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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第一章
36/365

変動

 深夜に近づき、静まり返った神崎の屋敷。明かりが灯る部屋は数えるほどしかない。二階のカヤの部屋と浴室。そして、カヤの母親である神崎舞が夜のひと時を紅茶とともに過ごしているダイニングだ。

 舞はダイニングテーブルに腰を下ろし、カタログを眺めていた。そこに並ぶのは、細部にまで趣向を凝らした指輪の数々。


「どの指輪もいまいちね」と、独り言をつぶやきながらページをめくる。特にどの指輪に興味を示すわけでもなく、ページをめくっては文句をつぶやく――それを繰り返していた。


「奥様」と、不意に、洗い物を終えたメイドが手をエプロンでふきながら、彼女に背後から歩み寄る。「終わりました」


 すると、振り返るわけでもなく、舞は右手をはらってみせた。これはいつも通りの合図。『さがっていい』という意味だ。

 メイドは頭を下げ、エプロンをはずしながら、部屋を出ていった。

 彼女が今夜この屋敷に残っている使用人の最後の一人。これで屋敷には、家族三人と、数人のガードマンしかいないはず。

 今日も変わらぬ一日が終わるのね、と舞はどこかつまらなそうにため息をつく。――と、そのときだった。気を抜いた舞を諌めるように、突然電話が鳴り響いた。


「なに!?」


 もう時計は十一時を回っている。こんな時間に電話がくることはめったにない。舞は常識知らずの真夜中の電話に、驚きとともに苛立ちさえ覚えつつ、乱暴に立ち上がった。


「なんなの、こんな夜中に……」


 吐き捨てるようにそう言って、カタログをダイニングテーブルに叩きつけた。ナイトガウンをなびかせ、電話へと歩を進める。パタパタとあわただしく床とぶつかるスリッパの音は、舞の心中が穏やかではないことを象徴していた。

 ダイニングルームの端で、目覚まし時計のように騒がしく音を鳴らす固定電話。その前に立つなり、舞はすぐさま受話器をとる。


「神崎ですが」と、怒りを抑え、出来る限り気高く努めた。が、その努力はすぐに無駄であったことを悟る。

「カヤをかえしてもらおう」

「!!」


 唐突に鼓膜に飛んできたその聞き覚えのある声に、舞は目を見開いて息を呑んだ。


「な……あなた……」

 

 朝の八時に毎日のように電話は来たが、こんな時間ははじめてだ。若くも、まるで機械の声のように、感情が感じられない冷たい声。聴覚を通して全身にプレッシャーを与える妙に落ち着き払った声。聞き間違うはずもない。舞は動揺と緊張で狂ったように騒ぎ出した心臓をなんとか落ち着かせようと深く息を吸い込んだ。頬に汗がにじみでて、身体に熱がこもっていくのを感じる。

 舞はごくりと生唾を飲み込んで、慎重に電話の向こうの男に尋ねる。


「カヤをかえせ? どういうこと……?」

「事情が変わった。カヤを迎えにいく。用意しておけ」


 電話の男は、淡々と指示を伝えるだけだ。特に事情を説明する気配もない。舞は表情をがらりと変えて、受話器を持つ手に力を込める。


「なにいってるの!? カヤを引き渡すのは、あの子の誕生日のはずだよ!?」

「事情が変わった」


 また同じ言葉だ。この男はいつもこうだった。自分の用件を押し付けるだけ。こちらの話を聞こうともしない。

 舞はかっと頭に血がのぼるのを抑え切れなかった。


「ちょっとまちなさいよ! カヤを無事に誕生日に引き渡す。それが契約のはずだよ!?」

「もう家の近くに来ている」

「冗談じゃないわ!」


 舞は恐怖と怒りで自分をコントロールできなくなっていた。こうなれば、今までのうっぷんもついでにはらしてやろうか――そうとさえ思い始めていたそのとき。


「どうした?」


 そんな渋い声が舞の背中に投げかけられた。

 舞がハッとして振り返ると、そこには湯気を立たせてバスローブに身を包む五十代半ばほどの男。カヤの父親である神崎昭三だ。

 どれほど怒っていたのだろうか。舞は彼が部屋にはいってきたのにも気づかなかった。どこか安堵したようにため息をつくと、「あいつが……かけてきた」と震える手で受話器を彼に差し出す。


「今すぐカヤを渡せ、て」


 そう付け足すと、昭三も眉間に深い皺をよせた。奪うように舞から受話器をとると、「どういうことだ!?」と叫んだ。


「事情が変わった。今すぐあの子をかえしてほしい」

「金が先だ」


 舞とは対照的に、父親はあくまで冷静かつ慎重に言った。その隣で、両手を胸の前で組み、舞は不安そうな表情で佇む。


「……」


 電話の向こうで、男は言葉を失ったようだった。いや、何かを企んでいるのか。とりあえず、男は黙り込んでいる。昭三は、ここぞとばかりに言葉を続けた。


「金を払わなければ、カヤをつれていっても、警察に誘拐されたと通報するぞ」

「あなた!?」


 驚いて声をあげたのは、受話器の向こうの男ではなく、舞だった。今にも金切り声で叫びだしそうな彼女を、昭三は受話器を持っていない手で制する。その鋭い眼差しはじっと真正面へと向けられている。たとえ姿は見えなくても、そこでは駆け引きが行われているのだ。舞はそれを悟って、唇をきゅっと結ぶ。

 しばらく沈黙が続き、最初に口を開いたのは昭三だった。


「今じゃ警察も汚職の巣窟だ。役にたたないと思うか?」と切り出して、唇を妖しく笑ませる。「違うな。わたしのような人間にとっては、強力な味方なんだ」


 もう一押し、と昭三は語調を強めて男に尋ねる。


「どうする?」

「明日、また連絡する」


 有無をいわさずさらりと答え、男はぶちりと電話をきった。

 通話の終了を知らせる音が虚しく昭三の鼓膜を震わせる。

 昭三は、一仕事終えたかのようにため息をつき、受話器をゆっくりと戻した。それを見届けるなり、舞はいてもたってもいられずに昭三の腕にしがみついた。


「あいつ、なんだって?」

「明日……連絡がくる」


 昭三の答えを聞いても舞の不安は晴れない。眉を曇らせ、声をひそめる。


「事情がかわったって……金はどうなるの?」

「大丈夫だ。金は必ず手に入れるさ」


 昭三はくるりと身体を舞に向けると、その肩に手を乗せる。安心させるようにさするが、舞の表情は優れない。


「あいつは……」と舞は憎悪を吐き出すように顔をしかめてつぶやいた。「あいつは、何者なの? 気味が悪くてしかたがないわよ」

「安心しろ。それももう少しだ。カヤを渡せば、あいつともさよならだ。カヤさえ無事に渡せば……大金が手に入る」


***


「どういうこと……」


 カヤは、自分の心臓が破裂するのではないか、とさえ思った。今まで感じたことのない熱さを胸のあたりに感じていた。

 震える手でラジオの電源を切る。ベッドにすわったまま、ラジオを呆然と持っている。なにも考えることができなかった。ランプだけしか明かりをつけていない部屋は真っ暗で、とても静かだ。

 さっきまで、ラジオからは両親と妙な男との会話だけが響いていた。


「どうなってるの?」


 カヤは、髪をくしゃっとつかんだ。

 カヤは後悔していた。今朝もらった和幸のアドバイスを実行したことを。

和幸から『盗聴』という案を聞いたときは、そんなこととてもできない、と思った。だが・・・家に帰って電話を見たとき、はやる気持ちをおさえきれなくなったのだ。

 まさか、こんな会話をきくことになるとは夢にもおもってなかったカヤは、コフィンタワーに向かった。表ではとても買えない非合法な商品はなんでもそこで買える、という噂を聞いたことがあったからだ。

 噂は正しかった。盗聴器を手に入れるのに、十分もかからなかった。

 しかし・・・まさか、こんな会話を聞くことになってしまうとは・・・・・・


「どうしよう」


 これは、盗聴器なんて仕掛けた罰なんじゃないか、とカヤは思った。


「どうしよう……!」


 カヤは、ラジオを抱いてうずくまった。


***


 リストはシャワーを浴びて、服を着替えた。まだほかほか暖かい体で服を着ると暑苦しい。


「これで外でたら、また汗かくよなぁ」と言ってうなだれながら、靴を履き始める。


「ケット」と、名前を呼ぶと、光の粒子がリストの後ろに集まり、ケットが現れた。


「はーい。彼を探しにいくの?」

「うん。呪いをかけるようなエミサリエスは一人しかいない。そうだろ?」

「『アサルルヒ』のエミサリエス、だね」

「そう。その『ドラ』は鏡。アサルルヒのエミサリエスが宿る鏡を授かったのはアトラハシスの一族だ」


 ドラ、とは神から授かりし『贈り物』を意味する。ドラにはエミサリエスが宿っていて、それを授かったものは、そのエミサリエスの主となることができる。ケットの場合、ドラは『聖域の剣』である。


「アサルルヒはエンキ派の神のはずだ」


 リストは深刻な表情を浮かべた。


「当然だよ。アトラハシス一族は、『エンキ』様に仕える『ルル』。本来なら、今、リストをサポートしているはずなんだ」

「それが……『パンドラの箱』を持ち出し、行方をくらましている。エノクの話じゃ、『人形』に『テマエの実』を食べさせようとしているというし。さらに……関係のない和幸さんに呪いをかけた」


 そこまで言って、リストは腰に手をあてがう。


「やってること無茶区茶だよ。使命なんて知ったこっちゃない、て感じだな。

 これをエンキが知ったら……アサルルヒはただじゃすまない」

「エミサリエスの責任は、それを創った神がとるものだからね」


 二人は、暗い玄関で黙って考え込んだ。


「ま……とりあえずは、アトラハシスの王を探そう。話はそいつから全部聞く」

「うん、そうだね」


 リストは、鍵を持っているのを確認し、ドアノブに手をかけた。そのとき、ケットは嬉しそうにフフッと笑った。


「ん? なに?」

「あ、ううん。そういえば、さっき……リスト、和幸さん、て呼んだな、と思って」

「え?」


 言われて、リストは照れくさそうに顔をそむけた。


「本人が、嫌だっていうんだから……そりゃ、呼び方変えなきゃさ」

「……そうだね」


 ケットは、満足そうに微笑んだ。


 ***


 気づいたら……俺は、カヤの家の前にいた。『災いの人形』のこととか……いろいろ考えてたら、足が勝手にこっちに進んでいた。


「俺は……何するつもりなんだ」


 自分でも、よく分からなかった。カヤを助けたい。それだけははっきりしていた。カヤをだましておいて、こんなこと思うのは矛盾してるかもしれない。でも、放っとけない。なんか分からないけど・・・放っとけない。


「『災いの人形』はあなたに恋をしています」


 リストの声が響いた。その瞬間、心臓が大きく鼓動をうった。


「はは……そんなわけ、ないだろ」


 くそ、調子が狂う! なんで、あいつはあんな変なことを言ってきたんだ?

 ダメだ。とにかく、一回、部屋に戻って……頭を冷やそう。


 俺が、そう思って、くるりと踵を返したときだった。


「和幸?」

「え!?」


 目の前に、アンリがいた。

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