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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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契約の始まり④

 暗がりの中、二十歳ぐらいだろうか、青年が佇んでいた。浅黒い肌に、見慣れぬ容貌の青年だ。彫りが深く目鼻立ちがはっきりとした顔立ちに、静かにも凛と佇む立ち姿。精巧な石像のごとく、人間味のない冷たくも気品に満ちた美しさがある。

 黒く塗りつぶしたような瞳は虚ろで、若者らしいエネルギーなどなく、まるでこの世のすべてを見尽くし、もう見る喜びを失ってしまったかのようだ。

 その足元には、苦悶の表情で胸を押さえて横たわる男が。

 ついさっきまで、必死で命乞いをしていた男だ。


 「フォックス?」


 背後から呼びかけられ、青年——フォックスは、男から目をそらして振り返った。


 「仕事は終わりましたわ。帰りましょう」


 男が最期に見たであろう、赤い光が、暗闇の中、ぼうっと浮かび上がっていた。男の魂まで焼き尽くすかのように赤々と煌めいていたそれは、今は禍々しさを失って、ロウソクの火のように暖かくフォックスを灯していた。男を呪い殺した光は、優しく慈愛に満ちた天使の瞳へと変わっていた。


 「わたくしだけで充分ですのに。わざわざ、あなたまでこうして赴くことはないのですよ。外で待っていてくだされば、あとはわたくしが済まします」


 ふっと呆れたような、しかし、愛おしそうな笑みを浮かべ、フォックスの天使は何度したかも分からない助言をした。


 「そういうわけにもいきません。これはわたしが請け負った仕事です」


 これ、と口にしたフォックスの視線は、再び、足元に横たわる男を向けられていた。


 「そうですけれど……わたくしはあなたの天使なのですから、任せてくださればよいのです。フォックスは、真面目すぎますわ」

 「天使だからこそ……君だけに背負わせるわけにはいかない」


 ぽつりと、苦しげにフォックスはそうつぶやいた。

 バールはきょとんとして、「なんですの?」と小首を傾げて聞き返した。


 「こんなくだらないことに、君を付き合わせるなんて……。こんな……金のために、ルルを殺すようなことを、天使である君の力を使って……わたしは情けない」


 独り言のような、懺悔のような、そんなフォックスの言葉に、バールはふっとため息混じりに苦笑した。


 「本当に……真面目すぎて、嘆かわしいほどですわ。そんなあなただからこそ――」


 バールはふいにフォックスの傍で膝をつくと、ぎょっとするフォックスを見上げた。十四年前、初めて、その幼き主のため、ルルに呪いをかけたときのように。

 あのとき、六歳だった少年は、今や二十歳の青年になり、王と呼ぶにふさわしい風格と威厳を持ち合わせていた。しかし、いまだに、当時のようなナイーブで幼気な危なっかしさをかいま見せることもあった。

 あれからずっと背が高くなった主を感慨深げに見上げながら、バールは覚悟を改めるように、誓いを新たにするように、力強い口調で言う。


 「あなたが生きるためにはお金が必要。そのお金のために、ルルを呪わねばならないというなら、わたくしは何人でも呪い続けますわ。わたくしは、あなたの天使(しもべ)なのですから」

 「……」


 しかし、それでも表情の晴れないフォックスに、バールは「もう」といじけたように口を尖がらせ、立ち上がった。


 「つまらないお方ね。せっかく、久しぶりに膝までついて演出したというのに」

 「演出……ですか?」

 「思い出しませんの? あの日のこと」


 フォックスはハッとして目を丸くした。バールのいう『あの日』とはなんのことなのか、すぐに理解したのだろう。


 「そう、十四年前、『お人形』を神崎に受け渡した日ですわ。あの日も、わたくしはあなたに膝をついて誓ったではありませんか。わたくしは、あなたとともにこの世界を呪う、と。あなたのためなら、わたくしは何を呪うことも厭いませんわ」


 さらりとそう言い切ったバールに、フォックスはようやく表情を和らげた。


 「ありがとう、バール」


 寂しげな青年の声が、静まり返った部屋に響いた。


 十四年前、神崎夫婦に『災いの人形』を受け渡し、フォックスは彼らを追ってニホンへと向かった。パンドラの姿をいつ何時でも映し出す『守護の鏡』でパンドラの様子を伺いながら、人売りの男に用意させた密航船でニホンへ渡り、その密航船でニホン人の男と知り合った。どうやら、彼は人売りの男が懇意にしている友人で、フォックスの起こした不可解な出来事を――妖艶な『しもべ』をしたがえ、何もせずに三人の男を殺してしまったことを――大まかだが聞いていたようだった。おそらく、冗談半分だったのだろうが、彼はまだ六歳だったフォックスに仕事を紹介してきた。それは、単純な仕事だった。指定された住所へ行き、指定された人物を殺し、指定された場所で金を受け取る、というもの。誰の依頼で、その人物が何者で、なぜ殺されなければならないのかも、何も知らされない。その代わり、こちらの素性も問わない、という条件だった。

 天使しか持たない、たった六歳の少年が、異国で生きるには、迷う余裕も、選ぶ余地もなかった。フォックスは、そうして、トーキョーで『殺し屋』として生き始めた。

 それから十四年。フォックスは、バールとともに、ただ、ルルを呪い続けて生きてきた。学校も行かず、ニホン語を独学で習得し、人とのつながりといえば、呪い殺す相手だけ。そんな孤独な日々をフォックスは耐え抜いてきた。唯一、純真無垢に育っていくパンドラーーいや、カヤの成長を心の糧として。

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