預言者の苦悩
多少、残酷な表現があるやもしれません。
苦手な方はとばしてください。
この章をとばしても、内容がわからなくなることはないかと思いますので大丈夫です。
また、この話は完全なるフィクションです。
登場する事件、人物は、実際の場所とは一切関係ありません。
イギリス。エディンバラ。
崖の上に築かれた歴史ある城、エディンバラ城。その門の前で、多くの観光客がわいわいと写真をとりながら見物している。その中で、一人の少女だけは落ち着いた様子で街を見下ろしていた。
「ポリーさま! みつけた!」
ブロンドの髪を三つ編みに結った十三ほどの歳ごろの少女が、彼女に駆け寄ってきた。
『ポリー』と呼ばれた少女は、三つ編みの少女に振り返る様子すら見せずに、ただ口元に笑みをうかべる。
「何の用? オリヴィア」
「何の用、じゃありませんよ。占星術の館をしめるってどういうことですかぁ?」
オリヴィアは泣きそうな顔で、その場にぴょんぴょんはねた。
「あなたには悪いことをしたわ。ずっと昔から決めていたんだけど……
あなたがあまりに楽しそうに働いていたから言いづらくて」
ポリーは、せつない表情をうかべてそうつぶやいた。
彼女の名前は、ポリー・エノク・マッコーネル。永遠の秩序を知る者である証、『エノク』の名をもつ少女だ。
一方、オリヴィアは近所の学校に通う高校生。ポリーの占星術の館でバイトをしている。といっても……一度、ポリーの占いに世話になったことがきっかけで夢中になり、無理やり働いていたようなものだが。
本人は弟子入りしたいつもりなのだが……ポリーの占いにはタネがある。『エノク』、という誰にもマネできない大きな仕掛けだ。何度も、無理だ、と言ってはいるのだが、オリヴィアが聞く耳をもたないので、ポリーはそのまま放っといていた。
喜怒哀楽も激しく、ドジばかりするオリヴィアを見ているのが楽しかった、というのも理由の一つだったが。
自分の感情の起伏が激しすぎて他人のことまで気が回らないオリヴィアだったが……今日のポリーの様子がおかしいことにはさすがに気づいた。
オリヴィアはぽかんとして首をかしげた。
「ずっと昔って……どうかしたんですか?」
「ねえ、オリヴィア」
急に、その小さい体からは予想できないような、低く真剣な声でポリーは言った。
「この世界には、二つの運命がある。なんだか分かる?」
「え? さあ……考えたこともないです」
「可変の運命と……不変の運命」
「はい?」
オリヴィアは、かしげていた首をさらにかしげた。
「可変の運命はね……そうね。簡単にいっちゃえば、人の力で変えることのできる世界のルール、かな。決して絶対ではない秩序」
「はあ」
「一方で、不変の運命は……どんなことがあろうとも、永遠に変わることのない世界のルール」
そこまで言って、ポリーは振り返った。
「わたしはね、その不変の運命を知っているだけなの」
「……え?」
もちろん、オリヴィアが話を少しも理解できていないことは、ポリーは分かっている。ポリーは、微笑しながら話を続けた。
「永遠に変わらない世界の決まりごとを、ただ知っているだけなの。
でも、それだけで……わたしは全てを知ることができる。
それが、エノクというものなの」
エディンバラ城に風が吹き付けてきた。ポリーは冷たい風を感じながら目をつぶった。
「わたしには、なんの力もない。知っているだけ。なにもできない。
頭でっかちの赤ん坊。自分で立ち上がることさえできない」
「はい?」
「わたしは……運命を受け入れることしかできない」
「……はい??」
オリヴィアがあまりにも首を傾げるので、このまま首をひねるのではないか、とポリーは心配になった。
「変な話をしたね。気にしないで」
「そういわれましても……」
「あなたは、幸せな一生をおくるわ」
ポリーは、とても穏やかな笑顔でそういった。言われたオリヴィアは、急に言われて目が点になった。しばらくして、やっと文章を理解したのか、目を輝かせた。
「そ、それって……それって、占いですか!?」
「ちがうわ。知っているだけ」
それはなぜか、落胆の声にもきこえた。
「……え?」
「それより!」ポリーは、急に声の調子を変えて手を組んだ。「あなた、今日、弟の誕生日じゃないの!? いろいろ準備があるでしょ?」
「あ!」
さっきまでうきうきしていたのが嘘のように、オリヴィアは一気に青ざめた。
「そうだったー!」
どうしよう、どうしよう、とその場でじたばたしてから、オリヴィアは駆け出した。
「占いの弟子入りはまだあきらめてませんからー!」と、ポリーに叫び、観光客にぶつかりながらオリヴィアは去っていった。
「……」
その姿を、幼い少女は、まるで娘をみるかのようにいとおしそうに見つめていた。
「すみましたか?」
ふと、隣で街をみおろしていた男がポリーに話しかけた。
「ええ……またせたね」
男は、ポリーの言葉に肩をすくめた。
「な~に。こっちはあと三ヶ月も時間はありますから」
「余裕ね」
ポリーは男をにらみつけた。
「アトラハシス一族の件。神の一族といえど、許されるものじゃない。
タール・ニヌルタ・チェイス」
タールは、それがどうした、というような強気の表情で笑い出した。
「ははは! それをあなたがいいますか。エノク。
あなたは、全てを知っていながら黙っていた。
アトラハシスを見殺しにしたのはあなたでしょう」
「……なにも言うまい。その通りだ」
エノクであるポリーには、もちろん、アトラハシス一族が皆殺しにされることは分かっていた。
だが、知っていても何ができるわけではない。エノクは、何かをするには知りすぎていた。まるで知識で雁字搦めにされているような気分だ。そうやって、ポリーは罪悪感をつのらせてきた。
「お前は、今から私も殺すのだろう」
言われて、タールは顔をこわばらせた。
「知っていて……現れたのか」
観光客が、二人の前で記念写真を撮り始めた。観光客が立ち去るまでの2分ほどの間、二人は黙っていた。
「それなら」と先に沈黙をやぶったのはタールだった。
「それなら、話は早い。
だが、お前を『裁く』前に答えてもらいたいことがある」
「……」
「『災いの人形』はどこだ?」
やはり、その言葉がくるのか……とポリーは、目をつぶった。落胆のため息がでた。
「お前が言わないとどうなるか……もちろん、知ってるんだろうな」
タールは、ゲームでもしてるかのように嬉しそうに笑った。
「……」
ポリーは、怒りを抑えるかのように深く息を吸ってから、目を開いた。軽蔑するかのような視線でタールをにらみつけて、ゆっくりと話し始める。
「アトラハシスの次はマルドゥクまで皆殺しにするとは……」
それを聞いて、タールは「おや」とわざとらしく声をあげた。
「皆殺しじゃありませんよ。まだ……ね」
試すようにポリーを見下ろして、タールは怪しく微笑んだ。
「わかってるだろうに。皆殺しになるかは……あなたの返答次第だって」
「ニヌルタの王……なぜ、こんな暴挙を!」
ポリーは我慢できずに、怒鳴っていた。
エノクは変わらない運命を知っている。だが、『知っている』ことと『理解』は別だ。全てを知っているといわれるエノクも、全てを理解しているわけではない。いや、だからこそ、全てを知っている彼女はつらかった。
なぜ? どうして? 彼女がいくらそう叫んだとしても何も変わらない。ただ、ソレは起きてしまう。何が起きるかは知っていても、それを起こす人の感情までは彼女にも理解できないのだ。
「俺は優秀だよ」
苦しそうな表情のポリーとは対照的に、タールは爽やかにさえ見える涼しい表情でつぶやいた。
「優秀?」
「優秀だから、『災いの人形』を手にいれ、『テマエの実』を食わせるさ。
『終焉の詩』も詠わせる。絶対にな。
俺がニヌルタの王になったときに、世界の終焉は決まってたんだ」
「何がいいたい?」
「『ルル』は滅びる。俺のおかげでな。
だから……今、何人、俺が殺そうが結果は変わらない。
それが分かってしまったのさ」
「……」
ポリーの顔から、表情が消えた。
彼女には、見えた。タールの心の奥に潜む、長く複雑な葛藤で出来上がった黒いしこりが。
「そうか……」
「あ?」
「かわいそうに」
「!?」
かわいそう、という言葉をタールは初めてなげかけられた。なぜか、心が荒れた。
タールは、すばやく右手を天に挙げた。すると、なにもなかったはずの空中に、大きな剣があらわれる。タールはその柄をいきおいよく握ると、剣の刃をポリーに向けた。
「いいから、教えろ! 『災いの人形』はどこだ!?」
「……」
周りは、やっと二人のおかしな様子に気づき、ざわつき始めた。観光客の中では、なにかのパフォーマンスか、と写真を撮っているものまでいる。
「『ルル』の命を消し去る『冥府の剣』か……」
微動だにせず、あくまで冷静にポリーは言った。
「たとえ不老不死であろうが、エノクも所詮は『ルル』だ。
この剣は効くはずだ」
彼女は、じっと剣を見つめている。もう覚悟は決めていたのだ。ずっとずっと大昔に。
「言え! 『災いの人形』の居場所を!
早く教えねえと……先に、あの小娘を」
「トーキョーだ」
「と……トーキョー?」
「ニホンのトーキョーだ」
ポリーは、タールに優しく微笑みかけた。
「お前は……そこで決着をつけるがいい。
答えを見つけなさい」
「!」
その笑顔は、剣を向けられている人間がする表情ではなかった。タールは、ひどい恐怖感にかられた。なぜかは、彼にも分からない。
だが、気づいたときには、彼女に剣を突き刺していた。
鼓動が早い。こんなことは彼にとって初めてだった。タールはうなだれているポリーを見つめた。感情的になって剣を振り下ろしたのは初めてだった。その瞬間は覚えていない。きっと、周りで悲鳴をあげた観光客のほうがしっかりと目にやきつけただろう。
観光客はしばらく静まり返り、それから誰からともなく、また悲鳴をあげはじめた。「子供が殺された!」「剣で刺した!」と、次々と走って逃げていく。中には、その場から動けないものもいる。
タールは、柄から手をゆっくりと離した。手がじんわりと湿っている。
手を離した瞬間、剣は跡形もなく消え、ポリーはその場に倒れた。
観光客は、剣が消えたことに、さっきと違ったざわめきを起こした。
「……答えだと?」
タールは眉間にしわをよせ、舌打ちをした。気を落ち着かせるために、タバコを出し、口にくわえる。ライターをとろうとポケットに手を入れたが、見つからない。
「くそ!」と怒鳴ると、タールは観光客のほうへ顔を向けた。観光客は、おびえた表情で後ずさった。
一瞬でも、ライターを誰かから借りようなんて思った自分をタールは恥じた。
***
しばらくして、その場に警備員が駆けつけた。そのときには、タールはとっくに姿をけし、ポリーの周りを野次馬が囲んでいた。
「マジックだったのか?」などという不謹慎とも思える言葉が、野次馬から聞こえてきた。
「ちょっとどいて」と、警備員は野次馬をどけ、ポリーの遺体を見つける。すると、警備員は首をかしげた。「でまかせか?」と。
ポリーの遺体には傷一つなかった。血もでていない。そして剣で貫かれた腹部にも、変わった様子は見られない。ただ、ポリーが眠っているように横たわっているだけだった。
剣は目の前で消え、そして傷もない。
この奇妙な事件の噂は、一気に街中に広まることとなる。