『ストーカー』の正体
屋上の階段室の屋根の上で、和幸とリストは長話をしていた。ほとんど和幸が一方的に話し、リストはたまにうなずいていた。それは夕べ、リストの部屋で話したときと、逆のシチュエーションだ。
話の内容は、リストの部屋を出たあとに起きた出来事だった。カヤが家出をしようとしたこと。その原因である、カヤが盗聴した親と男の会話。そして、和幸がカヤに自分の正体を明かし、『おつかい』をさぼってカヤを連れ出したこと。
時間軸にそって、それを一通り説明すると、和幸は一仕事おえたかのようにため息をついた。
「と、いうわけなんだが……どう思う?」
リストは、しばらくじっと和幸を見つめて固まった。そして、やっと口を開いたかと思うと、「わお」とだけ言ってまた黙った。
そんな返答に和幸は満足するわけはない。不機嫌そうに眉をひそめる。
「おい?」
「いや、正直な感想ですよ。思わぬ急展開です」
「分かってる」
和幸は、頭をかいた。
「で、『災いの人形』は和幸さんの家に泊まったんですか?」
「は?」
頭をかいた手がぴたりと止まる。急な質問だった。しかも、予想外の質問だ。
「な、何の話だよ?」
和幸は、あえてそこは話さなかった。話す必要もないと思ったし、話したくはなかった。カヤと一夜をともにした。その事実は、自分でも思い出すだけで緊張してしまうからだ。和幸は、鼓動が早くなっていることに気づく。
一方のリストは、楽しそうにニコニコして、さらに問い詰める。
「彼女を家から連れ出しましたとさ、おしまい。とはいかないでしょう?
そのあとはどうしたんですか?」
「どうでもいいだろ」
「いやぁ、そうはいかないなぁ」
「いいから!」と、和幸は顔を赤くしたまま、怒鳴った。「神の一族として、意見をくれ」
それは、いらだったような早口だった。リストは、怒鳴られてもびくともせず、逆におもしろがってクスっと笑った。だが、流石にこれ以上は和幸を本気で怒らせてしまう。リストは、そこはわきまえて、神の一族として話し始めた。
「そうだなぁ。その話だけじゃ、なんともいえない、かな。はっきりいって、よく分からない」
「……そうか」
「あ」と、リストは思い出して「ケット」と、自分の守護天使の名を呼ぶ。すると、リストの横に光の粒子が集まり、それはやがて少年の形へとかわっていった。はっきりと具現化すると、ケットはにこりと微笑む。
「はーい」
「話、聞いてたよね。どう思う?」
「うーん」と、神の遣いは首をかしげた。
和幸は、ぽかんとケットを見つめていた。ケットがいきなり現れるのは何度か経験してきたが、こうして目の前でマジックのような登場を見るのは初めてだ。そうか、天使というのは本当なんだな、とぼんやりと心の中で唱えた。
「ケットにもよく分からないや。でも……彼女が売られそうだった、ていうなら、人身売買、てやつでしょ。かずゆきの専門なんじゃないの?」
「あ、まあ……」
ケットは首をかしげて和幸を見つめた。光の中から現れた少年に話しかけられ、今更ながらに和幸は戸惑っていた。どうも、現実味がわかない。この神出鬼没の少年は、自分の幻覚か何かのような気がしてならない。
「そうなんだが……」と、和幸は目をそらして頭をかいた。「俺が気になっているのは、カヤが『災いの人形』として売られそうだったのかどうか、なんだ」
「え?」と、リストとケットは同時につぶやく。
「もし、あいつがただ、『美少女』として売られそうだったのなら、俺はそれで納得できる。そういうマーケットも確かにあるからな」
「マーケット?」と、ケットが首をかしげた。
「つまり……十代の少女だけを売り買いする市場もある、てこと」
天使といえど、見た目は幼い子供だ。つい、和幸は言葉を易しくして説明していた。
「ただ……」と、和幸はリストへと視線を移して続ける。「俺はあいつが世界を滅ぼす力を持っていると知っている。すると……どうも、カヤを『災いの人形』として欲しがる奴に売ろうとしたんじゃないのか、と思えてならない」
「なるほどね」
リストはしばらく、ふーむ、と考えた。和幸の推理を聞いて、リストはある可能性を自分が見落としていることに気づき始めていた。もっと早くに思いつくべきだったのだろうが……眠気のせいだろう、とリストは思った。
「『災いの人形』を知っているのは、本当にごくわずかです」
「え?」
「神の一族や、それに関わる人間しか知らない。普通の人が知り得ることはまずありません」
「でも」と、和幸は顔をしかめた。「お前、俺に聞かなかったか? カインノイエが『災いの人形』を知っているかどうか、て」
「念のため、ですよ」
「はあ?」
「神崎カヤを調べてる組織がある……そう聞いたら、『災いの人形』がらみじゃないか、て不安になるのは当たり前でしょう? だから、念のため、確認したかったんですよ」
リストはなぜか自慢げにそう言った。確かに、的を射ている。和幸は、悔しそうに「それもそうだな」とつぶやいた。
「じゃあ、夕べの騒動は『災いの人形』がらみではない、とお前は思うわけだな?」
やっと、結論に近づける、と和幸はややリラックスしてそう尋ねた。だが、リストの表情は逆に曇った。
「いいえ。『災いの人形』がらみだと思います」
「え?」
「どういうこと、リスト?」
驚いたのは和幸だけではなかった。ケットも思わぬリストの発言に目を丸くして、主人の顔をのぞきこむ。
「和幸さんの推理は正解だと思います」
「でも、お前、さっき言っただろ。神の一族とか、そういう奴じゃなきゃ、『災いの人形』のことを知りえない。だから、カヤがそれが原因で売られるはずはない。そうだろ?」
リストはじっと和幸を見つめた。いつものヘラヘラした顔はなく、真剣だ。
「その電話の男が、もし『そういう奴』だったら?」
「え?」
言われたことの意味が、和幸には理解できなかった。電話の男……つまり、カヤを渡せ、と言ってきた奴のことだろう。だが、それが『そういう奴』だったら、とはどういうことか?
「『災いの人形』には、親代わりがいます」
「え?」
「生みの親が存在しない『災いの人形』には、育てる親代わりが必要です。その役目は、ある一族がエンキから託されていました」
和幸は、『エンキ』という言葉を、夕べの記憶からほりだそうと努力した。まるで、テストのときのように。だが、いろんな違う語句が混じってうまく思い出せない。
「エンキって何だ?」と、早々と降参することにした。リストは、嫌な顔をすることなく、すぐに質問に答える。
「エンキは、君たち人間を創り出した神。つまり、君たちの味方。
オレたちマルドゥク家の主さ」
「ちなみに、ケットはエンキ様の細胞で創られたんだよ」と、ケットは元気よく付け加えた。
「そうだった。悪い。で……そのある一族、てのは?」
「それは、アトラハシス」
「アトラハシス……」
「あ!」と、それまで大人しく黙っていたケットが声をあげた。ケットもここにきて、はっきりと分かった。リストが何を言おうとしているのか。
一方で、和幸は、ゆっくりと『アトラハシス』という単語を頭の中で繰り返していた。何かは分からないが、どこかで聞いたことがある。きっとこれも夕べの話にでてきた名前だろう。だが、やはりそれがなんだかは思い出せない。
和幸の難しい表情に、リストはすぐにそれを悟った。幼いときにリチャードから毎晩聞かされていた自分とは違い、和幸は夕べの一度だけしか聞いていない。全部覚えられずに当然だった。それでも、必死に記憶を呼び起こそうとしている和幸に、どこか申し訳なそうにリストは微笑んだ。
「アトラハシスは、エンキのお気に入りの人間。大昔、人間を嫌う神・エンリルが起こした大洪水のときも、エンキのおかげで彼の一族だけ生き残ったんだ」
「ああ、そういえばそんな話も……」
とはいったものの、あまりはっきりと思い出せなかった。記憶力には自信があるほうだったのに、と和幸は少々落ち込んだ。
「とにかく、アトラハシスは『災いの人形』を育てる親代わりの役目をエンキからさずかったんだ。特に、アトラハシス一族の王となる人間は、『災いの人形』を命をかけて見守る使命を与えられた」
「へえ……」と、和幸は力なく返事をした。不真面目な返事だったが、別に話を聞いていないわけではなかった。何かがひっかかっていたのだ。『災いの人形』、つまりカヤを守る使命をもつ人間がいる。それは、とても違和感のある話だった。なぜなら……
「なんで、そいつはここにいないんだ?」
ぽつりと和幸は疑問を口にした。リストは、真剣な眼差しで和幸を試すように見つめると、ゆっくりと結論を言う。
「……だから、戻ってくるんですよ」
「え」
リストは思い出していた。エノクの預言を。フォックス・エン・アトラハシスは、『収穫の日』、『災いの人形』を迎えに、『箱』とともに現れる。彼女はそう言った。エノクの預言は絶対だ。どういう形であれ、彼女が預言したことは必ず起こる。もちろん、『収穫の日』まではまだ二ヵ月もある。実際に現れるのは今ではないだろうが……
「彼は、彼女を迎えに来る」
リストは考え込むように、左手を口に当てた。
その横で、しばらくぽかんとしてから和幸はハッとした。
「つまり……電話の男が、そのアトラハシスだ、ていうのか?」
「じゃないかな、とオレは思いますけど」
リストはまるで、ごまかすようにおどけて言った。
「でも」と、和幸は思わず立ち上がる。「なんでだ? カヤを守る使命があるのに、なんで今更カヤのとこに現れるんだ? 今まで何してたんだよ? それに……そもそも…」
和幸の興奮が、急にさめた。ある、大きな疑問にたどり着いたからだ。
「そもそも、なんでカヤは神崎家の養女になった?」
まるで独り言のように言った和幸に、ケットは何度も頷いて賛同した。そしてリストも、「そうなんだよね」と低い声でつぶやく。こればかりは、リストも全く分からなかった。エノクに教えてもらった住所にきてみれば、見知らぬ夫婦のもとで『災いの人形』は普通に暮らしていた。フォックス・エン・アトラハシスが、『パンドラの箱』ごと『災いの人形』をどこかに連れ去った後、一体何が起きたのか。それは誰にも分からない謎だ。本人に聞く以外、それを知る方法はないだろう。
***
カヤを守る使命をもつ人間がいる。それは、なぜか衝撃的だった。なぜ、それがこんなに俺を動揺させているのか、自分でも分からない。うまくいえないが……カヤが急に遠い存在になった気がした。なんだろう、この感じ。そうだ、あれに似ている。あると思っていたテストが、急に延期になったときのような、肩透かした気分。なんなんだ?
俺がそんなことを考えていると、珍しく真面目な表情で考え込んでいたリストが、人差し指を高々に挙げた。
「ちなみに」と、高いトーンで切り出すと、俺を見つめる。どうやら、この人差し指は、俺の注意をひくためのものみたいだ。
「和幸さんに呪いをかけたのも、アトラハシスです」
「は?」
「細かい説明はめんどうなんで、とりあえず、それだけ飲み込んでください」
確かに、これ以上、新しい単語をだらだら並べられても余計混乱するだけだが……急に、そんなことを言われても、「はい、そうですか」とはいかない。
「言う必要はないと思って、夕べは言いませんでした。でも、ここまで話が進んじゃうと、言わざるをえない、というか……」
「ちょっと待ってくれ。なんで、アトラハシスが俺に呪いなんか?」
混乱している俺に構う気はないのか、リストは俺を無視して淡々と話を続ける。
「オレが寝ずに探していたのも彼です。つまり、彼はこのあたりにいる」
「おい、だから、なんで俺に呪いを?」
「どこからか『災いの人形』を見守っているのかもね」
「……見守る……?」
あれ。なんだ?
一瞬、時が止まったような気分になった。俺、大事なことを見落としていないか?
「どこの学校にいっても、必ずけが人がでたの。
それも、決まって私に近づいた男の子だった」
カヤの声が、俺の頭の中に響いた。心臓が強く波打つのを感じた。
「そうだ」
俺は放心状態でつぶやいた。
「『神崎カヤに近づくな』」
「え?」と、リストとケットがまた声をハモらせた。
そう、俺は思いだしていた。夕べの呪い騒ぎで見たあの鏡に書かれた血文字を。一夜で多くのことが起こりすぎて、思わぬ大事なことを忘れていた。リストに聞かずとも俺は知っていたんだ。あの呪いが誰の仕業か。カヤに近づく男がケガをするという呪い。カヤを何度も転校においやった呪い。それは、カヤの『ストーカー』の仕業。
いや、違う。
「『ストーカー』じゃなかったんだ」
「は?」
「ずっと守ってたんだ、カヤを」
意外なかたちで、俺とカヤの『ストーカー』捜査は終わりをつげたようだった。