『カインノイエ』へ
「この服、誰の?」
カヤは、和幸の部屋を出るなり、自分が着ているボーイッシュな洋服を見下ろした。少年のような服だが、細かいところにフリルやリボンなどの刺繍がはいっている。
寝巻きのまま、家をとびだしてきてしまったので、カヤには外出用の服がなかった。それを言うと、和幸は、たんすの奥からこの服を出してきたのだ。最初は、和幸の昔の服かと思ったが……着てみると、あきらかに女性物だった。
「それはな」と、和幸は、部屋の鍵を閉めながら言った。「砺波っていう奴のだ。たまに泊まりに来るから、何着か着替えが置いてあるんだ」
「え……」
カヤは、ズキっと胸が痛むのを感じた。この服は、女性用。背丈やデザインはカヤの年頃によくあっている。つまり、トナミは同じ年頃の女の子だろう。そんな子が、よく泊まりに来る? カヤは、そういえば、和幸に付き合っている人がいるのか確認していないことに気づいた。
カヤがそんな心配を抱いているとは露とも知らず、和幸は鍵をかばんに入れ、エレベーターへ歩いていく。
「トナミ……」
カヤはため息をついた。
***
「今日は、とりあえず藤本さんのとこに居ろよ」
和幸くんは、エレベーターを降りるのと同時にそういった。
藤本……さん? あれ、藤本、て和幸くんの苗字なんじゃ? 親戚かな?
「藤本さん?」
「ああ、俺たちカインの……親父、かな」
「え?」
「育ての親であり、カインのリーダー」
「リーダー……」
カインのリーダー……そんな人がいるんだ。
そっか。やっぱり、和幸くんはカインなんだね。こういう話を聞くたびに、しみじみ実感する。
マンションのエントランスをでると、晴れ晴れとした天気が私たちを迎えた。本当だ。苦し紛れに言った言葉とはいえ、和幸くんの『いい天気だ』は真実だったのね。
それにしても……夕べのことが、夢みたい。バカみたいにすっきり寝てしまった。いっそのこと、全部夢で……今から家にこっそり帰って、お母さんに『朝帰りとはなんですか?』なんて叱られたい。
「もしかしたら、神崎がカヤのこと探してるかもしれないからな。
しばらくは身を隠すんだ」
「……」
タイミングがいいな。一気に現実に引き戻された。
あれが全部夢だったら……なんて、無理な話よね。私は、急に気持ちが沈んでしまった。
「俺も一緒にいてやれたらいいんだけど……」
「え……」
ドキッとした。私は和幸くんを見上げた。和幸くんは申し訳なさそうに私を見つめていた。
「ちょっと……学校で用があるんだ。悪いな」
「……ううん。ありがとう」
やっぱり……優しい。
私は本当にどうしようもないバカかもしれない。和幸くんのたった一言で、元気付けられてしまうんだから。
「藤本さんには、まず俺から事情を説明するから」
「事情……か。長くなっちゃいそうだね」
「まあ、とりあえず、俺が藤本さんの『おつかい』をさぼったことを伝えなきゃなあ」
おつかい? 私は、とても久々に聞いたその単語に気をとられた。
「おつかい……て、何を買う予定だったの?」
「え?」
私の質問に、和幸くんは一瞬、ぽかんとしてから笑い出した。
「違う違う。『おつかい』っていうのは、カインの中の暗号みたいなもので……藤本さんからの指令なんだ」
「指令?」
「そう。ミッション、てやつかな。ほら、カヤを騙して……両親のこと調べるはずだっただろ? 神崎が人身売買を斡旋してる証拠を手に入れるために。でも、それを破って、こうしてカヤを連れ出して全部話しちゃったから。それも、無断で」
「……あ」
和幸くんは苦笑いで頭をかいた。『まいった、まいった』なんて冗談まじりに言ってるけど……大丈夫なのかな。どうしよう。私、やっぱり和幸くんを巻き込んじゃったんじゃ……
藤本、という人には、私から謝ろう。私は、そう思っていた。
***
カインは、カインノイエという組織に属しているそうだ。その本部は、教会だった。
驚いた。教会は、学校のすぐ近くにあって……私は何度もこの教会を見かけていたから。もう使われていない教会だ、と聞いて、特に気にしては居なかったけれど……まさか、カインの秘密基地だったなんて。
和幸くんは、ちょっと待ってて、と奥の部屋へと行ってしまった。
私は、前から三番目の列のチャーチチェアーに座った。目の前には、ステンドグラスと十字架がある。
「きれい……」
日がうまくステンドグラスにあたるように建築されたのだろう。朝日は、おしみなくその光をステンドグラスに注いでいる。
こんなに神秘的な場所だったら、神様にお祈りしたくなる気持ちは分かる。私は、他人事みたいにそう思った。
なぜなのかは分からない。でも……私は、神、というものに良いイメージがなかった。
神……神……神……
その言葉を頭にうかべると、出てくるのはまったく違う言葉。
「『裏切り』」
私は、無意識に口に出していた。
「『神は裏切った』」
誰かがそう言うのが、私の頭にこだまする。一体、いつ、誰が、どうして、私に言ったのかは分からない。でも、その言葉は、私の記憶にしっかりと植え込まれている。
私の頭の奥に残ってる、誰かの声。懐かしくて、あたたかい声。
一体、誰……?