エミサリエス
雲ひとつない空の下、朝のひと時を屋上でリストと過ごしている。よく考えれば、ちょっと気持ち悪いぞ。なんで男二人で――ケットもいるが――真剣な顔して語り合わなきゃならないんだ。ま、事情が事情なだけにな……。
俺は、リストにカヤの『ストーカー』の話をしていた。最初に「実は、カヤには『ストーカー』がいるんだ」と言うと、リストは「なんで、早く言わないの?」と驚いたように文句を言った。とはいっても、まさか、『ストーカー』が神さまのごたごたに関係しているとは思わなかったからな。カヤは誰もが認めるほどの美人だ。『ストーカー』が一人しかいないことに驚くくらいだよ。
「なるほどね。そんなストーカー騒ぎが……」
一通り聞いて、リストはそうつぶやいた。声にどこか疲れが伺える。神の一族も疲労はあるのか。俺はのんきにそんなことを考えた。
「どう思う? 全部アトラハシスって奴の仕業だろ?」
「おそらく」
リストは短く返事をした。もっと大きなリアクションを期待していたんだが……。
「でも、なんで夕べの時点で言ってくれなかったんですか?」
「本当にただのストーカーだと思ってたんだよ。それに、お前の話を把握するので精一杯だったし。てか、お前だって俺の呪いがアトラハシスの仕業だ、ていわなかっただろ」
「まあ……そういわれたら、そうか」
リストは、確かに、とひきつった笑顔をみせた。
そもそも、ストーカー騒動と『災いの人形』がつながるとは、夢にもおもってなかった。まさか、ストーカーが、カヤの隠れたボディガードだと誰が思うかよ。今だって、正直、飲み込めていない。だが、カヤのストーカーを捕まえようと始めた『おとり捜査』でひっかかったのは、アトラハシスだったんだ。ストーカー=アトラハシスは明らかだよな。
「ところで」と、リストは軽い調子で切り出す。「今、『災いの人形』はどこに?」
「『実家』、あ、いや、カインの事務所にいる」
「安全なんですか?」
「ああ。藤本さんがついてるから、何かあったら連絡来ると思うし」
ポケットから携帯を出して、ちらりと見た。メールも着信もない。
「それに」と、携帯を戻しながらリストに目をやる。「すぐにでも戻るつもりだから」
一時間目はでるつもりだったが、どうせカヤのことが気になって集中はできないだろう、と思うと出る意味がないように思えた。リストに聞きたいことも全部聞いたし、学校にはもう用はない。
「これからどうするつもりですか?」
急に、リストは真剣な表情でそう聞いてきた。どう、て……
「さあな。とりあえず、しばらくはカインノイエでカヤをかくまうよ。
神崎が探してるだろうからな。学校も当分は休ませる」
ふと、アンリの顔が浮かんだ。真っ赤な顔でかんかんに怒っている。そうだよなぁ。カヤが学校に来なくなって一番困るのは、アンリだよな。
それに……と、今度はカヤが頭の中に浮かんできた。放課後、劇の練習をしているカヤだ。夕焼け時に台本を眺めるカヤの横顔は絵画のようで、俺はいつも見つめていた。無駄に長いセリフもすぐに覚え、リアルな演技でアンリを喜ばせ、相手役だった小倉はいつも居心地が悪そうだった。そういえば、劇の練習中、カヤは輝いていた気がする。もしかして……と、俺は思った。あいつ、あの馬鹿げた劇を、楽しんでたんじゃないだろうか。
「それがいいだろうね」というリストの言葉に、俺は現実に引き戻された。
「こっちはひき続けてアトラハシスを探す。その間、彼女をお願い」
「あ、ああ」
リストは、勢いをつけて立ち上がると、うーん、と伸びをした。
だが、探すって……この広いトーキョーでどうやって探すつもりなんだ? 現に、夕べ徹夜して見つからなかったんだろう。そもそも、このあたりにいる確証はあるのか? 俺は確かに呪いをかけられたが、そのときにアトラハシスに会ったわけでは……
あ! と俺は、あることを思い出す。そういえば、と俺は思わず立ち上がった。
「俺、アトラハシスに会ってる」
「え?」
リストとケットがきょとんとして俺を見てきた。
そうだ。夕べ、俺は会ってる。変な人物に。
「赤い眼の女だ。あいつの眼を見てから、変なことが起きた。
あいつがアトラハシスなんじゃないか?」
そう。俺を待ち構えていた変な女。顔はよく見えなかったが、スタイルのいいシルエットをしていた。外国のモデルみたいなスタイルだった。そして、あの眼。赤くぼんやりと光って、俺の思考は一瞬止まった。そして、心臓がつかまれるような痛みを感じてその場に倒れてしまった。俺の幻覚かと思っていたが……ケットが現実だと分かった今、あの女も現実なんだ。ということは、あいつが俺に呪いをかけたアトラハシスだ。
あれ、でも……リストはいつも『彼』と言っていた。まさか、あれは男だったのか?
そんな疑問をうかべていると、リストの笑い声が耳にはいってきた。
「え?」と、とぼけた声をだすと、リストは笑いながら左手の平をだしてきた。笑いがおさまるまでちょっと待ってて、ということか?
「違う違う」
そこまで爆笑することなのか? リストは、笑いで途切れた息を整えながら言った。
「それはアトラハシスのエミサリエスさ」
「え?」
「エミサリエスは、神の遣い。神の細胞でできたバイオロボットだよ」と、ケットが嬉しそうに飛び跳ねて言った。
ああ、それは覚えてるさ。このケットも、エンキとかいう神が創ったバイオロボットなんだよな。で、あの女もそうだ、ていうのか? それにしては見た目が違いすぎる。あれは、妖艶な女だった。いろんなタイプがあるんだろうか。
「どういうことだ?」
自分で考えていてもどうにもならない。俺はリストにたずねる。また膨大な意味不明の単語がでてくるんじゃないか、という嫌な予感を抱きながら。
「エミサリエスはね、ドラと呼ばれる神さまからの贈り物に宿る神の遣いだ」
「どら?」
ほら、みろ。さっそくだ。ドラ……俺の頭に浮かんだのは、麻雀だ。一度、広幸さんに誘われて麻雀をしたときに、そんな単語がでてきたのを覚えている。もちろん、今、リストが言っているドラとは全く別物だろう。
「ドラっていうのは」といいながら、リストは左手を空高く挙げた。この行動、見覚えがある。リストの左手に、光の粒子があつまり、急に大きな剣が現れた。リストはその柄をぐっとつかむと、俺に向かって剣をかかげた。
この剣、そうだ、夕べ俺をさした剣。気のせいだと思うが、俺の腹がちくっと痛んだ。
「ケットの場合、ドラはこの剣。『聖域の剣』っていうんだけど。オレの一族、マルドゥク家の王は、代々この剣を引き継ぐんだ。つまり、これは王の証ってわけ」
「それで」と、ケットは話したそうに早口でリストに続く。「その剣を引き継いだ人が、ケットの主人になるんだよ」
ふーむ。よく分からないな。
「つまり」と、俺は頭をかいた。「この剣に、お前が宿ってるのか」
ケットを見下ろしてそういうと、ケットは元気よくうなずく。
『宿る』、か。そんな言葉もスピリチュアリティで、今までろくに使ったことがない。そういえば、アニミズムとかいう思想があったな。万物に神が宿る、とかなんとか。今は関係ないけど。
「それで、この剣を持ったものが」そこまで言って、ケットに指をさす。「こいつの主人になる」
「そう」
リストは満足そうに微笑んだ。
ドラの説明はもういいと思ったのか、夕べのときのように、リストは剣をぽいっと放り投げる。つい、それを受け取りそうになるが、このあとどうなるか、俺はもう知っている。予想通り、煙のように剣は消えた。
「エンキがマルドゥク家に、ケットが宿る『聖域の剣』を遺したように……
神々は、エリドーを去るとき、様々なドラを遺していった。
オレたちにも、一体いくつのドラがこのエリドーにあるのか、把握しきれていない。
中には、多分、遺物として博物館に保存されちゃってるのもあるかもね」
そう言っていたずらっぽくリストは笑った。だが、笑い事か、それ?
「ドラには、それぞれエミサリエスが宿ってるんだよ」
間髪いれずにケットがそういう。
「神々がそれぞれ違う力をもっているように、エミサリエスもそれぞれ違う能力を持っている。基本的に、創った神の力を受け継ぐんだんだけどね」
「そういうこと」と、リストはケットの頭をなでた。「姿かたちもそれぞれ。和幸さんが見た赤い眼の女って、髪がうにょうにょして、浅黒い肌で色っぽいお姉さんじゃなかった?」
え……と、俺は戸惑う。肌の色は確認できなかったけど……あのシルエットは間違いなく、『色っぽいお姉さん』といえるだろう。そして、『髪がうにょうにょ』。なんて適当な表現なんだ、と呆れてしまうが、確かに、それは俺が夕べ見た女の髪を言い表している。
「何で分かるんだ? お前も会ったのか?」
「いや、オレは会ったことないけど、リチャードが……オレの前の王が会ったことがあって、そいつから聞いたんだ」
「ケットは会ったことあるよ」と、ケットは嬉しそうに手をあげた。
「しかし、これではっきりしたよ。間違いない。アサルルヒのエミサリエスだ」
リストは腕を組んで、満足そうに言う。
「これで、確証を得たね、リスト」と、ケットはわざわざ難しい言葉を使って言う。
おいおい、俺、置いていかれてるよ。
「アサル……なんだって?」
「アトラハシスの一族も、ある神からドラを授かったんだ。彼らも、一族の王がそれを代々引き継いでいる。そして、その神はアサルルヒ。エンキの……部下、みたいなものかな」
「部下、ねえ」
分かりやすく説明するために、そんなたとえをしたんだろうが……なんだか一気に気がぬけた。
「アサルルヒ様は呪術を得意とされてね、だから、そのエミサリエスも呪術を操るんだ」
ケットはいつも楽しそうだな。キラキラした瞳で俺を見上げながらそう言った。
なるほど。段々、分かってきた。天使は、創った神によって能力が違う。そして、天使が宿った贈り物を手にしたものは、その能力を使うことができる。もしくは、天使を操ることができる。そんなところか。
そうか、だからリスト達には分かったんだ。呪術を操る天使を使役しているのはアトラハシスだから。俺が呪いにかかったという時点で、アトラハシスが犯人だといっているようなものなんだ。
だが、それが分かったといって、俺の本来の疑問は解決されていない。
「俺が会ったのがエミサリエスだ、ということは納得した」
「そりゃよかった」
「だが、違う疑問がある」と、俺は頭をかく。「アトラハシスは、本当にこのあたりにいるのか?」
それを聞いたリストは、しばらくきょとんとして、それからケットを見下ろした。ケットはその視線に気づくと、自分の仕事を思い出したかのように、「ああ」と声をあげる。
「いるよ」
「……はっきりいうな」
「エミサリエス同士は、存在を感じることが出来るんだ」
また、スピリチュアリティな……。
「この辺に居るのは感じ取れるんだ」
そう言って、ケットは周りを見渡した。この辺……といっても、見える範囲でも気が遠くなる広さだ。
「はっきりと居場所が分かるわけじゃないらしいんだけど、少なくとも、距離はなんとなく分かるらしいんだ」
リストは真面目な表情でそういった。
なるほど。通りで徹夜になったわけだ。『気配』なんていう抽象的なもので探そうとしたら、そりゃ疲れ果てる結果になるだろうよ。
「ご苦労なこった」
大変だな、手伝おうか? なんてうわべでもいえるわけはない。俺にいえるのは、そんな冗談交じりの言葉だけだ。
***
「にしても」と、リストはにやにやとして言った。「不思議ですね」
「なにがだ?」
とっくに一時間目が始まっていることに気づき、階段室から屋上へと降りたときだった。ケットはすでに姿を消し、屋上には和幸とリストだけになっていた。
リストは、和幸が降りてくるのを見ながら怪しげな笑みをうかべている。
「夕べまでは、『おつかい』最優先、なんて言ってたのに……
今日になったら、『カヤを連れ出した』だなんて。
いろいろ気が変わりすぎじゃないですか?」
和幸は、リストの怪しげな笑みに、めんどくさいことになりそうだ、とため息をつく。
「俺もわからねぇよ。気づいたら、こういうことになってて……」
「へえ」
わざとらしい声でそういうと、リストはゆっくりと和幸に歩み寄り、まじまじと見つめた。不気味な笑顔に、和幸は後ずさる。
「なんだよ?」
「あるよねぇ。そういうの」と言って、リストは和幸に背を向ける。「理屈じゃ考えられない心境の変化」
「は?」
「なんだっけな~、それ」と、腕を組んで首をかしげる。あまりのわざとらしさに、和幸は苛立ちさえ覚えた。まるで、幼稚園のお遊戯会の演技のようだ。
「何が言いたいんだよ?」
和幸のそんな苛立った声に満足したのか、急に「あ!」と手をたたき、リストは振り返る。
「恋、だ!」
「はあ!?」
和幸は思わず叫んだ。リストは構わず、軽い調子で続ける。
「理屈じゃ考えられない心境の変化。人に不思議な力を与える魔法。世界に奇跡をもたらす力。それは、恋」と、まるでシェイクスピアの演劇をしているかのように、大げさに両手を広げながら言い放つ。
和幸は、今まで経験したことのない絡みに、言葉をなくし、口をぱくぱくさせた。何か言いたいのだが、言葉がでてこない。それをいいことに、リストはさらにまくしたてる。
「誰かに恋したんでしょ?」
「なっ」
「誰かなぁ?」
くすっと微笑むリストは、無邪気な少女のような可愛らしさがある。和幸は、殴りたい衝動にかられたが、そのせいで手がだせなかった。
「馬鹿げたことを!」と、顔を赤くして、和幸はやっとのことで言葉をしぼりだした。
その言葉に、リストは目を丸くする。自信たっぷりに「本気だよ」と言うと、和幸をのぞきこむように見つめる。
「人間なのに、愛を信じてないの?」
「は?」
今まで全力で和幸をからかっていたリストが、急に真面目な表情になった。その急激な変化に、和幸は戸惑い眉をひそめた。
「人が」と、リストは低い声でつぶやく。「人が最後に神に対抗できるとしたら……それは、愛の力だと思うんだけどな」
「愛は世界を救う、てのか。バカらしい」
和幸は、そうはき捨て、足早に歩き出す。リストはあわてる様子もなく、そのあとをのんびり歩いてきた。
「そうかなぁ。オレは至って真剣だけどな」
「そもそも、俺が誰に、愛を抱いてる、ていうんだよ」
その言葉を最後に、和幸は屋上を去った。あまりに動揺していたのだろう。リストがまだ残っているというのに、ばたん、と勢いよく扉を閉めてしまった。
残されたリストは、ただぽかんとした。置いていかれたことが寂しかったわけではない。和幸の言葉が信じられなかったのだ。
「うっそー……耳を疑ったよ、今」
「ね」と、消えたはずのケットがリストの横で立っていた。
本来は、エミサリエスは、主人が名前を呼んだときしか現れてはいけない。だが、前の主人であるリチャードがルールに甘い人物だったため、ケットはそういう意識に乏しくなっていた。リストも、もうすっかり慣れて気にしていない。
「なあ、ケット。あれは、和幸さんなりののろけだと思う?」
ケットを見ることなく、和幸が閉めた扉を見つめてつぶやく。
「さあ」と、ケットは微笑んだ。「本当は分かってると思うよ、リスト」
「え?」
「照れ隠しだよ」
「照れ隠し、ねぇ」
リストは、ふうん、と首をかしげた。
「本当に、興味深い人だ」




