のろし
すると耕作は、やっとか、とでも言いたげに深く息を吐き出し、椅子の背もたれに寄りかかった。
「――その通りだ。望は私の指示のもと、本間秀実の下でいろいろと探ってくれていた。この名簿も、彼が本間のもとで働き、長い年月をかけて探りあげたものだ」
ちらりとその名簿に視線を向け、曽良は訝しげに顔をしかめた。
「椎名望があんたのスパイなら……なんで、本間秀実を殺さなかった? 人身売買を斡旋しているのはあいつなんだろ。本間秀実をさっさと片付けておけば――」
「殺せばいい――そういう考えが幼稚なんだ、君たちカインは」蔑むようにそうつぶやいてから、耕作は「結局ね」と重々しい口調で切り出した。「国を変えるのは民意というやつなんだよ。あの本間だって選挙で選ばれた。つまり、本間も国民の意志の代弁者だ。本間のような男を選んできたのは、他でもないこの国の人間で、今在る世界はその結果だ。本間一人を殺したところで、何も変わらん。この名簿を見れば、どれほどこの国が腐っているかも分かるだろう。本間の後釜なんていくらでもいる。だからこそ、一度、さら地にしなければならないんだ。そして、国民の意志を変えていかねばならない。今のままではいけない、と……世界を変えねばならない、と気づかせる――その関心こそが、より良い世界の『種』になる」
耕作はきっと目を薄め、曽良をねめつける。
「君たちカインの犠牲は、そのための『のろし』だった。人々の目を、この国の裏側へと向けさせるためのな」
「のろし……」
そういえば、と曽良は眉を顰める。和幸への尋問のとき、椎名はそんなことを言っていた。カインには『のろし』になってもらう――と。
「本間秀実は君たちカインを『殺されたところで誰も気にも留めない存在だ』と、その命を軽んじでいた。だからこそ、一掃してしまおうと考えたんだ。どれほど、子供が死のうと、このトーキョーで気に掛ける者はいないと踏んでね。だが、それは実に浅はかな考えだ。本間は、人の好奇心というものを見くびっていたんだ」
「『クチナシ』……」
ふいに、嵐がハッとしてそう漏らした。
「一週間前の……警察が子供を大量に殺した事件の話だな? ちょうど、今日、大学の奴らともその話になった。殺されたのは、『カイン』とかいうテロ組織に洗脳された子供たちで……保護しようとした警察に抵抗して、皆、殺された、て。ネットでは、その子供達は『クチナシ』って呼ばれてて……」
長い髪をくしゃっと搔きあげ、「そうか」と嵐は苦しげに顔をしかめた。
「段々と話が見えてきたわ」言って、嵐は曽良に視線をやる。「君はその『クチナシ』の生き残りか。で……警察を動かして、君の仲間を殺したのが本間代議士、てわけなんだな?」
「『クチナシ』?」きょとんと、子供みたいに曽良は聞き返した。「そんなふうに、呼ばれてるの? 俺たちが……表の世界で……?」
「何があったのか聞こうにも、肝心の子供達は亡くなっていて聞くこともできない。死人に口無し――だから、『クチナシ』てな。ネットではいろんな憶測が飛び交ってるよ。新治安維持法で政府に反感を持つ奴も増えてきたころだったから、余計に関心を集めているんだろう。政府の検閲をかいくぐって、『クチナシ』は何者なんだ、て皆、いろいろと書き込んでる。大学の同期で、そういうの詳しい奴がいてさ……このトーキョーの裏では人身売買が行われていて、君たち『クチナシ』はそれを止めようとしていた――だから、消されたんじゃないか……て、ネットで出回ってる情報を照らし合わせて、そこまで推測してたよ。まさか、本当だったとはな」
ぞわっと全身に鳥肌が立つのを感じた。
ドクンドクン、と静かに高鳴っていく心臓の鼓動を感じながら、曽良はごくりと生唾を飲み込む。
そこまで、情報がネットに出回っているなんて……あり得ない、と曽良は愕然としていた。
人身売買のことなんて、表の世界の人間がどれほど深くネットを漁ろうと調べられるはずはなかった。万が一、その事実にたどり着いたとしても、裏の人間に嗅ぎつかれて殺される――そういうものだった。
ただの大学生が興味本位で調べあげられるようなものではなかったはずなのだ。
それが、変わろうとしているのか。表と裏を隔てていた壁が崩れようとしている――それをはっきりと感じ取って、曽良はぞくりと戦慄を覚えた。
硬直し、言葉も出ない曽良をじっと見つめ、耕作はこれまでとは打って変わって柔らかな口調で諭すように言う。
「クローンには戸籍も何もない。法律上、君たちの存在を証明するものはない。だが、君たちは幽霊ではない。君たちは存在してきた。その痕跡は、この世界に確かに残っている。君たちが消えて違和感を覚える人々はいるんだ。捜そうとする人は当然現れる。――君にも心当たりはあるはずだ」
言われて、曽良の脳裏に浮かんだのは、一人の少年だった。鈴木という、表の世界でできた友人。きっと、親友、と呼べる存在だった。
君は……いったい、なんなの? ――最後に、彼は曽良に問うた。
授業中、警察を名乗って現れた男の喉元を鍵で切り裂き、血にまみれる自分の姿を目にしても、「藤本くん」と彼は呼びかけ、歩み寄ってきた。逃げ惑うクラスメイトを背に、彼は怯えた表情を浮かべながら、それでも――知ろうとしてくれた。どうして……と、訊ねてくれた。
そういうことか……と、憤りを覚えながらも、曽良は耕作の言わんとしていることを理解した。『のろし』という言葉の意味。
きっと、鈴木も今頃、自分のことを捜していてくれているだろう。パソコンの前で必死になりながら、あの日のことを調べている姿がありありと思い浮かぶ。そうして、『クチナシ』との関連性を見出し、嵐や嵐の友人たちのように、いつかたどり着くのだろう。トーキョーの闇に隠されてきた『真実』へと……。
鈴木だけじゃない。あの日消えた家族と関わりがあった人たちは、皆、そうやって『のろし』に導かれていくに違いない。
「それが……あんたと椎名望の狙いだったのか」
すっかり敵意を無くした手をだらりと下げ、曽良は力無い声で訊ねた。
「俺たちと関わりのあった人間があの日のことを探り、人身売買の事実に辿り着くこと……そこまで想定していたのか?」
「ここまでうまくいくとは思っていなかったがな。多少なりとも、何かがおかしい、と世の中が動揺すればいい、と思っていた。そして、その『のろし』があの男のもとへと届けばいい――と……」
「あの男?」
曽良が聞き返した傍らで、嵐がたちまち顔色を変えた。「やっぱ、そういうことか」と舌打ちでもしそうな表情で呟き、
「長谷川だな?」と耕作を侮蔑を含んだ眼差しで見下ろした。「いや……長谷川正義の父親のほう、か」
「そうだ」怪訝そうに嵐を見返しながら、耕作ははっきりと答える。「わたしたちの狙いは、正義くんの父親、長谷川誠の関心を引くことだった」
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