友人の息子
「――ということになったよ、渚くん」
曽良と嵐が去った部屋で、斉藤耕作は机の上に置いておいたケータイの画面に触れ、ぽつりとそう言った。
『生きた心地がしませんでした』
スピーカーに切り替えた電話から、そんな女性の堅い声が聞こえてくる。
「わたしもだよ」
なんて暢気に言って、耕作はククッと笑って椅子に深く座り直した。
「久しぶりに汗をかいた」
この部屋にいても、逐一、ロビーの監視カメラの映像をパソコンからチェックできるようにシステムを組んであった。だから、ロビーに現れた嵐と、その隣にいる不審な女子高生の姿はすぐに確認できた。その女子高生が藤本曽良だということまでは監視カメラの映像では分からなかったが、年の頃くらいは分かった。――それだけで、十分だった。
議員を殺して回っている『少年』がいることは知っていたし、その被害者が、殺される順番までそっくりそのままあの日の『フィレンツェ』のオークションの参加者名簿と一致することも渚が暴き出していた。だから、分かっていたのだ。次は自分だ、と。
そんなときに、たとえ呼んでも自分の元に顔を見せに来ない嵐を連れて、十代そこらの子供がやってきたのだ。
議員殺しの『少年』――すなわち、カインの生き残りだろう、と耕作はすぐに確信した。
自分はまだしも、渚まで危害をくわえられるようなことがあってはいけない。耕作は渚にすぐ部屋を出るように命じ、ホテルの別の階へ退避させていた。つなげたケータイをミュートにして机の上に置き、曽良との『交渉』の様子を渚にも聞かせながら。
『藤本曽良……大丈夫でしょうか』
「大丈夫、とはどういう意味かな? 殺しの腕前は、その辺の殺し屋を名乗る連中よりもずっと信頼できると思うよ」
『また、そのような皮肉を……』呆れたような、苛立たしげな、そんな声で言ってから、『殺し屋としては一流だとしても、子供です。こちらの思惑通りに動いてくれるのでしょうか。何をしでかすか……』
「それなら、大丈夫だよ。殺し屋として一流ということは……標的にしか手を出さない、ということだ。その点は、彼も子供といえどプロだ。宣言通り、余計なことはせず、あの名簿通りに『掃除』していってくれるだろう」
『じゃあ……嵐さんも大丈夫なんですね? 何かされるようなことは……』
「まず、それはないだろう。私の居場所を知っているのは嵐だけだ。次の名簿をもらうために、彼はまたわたしの元へ来なくてはならないからね。嵐を殺すようなことはしないだろう」
言ってから、そもそも……と耕作は苦笑してつぶやく。
「今夜の様子からして、嵐は彼の味方だ。心配なことがあるとすれば……嵐が彼やカインの件に深入りするんじゃないか、ということだな」
すると、しばらく間が開き、電話の向こうから強張った溜息が聞こえた。そんな若干の躊躇う気配があってから、
『先生……凪さんのこと、いつまで誤解させておくつもりですか?』
「誤解?」
ぴくりと耕作の眉が動く。
『嵐さんは、まだ先生が凪さんを殺した、なんて勘違いを……』
「勘違いではないだろう。わたしが殺したのだ」
はっきりと答えると、ふいに耕作は表情を曇らせ、その視線を銀色の十字架へと――『クローンを救う会』の証へと落とした。
「わたしは救えなかったのだから」
『しかし……』
「それよりも」まだ食い下がろうという秘書の言葉を遮り、耕作はその窪んだ眼孔にぎらりと鋭い眼光を光らせ、前方のエレベーターを睨みつけた。「藤本曽良は、はっきりと言い切ったな。藤本和幸は死んだ、と……」
そう。ついさっき、曽良は言ったのだ。藤本和幸が死んだ今、ハセガワマサヨシの父親を動かす術がなくなった――と。
椎名望が和幸の『自白』を取るはずだったあの日、『フィレンツェ』でガス漏れによる小規模の爆発があったという情報が入り、それから明日で一週間。望からの連絡は依然、途絶えたままだった。
「やはり、あの爆発は藤本和幸……もしくは、カインの仲間が何かした、と見て間違いなさそうだな。望くんも巻き込まれたか」
藤本和幸とともに死んだか。生きていたとしても、無事ではないのだろう。
予想はしていたが……と、耕作は重い溜息をついて眉間を揉んだ。
二十年前。『クローンを救う会』に入っていたころ。耕作もまだ若く、『クローンを救う会』のため、裏で暗躍し、人脈を広げていた。そんなとき知り合った男がいた。とある任侠一家の出で、ゆくゆくは頭になるべき人物だった。あわよくば、援助を頼もうと近づいたところ、男は個人的にクローンというものに興味を持ち、彼らが不遇な扱いを受けていると知るとひどく心を痛めて、一人でもいいから助けたい、と言い出した。そうして、男は闇オークションに参加するようになり、一人の少年を買って養子にした。――それが、椎名望だった。
それからのち――十三年前、椎名夫妻が何者かによって殺害され、そのことを知った耕作は、椎名望やその妹である鼎のことを気にかけ、陰ながら見守っていた。やがて、本間秀実のもとで働き出した望に、それ以上は傍観していられなくなって、とうとう接触したのだ。本間に気付かれぬよう、望が通っていた娼館で待ち伏せして……。
望と会うなり、椎名夫婦と自分の関係、本間秀実の正体を明かし、本間秀実の元から去るように、と耕作は進言した。それが自分にできるせめてもの椎名夫妻への弔いだと思ったのだ。
しかし、耕作の思惑に反して、望は「父の悲願を叶えたい」と言ってきたのだ。表も裏もない世界を創りたい、と。そのためならなんだってする、とすがるように言う青年を……友人の息子を突き放すことは耕作にはできなかった。
それから、望は耕作のスパイとして、本間秀実の下で働いてきた。本間の目を完全に欺くため、本間に言われるまま、様々な悪事に手を染めながら……。
「椎名夫妻にあの世で謝りたいところだが……」と耕作は苦渋に満ちた表情を浮かべ、自嘲するように鼻で笑った。「わたしは地獄行きだろうから、できなさそうだな」
『また、そのような笑えないご冗談を。やめてください! さきほども、藤本曽良を挑発するようなことをおっしゃって……。まさか、本当に藤本曽良に殺されるおつもりじゃないでしょうね?』
「渚くん、そういうヒステリックな言い方は男性に嫌われてしまうからやめたほうがいい。また、婚期を逃して……」
『今からそちらに戻ります!』
ぴしゃりと言って、渚は電話を切った。
耕作は「いい人を紹介してやりたいんだけどねぇ」なんて呟きながら、のっそりと腰を上げた。
壁一面の窓へと歩み寄ると、後ろに手を組み、そこに広がるトーキョーの夜景を見下ろす。
「表と裏のない、より良い世界……もうすぐだ」
そう口にしつつも、何か釈然としなかった。窓に反射して映る自分の表情も堅い。
どうしても、ひっかかっていた。もうすぐ、神の救済がある――もう一人の友人の息子が放ったその一言が、不穏な響きを持って心に残っていた。
「『あと三週間しかない』とは……どういうことだ?」
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