愛という名の神
朝日がステンドグラスを照らし、様々な色の光が教会にあふれている。藤本とカヤは、最前列のチャーチチェアーに並んで座ってそれを見つめていた。
二人は、ある人物を待っていた。話がおわってから、藤本は一本の電話を誰かにやった。ここに来るように、という内容の電話だった。カヤは誰が来るのかは知らない。和幸以外のカインの誰かだ、ということだけ藤本は教えてくれた。
待っている間、藤本はたわいもない話をカヤにしていた。ほとんどが和幸の小さい頃の話で、教会にはずっと笑い声が響いていた。
一通り、和幸の恥ずかしい幼少時代の話をすると、藤本は黙った。あれ、とカヤが藤本に振り返ると、藤本はステンドグラスを見上げていた。その視線をたどるようにカヤもステンドグラスに目をやる。
ステンドグラスには聖母マリアと幼子キリストが描かれている。青い衣をまとって赤子を抱く聖母マリアの頭上には、輝く白い鳩が羽ばたいている。
「そういえば」と、カヤはずっと疑問だったことを口にする。「どうして、ここを選んだんですか? ここって、カインノイエの事務所、なんですよね」
すぐに返答はなかった。藤本は、カヤを見ることもなく、しばらくステンドグラスを見つめていた。何かを懐かしく思い出すような表情だ。
「ここがまだ教会だったころ、ここの神父がわたしに言いました」
「え?」
やっと藤本が口を開いたかと思えば、質問とは程遠い答えが返ってきた。いきなり、何の話かとカヤは目をぱちくりさせた。
「神は『愛』なのだ、と」
「愛?」
カヤは、そんな風に考えたことはなかった。斬新だな、と思いつつも、どういう意味なのだろう、と首をかしげる。
藤本は、ただステンドグラスを見つめて、言葉を続けた。
「この世に愛がある限り、人は救われるのだ、と教えてくれました」
「素敵な言葉ですね」
カヤは、優しく微笑んだ。この二人の様子を今誰かが見れば、二人を仲のよい祖父と孫だと思うだろう。
「わたしも、そう信じたいと思っています。
だから、ここを買い取ったのです」
「!」
「神父はアメリカの方でした。どうしても帰国しなければいけない事情があり、ここを手放された。だから、わたしはここを買い取りました」
やっと現実に戻ってきたかのように、藤本はにこりとほほえみ、カヤに振り返った。その表情は、穏やかなカインの『父親』に戻っている。
「深い事情はないのです。ただ、神父の言葉が好きだったからです。
それに、これは後付かもしれませんが……
誰にでも扉を開く教会。それは、カインたちにはぴったりな家だと思うのです」
「……そうですね」
カヤは、複雑な事情があったわけではないことに、内心ホッとしていた。藤本の話にはいつも寂しい物語が隠れている。なにも知らない自分が、軽い気持ちで質問していいのか、不安だった。質問しようとすると、常に、カインの写真をながめる藤本の表情がうかぶのだ。
だが、今回は違った。暖かい話だった。カヤは、安心したように微笑んでから、目をつぶった。
「愛がある限り、人は救われる……」
カヤの透き通るように澄んだ声が教会に響き渡る。カヤは宗教にかかわったことは今までなかった。教会に入ったのも、これが初めてだ。これからはいろうという気もない。だが、その言葉は、素直に信じてみたいと思った。
そのとき、ばたん、と扉が開く音が教会の後ろから響いた。驚いてカヤと藤本は振り返る。
「お待たせ~、ぱぱ!」
今にも下着が見えそうなスカートをひらひらとなびかせながら、セーラー服を着た少女はモデルのように中央の通路を堂々と歩いてくる。胸まであるウェーブのかかった黒髪が、ふわふわと歩くたびにゆれた。清楚で幼げな顔に、その大人びたウェーブはミスマッチしている。
「急に呼び出してすまないね」と、藤本は立ち上がり、カヤもあわてて立ち上がった。
その頃には、少女は二人のすぐ近くまで来ていた。にこっと微笑む唇のグロスが、朝日できらりと輝く。
「ユーアーウェルカム」と、ランダムな英語を言いながら、少女は藤本の前で立ち止まった。カヤはその間も、彼女のミニスカートの動きが気になった。下着が見えはしないか、と心配で仕方がない。
「その子? 電話で言ってた、紹介したい子って?」
少女は、藤本の隣にいるカヤを見やる。カヤは、「初めまして」と言おうと口をあけたのだが、それを少女の甲高い声が邪魔をした。
「その服!?」
いきなりそう叫ばれ、カヤはびくっと体をこわばらせる。
少女は、カヤに近づくと、服をまじまじと見つめた。
「あの?」
「どこで買ったの? 私も同じの持ってるんだけど」
「え?」
カヤはその言葉にハッとした。もしや……と思った。この服は、自分のではない。この服は……
「もしかして、トナミ、さん?」
おそるおそるカヤはたずねた。そう、これは和幸から借りた服だ。和幸は言っていた。よく泊まりに来るトナミという人物の服だ、と。
少女は、その言葉に、服をチェックするのをやめて、カヤを真正面から見つめる。
「そうだけど? あなた誰よ?」
「彼女は神崎カヤさんだ」
相変わらずの勢いの砺波に苦笑しつつも、藤本は横からそう言った。その名前に、砺波は「は!?」と声をあげ、藤本に振り返る。
「なんで? 神崎カヤって、確か……」
そこまで言って砺波は、あわてて口を閉じた。「確か、和幸が騙して近づいてる女でしょ?」そのセリフは、事情が分からない今は、リスクが高い。もしかしたら、今も騙している最中かもしれない。
和幸に、カヤに近づけ、という『おつかい』を伝えたのは砺波だった。恋愛とは無縁の和幸がこの『おつかい』をどうこなすのか、砺波は気になって仕方がなかった。それからというもの、自分の『おつかい』でもないのに、しつこく和幸に進展を聞いていたものだ。そのせいで、神崎カヤはまるでドラマの登場人物のような感覚で、まさか、自分が本人に会うとは思ってもみなかった。
砺波は落ち着かない表情で、じーっとカヤを見つめる。その様子に、藤本は、ははは、と笑い声をあげた。
「大丈夫だよ、砺波。彼女は全部知ってる」
「知ってる?」
それはそれで、おかしなことだ、と砺波は思った。騙しているのを知っていたら、騙せないじゃないか、と。
「どうなってんの?」
「事情がかわったんだよ」
「……ふーん」
砺波は、カインの中でも、特に藤本への『信仰心』が強い。藤本が言うならば、それでいい。疑問などいらない。そういう考えの持ち主だ。今回も例外ではない。藤本が、事情が変わった、というなら、それでいい。彼女にとって、問題なのは……
「で、私に何して欲しいの?」
それだけだった。