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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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契約の始まり②

 ずるる、とフォックスの影から煙をまとって女が姿を現した。麻布で胸と腰を覆っただけの、まるでビキニのような衣装。浅黒い肌を惜しみなくさらけ出し、その身体は女性らしい凹凸とカーブを描き、見る男全てを虜にするだろう扇情的な魅力を放っている。黒々とした長い髪はいくつもの束にまとめられ、女が動くと、生きているかのようにくねくねと揺らぐ。見てはいけないものを見ているような悍ましさと、しかし、決して目が離せない圧倒的な美を兼ね備え、妖艶——その言葉は、まさに彼女のためにあるようだった。

 そんな魔女とも女神ともつかない女に、男たちは唖然として固まっていた。

 女は厚い唇を緩めて、ふっとほくそ笑む。ろうそくの火のような紅い瞳でじっと見つめて。


 「いかがいたしましょうか、我があるじ?」


 女はフォックスに跪き、そう訊ねた。その様子に、男たちはぎょっとする。


 「あるじ……?」


 男たちは自分たちが羽交締めにしている幼い少年を見下ろした。金も身寄りもなく、路頭に迷っていたはずの少年を。

 彼らが知るはずもない。今まさに売り飛ばそうとしていた少年が、自分たち人類ルルの王であることなど。


 「取り返して」と、フォックスは己の天使を鋭い眼差しで見つめ、幼さの残る声に似合わぬ力強い口調で命じた。「パンドラ・・・・を取り返して。バール」

 「承知いたしました」


 バールは微笑を浮かべたまま立ち上がると、男たちをきっと睨み付けた。ずんとその場の空気が重くなり、バールの髪が蠢き始める。束ねられた髪はそれぞれ蛇へと姿を変えてゆき、バールと同じ、燃えるような紅い瞳で男たちを睨み付けた。男たちは各々、「ひい」と悲鳴を上げ、後退った。


 「王への狼藉、その命を持って償っていただきますわ」


 甘い声でバールがそう囁いた次の瞬間、フォックスを囲んでいた三人の男たちは一斉に胸を押さえて呻きだした。目を見開き、青白い顔に汗を浮かべて、その場にうずくまる。まるで、心臓発作でも起こしたかのように――。

 バールは「おっと」とわざとらしい声を出し、そのうちの一人の腕の中から赤ん坊を取り上げた。


 「落とされでもしたら、たまりませんわ」


 すやすやと眠る『人形』の顔を確認すると、ほっとしたような表情を浮かべ、バールはフォックスの腕の中へと赤ん坊を返す。


 「手放してはいけませんよ。そんなに大切なら」


 ついっとバールはフォックスの頬につたう涙を拭った。そこでフォックスはハッとした。自分が涙を流していたことを、それまで気づいてもいなかった。

 フォックスは、ぎゅっと愛おしそうに赤ん坊を抱いた。その腕に戻ってきた重みを噛み締めるように。


 「何したの……?」


 ややあってから、おそるおそるフォックスはバールに訊ねた。足元で、苦悶の表情を浮かべて横たわる三人の男たちを見やりながら。

 バールは膝をつき、フォックスをじっと見つめて答える。


 「よく覚えていてください、我が主。わたくしの は、ルルを呪うこと。わたくしは、ルルに災いをもたらすことしかできません。そう、そのお人形のように……」


 皮肉そうにそう言って、ちらりとバールが向けた視線の先には、赤子が安らかに眠っていた。その愛らしい寝顔は、世界の終わりなんてものとはかけ離れた、まるで安穏の象徴のよう。だが、すこし視線をずらせば、その赤子が引き金となり、魂を失った三体の躯が転がっている。

 バールは再び、フォックスに目を向けた。きっと脅すような厳しい眼差しで。


 「あなたの使命はルルを守ること。そして、わたくしの使命は、あなたを守ること。あなたのためなら、わたくしは躊躇なく、ルルを呪いましょう。ルルの王であるあなたのため、わたくしはルルの命を奪う。守るために奪うーーこの先、その矛盾に苦しむこともあるでしょう。それでも……」

 「大丈夫」


 言いかけたバールの言葉を、フォックスが小さくもしっかりとした声で遮った。ぎゅっと赤ん坊を抱きしめる手に力をこめながら。


 「もう、覚悟はできた。その『矛盾』を僕は抱えて生きる」

 「フォックス……?」

 「僕はパンドラを守る」

 

 『収穫の日』まで『災いの人形』を大切に保管・・し、神の『裁き』が正当に遂行されるよう監視するーーそれが神から与えられたアトラハシスの一族の役目。『パンドラを守る』というフォックスの言葉もそういった意図で放たれたのなら、なんの矛盾もない。

 だが、バールには分かってしまった。たった今、ルルの王が発した言葉が、そんな単純な『決意表明』などではないことを。

 フォックスの守護天使であるバールには、主人が心に溜め込んできた苦しみも怒りも悲しみも虚しさも、全て目に見えるように分かる。だから、すぐに理解できたのだ。その幼い心が決めた覚悟の意味を……。


 「この世界を……滅ぼすおつもり?」

 「パンドラを守るためなら……」そう言って、フォックスは躊躇いのないまっすぐな眼差しでバールの瞳を見つめた。ルルを守るため、ルルを呪う力を秘めた紅い瞳を。「僕は、ルルに災いをもたらすルルの王になる。それでも、力を貸してくれる?」


 神に仕える天使として、神の使命に背かんとする主人を諌め、ルルの王として正しい道に導くべきだということはバールも重々承知だった。しかし、いつのまにか、バールの中で、天使としてもつべき使命感や忠誠心とはまた違う、何かが芽生えていた。フォックスの苦悩を共に味わい、 ときにその小さな背中をさすり、慰め、孤独な旅路を見守る中で、それは確かにバールの中で生まれ、天使としての自覚すらかき消してしまいそうなほど大きなものへと育っていた。


 「もちろんです、フォックス」バールはふっと微笑み、フォックスの頰をそっと撫でた。「わたくしは、あなたの天使。何があろうと、あなたの味方です。あなたがこの世界を呪うと言うならば、わたくしも共に呪いましょう」


 創造主を裏切る行為だと分かっていても、バールに不思議と迷いも恐怖もなかった。フォックスを守りたい、という気持ちだけがはっきりとしていて、それだけで充分に思えた。得体の知れないその感覚は、ルルにとって『母性』といえるものだろうが、天使であるバールにはそんなことなど分かるはずもない。ただ、それは心地よくバールの心を満たし、受け入れるのに何の躊躇もなかった。

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