ハズレ
砺波という少女を連れ、嵐はエレベーターに乗り込んだ。
そこはトーキョーの都心にあるホテルだった。扉が閉じる瞬間、誰かが駆け寄ってきたのが分かったが、嵐はあえて無視して「閉」ボタンを押した。そうして砺波と二人きりになったエレベーターの中で、父から聞いていた『暗証番号』をエレベーターの階数ボタンに打ち込む。すると、エレベーターはぐんと勢いよく登り始めた。最上階にある、一部の人間しか存在も知らないペントハウスを目指して――。
「なるほど」と背後で砺波がほくそ笑む。「特定の階数ボタンを打ち込むことでたどり着ける『隠し部屋』てわけ。通りで、あんたの親父の居所が見つからないわけだ」
「トーキョーのホテルの中には、こういう仕掛けがあるものが何個もある。身を隠したい金持ちなんてごまんといるからな。親父はそんなホテルを転々として暮らしているんだ。偽名を使ってな。どこのホテルに泊まっているかは、親父の秘書と俺しか知らない」
「で……」ふっと目を細めて、嵐の背中を睨んだ。「本当にいいの? このまま……」
「ああ」と嵐は表情をこわばらせた。躊躇いのそれにも見えるが、切れ長の目には怨念とも言える禍々しい眼光が宿って、彼の揺らがぬ覚悟を感じさせた。「言っただろ。俺にとっても、これは復讐だ」
「復讐、ね」
砺波はどこか自嘲するように苦笑を浮かべ、意味深につぶやいた。
やがて、エレベーターが止まり、扉が開く。
そこは広々とした一室だった。広々とした部屋に上質な家具が並び、一面を埋め尽くす窓からはトーキョーの夜景が一望でき、まるで見渡す限りの星空のよう。
警戒する砺波を背に、嵐が足を踏み入れると、
「嵐か」
低い声がして、砺波はハッと目を見開いた。
「よお、親父」
緊張がうかがえる硬い声でそう応え、嵐が歩を進めていく先にいたのは、
「そのお嬢さんは誰かな?」
部屋の奥で、横に長く伸びたデスクに書類を並べて座り、キラリと鋭い眼光をこちらに向ける初老の男。頭に乗った黒々とした髪は艶やかで若々しいが、やつれた頰や、顔中に細く深く刻まれた皺は、彼のこれまでの長い苦労を表しているかのよう。
男のその姿を目に映すや、砺波はふうっと短く息を吐き、あっという間に嵐を抜き去り、男の元へと駆け寄った。そして――、
「斎藤耕作」その名を呼んで、砺波はすばやく腰から抜いた銃を耕作の眉間に向けた。「ヤハウェに代わり、カインの復讐を……」
「――君が、藤本マサルの『子供』か」
どこか哀れむような笑みを浮かべ、耕作はぽつりとつぶやいた。
その瞬間、ぴくりと銃口が震える。砺波は目を見開き、そして、「なっ……」と弱々しい声を漏らした。
「やっと会えたね。待ちくたびれたよ」
深々と椅子の背にもたれかかると、耕作は値踏みするような眼差しで砺波を見上げた。
「次はわたしの番だとは思っていた。君が持っているのはあの日の名簿だろう? 藤本和幸が本間秀実の罠にかかったフィレンツェのオークション。あの場に居合わせた議員を殺して回っている。違うか?」
砺波の息遣いはみるみるうちに荒くなっていた。見開かれた目は血走って、血の涙でも出てきそうな憤怒の形相を浮かべている。
「やっと……か」ふっとその瑞々しい唇に笑みが浮かぶと、愉悦に満ちた声がこぼれた。「やっと、見つけた。ようやく、当たりだ」
ゆっくりと引き金にかかる指を見据えながら、耕作は憫笑のようなものを浮かべた。
「いや、ハズレだよ。残念ながら、私はあの件には関わっていない」
「は……?」
「そもそも、私はあの日、フィレンツェには行っていない。行っていたのは、そこの嵐だ」
ちらりとずらした視線の先には、状況が掴めず呆然と立っている嵐がいた。
「私の名を使い、勝手にあの日、フィレンツェに行っていたのだ。絶世の美女と噂されていた本間の養女を一目見ようとな」
「そんな言葉にごまかされるとでも思ってるのか!? あの件に関わっていないなら、なんで全部知ってる? 父さんのことや、かっちゃんのことまで――!」
血を吐くような――そのときの砺波の声は、まさにそんな鬼気迫るものがあった。苦しげで、憎しみに満ちて、それでいて、どこか悲しげな……心の叫び。背後で固唾を飲んで様子を伺っている嵐も、悲痛な表情を浮かべるほどに。
その勢いで、今にも引き金を引くんじゃないか、と思われた。ただならぬ緊張感の中、それでも、耕作は平然として、
「私は君の仇ではない」
きっぱりそう言い、机の上に並べた書類にトンと人差し指を置いた。
「こっちの名簿だよ。君が殺したい連中の名前が載っているのは」
更新が滞ってしまってすみません。徐々に更新していこうと思っています。
お読みいただいている方がいらっしゃるのか分からないのですが……。
「読んでるよ!」とweb拍手等でお知らせいただければ、嬉しく思います。もしいらっしゃらないようでしたら、別サイトで最初から書き直していこうかと思っているもので。