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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第一章
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疑心

 タールは、近くの駐車場に止めていた車に乗り込んだ。車の後部座席の扉にはへこみがある。

 運転席に座ると、アタッシュケースからライターを取り出した。ゆっくりとタバコをくわえ、火をつけ、一服する。


「お嬢様はおとなしかったか、レッキ?」


 煙を出しながらそうたずねると、助手席に座っていたレッキは「うん」と後部座席を振り返った。

 そこには、青ざめた顔で座っているナンシェがいた。髪は乱れ、顔や体にはあちこちあざがある。


「待たせて悪かったな。目的地が決まったよ」

「……エノク様は」


 ナンシェは震えながら、消え入りそうな声でそういった。それが今、彼女がだせる精一杯の声量だった。


「あぁ、エノクね。かわいらしい人だったよ」

「……」

「冥府にお送りした」

「!!」


***

 

 なんてことを……

 わたしは、頭が真っ白になった。これでも、神の一族だというの?

 タール・ニヌルタ・チェイス。『ルル』を嫌う神、『エンリル』の子孫。わたしたち、マルドゥク家と対立する一族の王。

 彼は、アトラハシス一族を皆殺しにして……そして、わたしの親戚も皆、殺した。

 わたしも、殺されると思った。でも、命がおしければ黙って言うことを聞け、と脅されて……こんなところまでつれてこられた。

 逃げなきゃいけない。それは分かってる。でも……怖い。ここに来るまでの間、さんざん恐怖をうえつけられた。今では、逃げようと思うだけで、足がすくんでしまう。


 それに……。わたしは、助手席にすわっている少年を見つめた。姿はケット様によく似ている。違うのは髪と目の色だけ。あとは双子のようにそっくりだ。つい、見た目に惑わされて、助けを求めてしまいそうになる。でも……彼はわたしの味方じゃない。

 彼こそ、『エンリル』のエミサリエス。名前は、レッキというらしい。


 ニヌルタは、彼にいつもわたしの監視をさせてる。さっきだって、エノクと会いに行く、と言って、わたしをレッキに任せて車から降りていった。

 何度か、逃げようかと思った。逃げなきゃいけない、て。でも、そのたびに


――やめて。


 レッキはわたしに言った。その言葉は、脅すわけでもなく、無関心でもなく……寂しそうだった。


「ナンシェお嬢様よ」

「!」


 タバコを一本すい終わったころに、タールは言った。皮肉まじりの言い方で。


「なんて顔してるんだ?」

「え……」

「顔色が悪い。どうかしたか?」

「……!」


 分かってるに決まっている! なのに、わざわざ聞いてくるというの?

 わたしは、あざだらけの両手をぎゅっとあわせた。

 わたしはマルドゥクの女。恐怖になど負けてはいけない。強くなくてはならない! すうっと息を吸った。


「エノクは……偉大なる預言者。永遠の秩序を知るお方。そんなお方を、あなたはよく……!!」

「はははははは!!」


 ニヌルタは、大声で笑って、ハンドルをたたいた。


「それを君が言うか」

「……」

「エノクの居場所を教えてくれたのは君だろ」


 ぐっと喉がしまったように息がつまった。

 どうして、この人は……


「君は、自分の命惜しさに、エノクの居所を話した。

 なんて偽善者だ」

「……っ」


 どうして、この人は……人の罪をほりだすの?

 ずっとためていたかのように、涙が次々にこぼれだした。

 つらいのは……それが、本当だからだ。

 わたしは、エノク様の居場所を彼に話してしまった。小さい頃、リチャードおじいさまに、『困ったときはここをたずねなさい』と、エノク様の居場所を教えてもらっていた。でもまさか……こんなことになってしまうなんて。

 エノク様を殺したのは……わたしだ。


「リチャード・マルドゥクがエノクを探し出した、という噂は聞いていたからな。マルドゥクを根絶やしにするついでに、聞き出そうと思ったんだ。一族の誰かは知ってるはずだと思ったからな」


 ニヌルタは車の鍵をポケットから出し、エンジンをかけ始めた。


「そしたら、ある女が言ったんだよ」


 なにを……話し出すつもりなの?


「ナンシェという娘が知ってるはずだ、と」


 え……

 心臓が、どくん、と鼓動をうった。それは、ありえない。リチャードおじいさまは、誰にも内緒だ、て言ってた。一族にも内緒だ、て。わたしがエノク様の居所を知っていることは……誰も知らないはず。


「その女はな、ナンシェが知ってるはずだ。リチャードの一番のお気に入りはあの子だから、と。命乞い代わりに言ってきたよ」

「!」

「なんだ、その理由は? と思ったが……本当だったなぁ!」


 お気に入り……? そんなこと、初めて聞いた。それは、とてもかわいがられたけど……。ほかの皆に、そんな風に思われてたなんて……


「お前、一族の中で、相当評判悪かったみたいだな」

「え……」


 ニヌルタは、たたみかけるようにそう続けて、また大笑いをした。気分よさそうに鼻歌を歌いながら、アクセルを踏んだ。車が動き始める。

 わたしは、呆然としてしまった。

 一族の中で、争いごとが絶えなかったのは知ってる。でも、わたしは剣の継承者じゃなかったし……反感を買うようなことなんて、したことない。と、思ってた……


 わたしはもしかして……一族のこと、なにも知らなかったんじゃないんだろうか。リチャードおじいさまのお気に入りだから、ちやほやされてただけ?

 もう皆、いない。確かめることなんてできない。でも、もしそうだったとしたら……わたしは―――。


「……あ」


 ふと、リストちゃんの顔が脳裏をよぎった。そうだ。リストちゃんは? 

 リストちゃんも、もしかして……わたしがリチャードおじいさまのお気に入りだから、わたしに優しくしてくれてただけ? それとも、リチャードおじいさまに言われたの? 

 嫌だ。考えたくもない。

 わたしはぎゅっと体を丸めた。

 怖い。リストちゃんと会うのも怖い。確かめる勇気も、わたしにはないよ。

 

「……」


 涙が、頬の傷にしみた。


「泣くのは、まだ早いぜ」

「え」


 ニヌルタは、軽い口調で言った。

 今度は……何を言い出すつもり?


「お前は、俺の切り札だ」


 ニヌルタの冷酷な表情が、バックミラーにうつっていた。

 背中に寒気が走った。この人、まだ何かをしでかすつもりだ。


「まだ……まだ、わたしに何かさせるつもりですか!?」

「そのために生かしてるやってるんだろ。頭悪いの?」

 

 ニヌルタは冷たく言った。

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