本さんに話しに行くね。いろいろ、買っていただいたから」
そう言って、私は両手に提げている紙袋を、和幸くんに見せるように高々と挙げた。
***
カヤは、まるで逃げるように足早に俺の隣を通り過ぎ、藤本さんの部屋へと向かっていった。なんだか、様子が変だったな。
……。
いや、変なのは俺のほうかもしれない。
『誰かに恋したんでしょ?』
ええい、まただ。リストの楽しげな声が頭に響いた。掃除してる間も、ずっとこの声が俺の手を止めた。そして、その声を思い出すたびに、カヤの顔が思い浮かぶ。今朝、ベッドの中で「おはよう」と俺に言ったカヤの顔が。
そのたびに、俺の頭はパニックになる。正直、俺の中で起きている『変化』に俺は戸惑っていた。いまいち、その『変化』の正体もよく分からないし、どう対処すればいいのかもよくわからない。
そして……カヤとどう接すればいいのか急に分からなくなった。『おつかい』として接していたときのほうが、ある意味楽だったかもしれない。良心は、そりゃ痛んだけど……『おつかい』なんだ、と割り切ることで自然と接することができたんだ。何も深いことを考えることなく。
でも、今はどうすりゃいいのか分からない。俺は、カヤの何なんだ?
「で?」
砺波の苛立った声が、俺を現実に連れ戻した。俺は思わず、「は?」というアホな声をだしていた。
「なんで、ムキになって怒ってるわけ?」
「あ?」
「居場所のことよ。何事なわけ?」
ああ、それか、と俺はため息をついた。
「いいか」と、子供に叱るような態度で俺は砺波にいう。
「学校から早々と戻ってきてみれば、カヤはいない。
藤本さんいわく、砺波と買い物だ、という。
どこに買い物だ、と聞くと、分からない、ときた。
つまり、実質的にカヤは、今朝から行方不明だったわけだ。
どんだけ……」
そこまで言ったときだった。砺波は、俺の言葉を奪うように口をはさむ。
「心配してたわけだ」
「え」
砺波は、目をまん丸にして俺を見つめていた。なんだ、この反応は? 俺は、気味が悪くて、後ずさった。
「なんだよ?」
「カヤが心配だったんだ」
「……だったら、どうしたんだよ」
そうだ、思い出したぞ。砺波のこの雰囲気、俺には心当たりがある。恋愛話をするときのこいつだ。どんな話も恋愛にもっていくこいつのことだ。今回もそういうつもりに違いない。
「好きなの? カヤのこと」
ほらな、こうきた。だが、不思議なことに、ハイテンションではない。いつもなら、キャーキャー言って、頼んでも無いのに一人で大盛り上がりするのに。目をぱちくりさせて、不思議そうに俺を見つめていた。
「そ……そういうんじゃない」
俺は、目をそらしてそんな言葉を搾り出した。
カヤのことを、『好き』? そんなことどうやって分かるんだよ?
リストといい、こいつといい、何なんだ?
俺はずっと『おつかい』だけしてきた。付き合ってほしい、といわれたことは何度かあったが、興味はなかった。本当の俺を知らないくせに、俺に何を求めているんだ、と理解できなかった。正直、好きだなんだという気持ちは俺にはよく分からない。
俺は『創られた』人間。神も俺の存在を知らない。そんな俺に、運命の相手など用意されてるとは思えなかった。誰かと付き合えば、その人の運命を狂わせるんじゃないだろうか、とさえ考えたこともある。そんな意識があったせいもあるだろう。恋愛というものに、これといって興味はなかったのだ。砺波とは正反対だな。
「カヤは……」と、俺は続ける。「カヤは、俺が連れ出した。だから、責任もってカヤのことを守らないといけないから」
「ふーん」
砺波は、疑うような視線で俺をみながら、しばらく黙った。なんなんだよ? 何かたくらんでんのか?
「そう」と、砺波は高い声で言った。そして、にこりと屈託の無い笑みをみせる。「じゃ、よかった」
それは、予想外の反応だった。いつもなら、恋愛話じゃない、と分かるとがっかりするものなのに……変だな、喜んでるようにもみえる。よかった?
「もう、心配したじゃない。あんたがカヤのこと好きだったらどうしようかと思ったぁ」
「は?」
なんだ? 砺波にどんな影響があるっていうんだよ?
「そうよね、そうよね。和幸は『おつかい』のために、あの子に近づいたんだもんね。
個人的な感情はないわよねぇ」
「……」
その言葉に、俺は何も言い返せない。
「よかった、よかった。じゃ、つまり、あんたは今、カヤのボディガードなわけね」
「……ま、そうなるな」
間違いじゃない。確かに、俺はあいつのボディガードだ。特に、神崎がカヤを探している今は、俺が守ってやらないと。
だが……と、今朝、リストから聞いた話を思い出す。アトラハシスという人間のこと。リストは言っていた。アトラハシスは、カヤを守る使命をもつ人間だ、と。なぜ、姿を現さないのかは分からない。どういう経緯で、そいつがカヤを神崎に渡したのかもさっぱりだ。だが……もし、カヤを渡せ、と神崎に言ってきた電話の男が、本当にアトラハシスなら……俺は、カヤを連れ出すべきじゃなかったんじゃないだろうか。リストにアトラハシスのことを聞いてから、そんな考えが芽生えていた。カヤを守る使命をもつ奴がいるなら、そいつに任せるべきだ。俺には……そんな使命なんてない。俺がでしゃばるようなことじゃない。
「そんならさ」と、砺波はまるでおばさんのような声をだした。「今夜、待ち合わせ場所まではあんたが送ってあげてね」
「え?」
待ち合わせ場所? いきなり、何の話だ?
「あ、そうそう。好きな子ができたら、すぐわたしに伝えるのよ。
和幸の恋愛にはものすごーく首をつっこみたいから」
「は?」
なんだよ、それは?
しかし、そんなことを聞く暇も与えないかのように、砺波は紙袋を手に、ひらりと俺に背を向ける。
「じゃあ、そういうことで」
「は?」
「帰る~」
砺波は背を向けたまま、俺に手をふり、教会の扉を開けた。西日が教会にはいってきて、俺は顔をしかめる。
「おい?」
ばたん、と扉がしまった教会で、俺はただ佇んだ。
相変わらず……嵐のような女だな。