カヤの相談
カヤの部屋は二階にあった。
玄関にはいってすぐに、カヤの母親から質問攻めにあってしまった。こんな時間になんなんだ、と。カヤはそれを無視して、俺とアンリをさっさと部屋に案内し、また下へ降りていった。
「あんま、いい関係じゃないのかな」
アンリはそうつぶやいてベッドに寝転がった。
人のベッドによく勝手にのぼれるな。と思ったが、相手はアンリだ。そう考えれば、納得だ。
「関係?」
「お母さんと、よ。気づかなかったわけ?」
母親……? 気づくって……何の話だ? さっきのやり取りか?
正直、俺にはわからない。父親代わりの藤本さんは居たが、母親代わりはいなかった。母親がどういうものかなんて、ドラマのイメージしかない。
「ほんっと、鈍感よね」
アンリは呆れたようにため息をついた。
「鈍感って……人の家庭に詮索する気はないしな」
「やーれやれ」
「? なんだよ?」
「分かってないわね、あんたは」
「分かってないって……」
「なんでもない」
アンリは、そのまま黙ってしまった。その表情は、悪巧みをしているときの顔だ。
「……」
あやしい。何を隠してるんだ?
「ごめんね、待たせちゃって」
ガチャっと扉が開き、カヤが戻ってきた。
「ベッド、気持ちよすぎて寝そうだった」
アンリは、そういいながら、ベッドから降りた。
「それで? 何があったの? 親子喧嘩?」
俺は相変わらず、カヤと目を合わせずにいた。『災いの人形』の話が……カヤを見るたびに頭にめぐってくる。今は、そのときじゃない。俺だって、さっき聞いたばかりで、まだ整理がついていないんだ。こんな状態で、当の本人に会え、ていうほうが無理なはなしなんだよ。
ええい。とにかく、『災いの人形』どーたらこーたらは、リストの管轄。今は、カヤの悩みを聞いてやるのが先だ。
え?
悩みを聞く? 俺、何様なんだ? だましてカヤに近づいてるんだよな。友達気取りか?
それに……よく考えたら、俺は今、カヤの屋敷にはいっている。これって、任務完了だよな。トイレを借りるふりして、屋敷内をさぐって……あわよくば、人身売買の証拠を見つけ出せば、『おつかい』完了だ。そうなったら、どうなる? 俺はカヤに近づく必要はなくなる。カヤとは無関係になるのか? 『災いの人形』のことも、他人事になるんだよな。俺は巻き込まれただけなんだから。それでいいんだよな。オレは、カヤを騙しているんだよな。
なんなんだ、このはっきりしない感じは?
「助けて」というカヤの声が頭に響いた。
カヤは、俺を頼ってる。藤本さん以外の誰かに頼りにされている。それは、初めての感覚で、とても嬉しい気分だった。
***
カヤの部屋の真ん中には、小さな白いテーブルがあった。自然と、三人はそれを囲むように座っていた。
「私ね……」
カヤは、緊張していた。今から自分が話すことにおびえていた。今まで、人と深い関係を築いたことのないカヤにとって、相談をする機会もほとんどなかった。人を何かに巻き込むようなこともしたことがない。
それを、今、初めてしようとしていた。
ほとんど無理やり自分を皆の輪に引き込んだ、隣のクラスの生徒・近江アンリ。
そして、今まで会ったことのないタイプの男子生徒・藤本和幸に。
「私ね、売られそうなの」
「……」
突然の告白に、部屋は静まりかえった。
「え?」
アンリは間抜けな声をだした。
「売られるって……何の話だよ?」
和幸も続いた。何か大事な話をされることは予想できていたが、まさかそんな言葉がでるとは予想していなかった。
「母と父が……変な男と話しているの聞いちゃったの」
カヤは言いながら、勉強机の上のラジオを指差した。
「盗聴した電話で……」
「え!?」
和幸はまさか……と思った。そういえば、今朝、電話を盗聴したら、とアドバイスしたっけ、と思い出した。
「まさか、実行したのか?」
カヤは恥ずかしそうにうなずいた。
「それで?」とアンリは、盗聴というキーワードに興味すら見せずに話を促した。
「うん……男がね、あの子を渡せ、て。事情が変わったから今日迎えに行くって」
「迎えに?」
「そう。変な雰囲気だったの。引き渡す、とか……なんとか」
「ねぇ」
アンリは、手を挙げて和幸たちの注目をひいた。和幸は、つい「はい、近江さん」と指名しそうになった。
「カヤっちって養子なんだよね? 見るからに……」
「……うん」
「じゃあ……それ、普通じゃない?」
「は?」
どこが普通だ!? と和幸は目を丸くした。いくら、アンリでも、そこまで非常識なのは問題だ、と怒鳴ろうかとさえ思った。
だが、アンリは、まじめな表情で続ける。
「本当の親がかえしてくれ、て言ってるんじゃないの?」
「あ……なるほど」と和幸もうなずいた。それは、一つの可能性だ。
だが……和幸は、ひとつ間をおいて、ハっとした。大きな疑問がうかんだのだ。
カヤに実の親は存在するのか?
リストの話だと『災いの人形』は『アプスの粘土』から創られる。つまり、カヤは人間ではなく、土人形なのだ。土人形に親などいるのだろうか?
和幸は一人で考え込み始めていた。
そんな彼をよそに、カヤとアンリは『実の親』説で話を進める。
「でも……両親は、必死にお金を要求してた」
「そうでしょうよ。だって、今までの養育費もあるじゃない。
それを無視して、すぐ返せ、なんてむしがよすぎるもの」
「……」
アンリのいうことは一理ある。だが、カヤは、どうも納得できずにいた。
電話での両親の態度があまりにも不自然だったからだ。母も父も、いつもの優しい両親ではなかった。それに……と、カヤはおそるおそる口を開く。
「『わたしのような人間』てどういうことなのかな」
「え?」
アンリと和幸は声をそろえていった。
「父が言ったの。
警察は汚職の巣窟だけど……『わたしのような人間』にとっては、強力な味方なんだ、て」
「!!」
その言葉に、一番、反応したのは和幸だ。
『わたしのような人間』。和幸には、それがどういう人間のことか、安易に予想がついた。それは、カインである和幸と最も関わりのある連中だ。
カインノイエの読みはあっていた。この瞬間、和幸は確信した。やはり、神崎は人身売買にかかわっている。警察が味方だ、というからには、それほどの力をもっている。神崎は、このあたりの人身売買を牛耳っている黒幕に違いない。和幸は、ぎゅっと拳をにぎりしめた。心の中で、興奮と憎悪がうずまいた。
しかし……と、和幸はカヤを見つめた。
彼女は、一体どういう星の下に生まれてきたのだろうか。和幸は、胸が苦しくなるほどせつなくなった。カヤは、人類を裁く『災いの人形』。そして、その育ての父は人身売買を斡旋している悪魔のような男。
だが、和幸は分かっていた。自分に、それを同情する権利はないことを。カヤを騙している『友人A』は、他でもない……自分なのだから。
「よく、わかんないけど……カヤっちのお父さん、お金持ちだからじゃない?」
もちろん、そんなことアンリが想像つくはずもない。アンリはカヤの広い部屋を見回して言った。
「そう、なのかな」
カヤはうつむいた。到底、納得できるはずはない。彼女は疑心暗鬼になっていた。全ては、二ヶ月前から始まっていたような気がした。『ストーカーということにしている』と電話で誰かに怒鳴っていた母の姿を見たあの朝から。あのとき、問い詰めるべきだったのかもしれない。もっと早く、あの電話の真相を直接聞き出すべきだったのかもしれない。いや……聞かなくて正解だったのかもしれない。聞いていたら、何をされていたか分からない。カヤには、もう何を信じればいいのか分からなくなっていた。
「とにかくさ……その電話って、今さっきの話でしょ。
今すぐ家出するのはどうなのかな」
アンリは、カヤの顔をのぞきこみながら優しく言った。
「今日は寝て、冷静になって、明日また学校で話し合おうさ」
そうだそうだ、それが一番だ、とアンリははしゃいでみせた。
「そうかもな」と、和幸も遠慮がちに続いた。「一度、冷静になったほうがいいかもしれない」
それは、カヤではなく、自分へ向けた言葉だった。もう、この家を探る必要もなくなっていた。さっきのカヤの証言で、神崎が人身売買を斡旋している、という確信はもてたからだ。あとはこれをカインノイエに行って藤本に報告すればいい。
しかし……和幸には気になることがあった。もし、神崎が人身売買にかかわっていて、カヤを誰かに金と引き換えに渡そうとしているなら……カヤの『売られる』という表現は適切だろう。問題は、誰に、そして、何のために、だ。
リストは、和幸の『おつかい』が『災いの人形』にかかわるものなのか気にしていた。ということは……神崎が、カヤを『災いの人形』と知って売ろうとしている可能性も考えたほうがいいのだろう。それに、『災いの人形』といえど、実の親、というものがいるのかもしれない。
とりあえず、明日、リストに聞いてからだ、と和幸は自分を落ち着かせた。
「うん、そうだね」
カヤはうつむいたまま言った。その表情は、まだ納得していなかった。