手のひら
振り返れば、嵐が憤りもあらわに顔をゆがめて、ずかずかとこちらに歩み寄ってくるところだった。
「お前が偉そうに、親だ、子だ、と語るな! 自分の息子のクローンを殺しておいて……!」
その言葉に、曽良は眉を顰める。
「息子の……クローン?」
つまり――と耕作へ視線を戻す。嵐のクローンがいて、それを殺したということか。
クローンの存在を知っているとなると、勝手に創られた『商業用』というわけではないだろう。発注したクローン。何らかの理由があって、嵐の遺伝子を渡してクローンを創った、ということになる。それをわざわざ、殺した?
曽良は疑るように耕作を睨みつけ、
「どういうこと? 散々、クローンを否定しておいて……息子のクローンを創っていた、てこと?」
嫌味っぽく訊ねる曽良に、耕作は鼻で笑うだけだった。そして、ふいっとその視線は曽良ではなく、その隣に並んだ嵐へ向けられる。
「なるほど。その銃に脅されて、彼を私の元まで連れて来た――といった様子ではなさそうだ、とは思っていたが。お前は、全部知っていて……彼が私を殺そうとしていることも分かっていて、この『無垢な殺し屋』をここまで連れてきたのか。仇討ちのつもりか?」
「ああ、そうだ」と堂々と嵐は答えた。「これは、あいつの……凪の仇討ちだ。あいつの無念は、俺が晴らすって……そう誓ったんだ」
その言葉に、耕作ではなく曽良が目を見開き、動揺していた。
凪――クローンのものだろうその名前を、当然のように口にした嵐。そして、そんなクローンの無念を晴らす、と使命感を漂わせて言う嵐に曽良は戸惑った。
オリジナルがクローンの味方をするなんて、想像すらしたことがないことだった。
「今夜という今夜は失望したぞ、嵐」静かながら怒気をこめた声色で耕作は言う。「これまで、様々な愚行に目を瞑ってきたが……まさか殺し屋を連れてくるとは。そこまで私を憎んでいたか」
「殺したいと……そう思ってたわけじゃない。でも……凪を殺して、何の罰も受けずにのうのうと踏ん反り返ってるあんたを、これ以上黙って見てるなんて耐えられねぇんだ。何らかの罰を受けるべきだ、てずっと思ってた。あんたも……俺も……」
だから、と嵐は視線を曽良へと向けた。
「だから、彼女が――いや、こいつが現れて……その時が来たんだ、て思ったんだ。きっと、凪みたいに……ひどいことされて、もみ消されて、そんなもの持ち出すしかないほど追い込まれたんだろう、て。こんな子が銃なんて手にするなんて、よっぽどのことをあんたにされたんだろう、てそう思ったから、協力しようと思ったんだ」
そして、ふっと嵐の精悍な顔立ちが苦悩に歪んだかと思うと、「ごめんな」と嵐はつぶやくように言った。
思わず、曽良は「え」と惚けた声を漏らしていた。自分でも驚くほど気の抜けた声だった。
あれから――家族を失い、たった一人で仇を捜し続けていた。三神から手に入れた、あの日のフィレンツェのオークション参加者名簿を頼りに、手当たり次第に殺し始め、まともに人と話すこともなく過ごして来た。呪詛を吐かれ、命乞いを聞き流し、会話と言えるものがあったとすれば、それは尋問だけ。ただただ、ヤハウェへの祈りを口にしながら、血に手を染めて来た。
気が狂いそうになりながらも、なんとか憎しみで自己を繋ぎ止めているような――そんな状態で張り続けていた気が、その一瞬、ふっと緩んだのだ。
終焉が迫ったこの世界で、家族も友達と呼べる存在も失くしたこの世界で、ごめん――なんて言葉を、かけられる日が来るなんて思ってもいなかった。それも、こんなに憐みをこめて……。
「知らなかったから。お前もクローンだってこと。そのせいで、やりたくもないことさせられてたことも」
「だから……なんなんだよ?」
戸惑いつつも、曽良は突き放すような声で訊ねた。まるで、強がるみたいに。
「殺したくなかったんだろ? それなのに、『殺し屋』になるしかなかったんだよな」
邪魔をするなら、撃ち殺してしまえばいい。そう考える人間だったはずなのに。そうやって今まで、生き延びてきたはずなのに。曽良の手は動かなかった。
あまりにも、嵐の表情がつらそうで。まるで、自分の心をそこに映し出しているかのようにさえ思えて……。
「『そら』――て言うんだよな、お前の名前」
慎重な口調でそう確認してから、嵐はゆっくりと曽良が構える銃に手を伸ばした。
それまで悠然と構えていた耕作も、さすがにこれには焦って「嵐!?」と今にも立ち上がらん勢いで声をあげたが、嵐は構わず、銃口をその手のひらで塞ぐように掴んだ。
「もういい、そら。もう殺さなくていい。俺が守ってやる――俺がもうお前に誰も殺させない」