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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
337/365

カンザキ

 あたりを覆っていた黒い煙が薄らぎ、霧状へ変わっていくと、思わぬ光景がカヤのまわりに広がっていた。


 「ここ……」


 血まみれの部屋だったはずのそこは、小綺麗なマンションの一室に変わっていた。薄暗く、月明かりが照らすそこは、まるでモデルルームのような清潔感のある、それでいて生活感のないどこか寂しい部屋。家具もソファとダイニングテーブル、そこに椅子が二脚あるだけ。


 「ここはどこなの? あなたの主は?」


 隣にたたずむ天使にそう訊ねると、彼女はクスリと呆れたような苦笑をこぼす。


 「フォックスったら、久々に生身の貴女に会うのが照れくさいのかしら」

 「照れくさい……?」


 緊張感のないその言葉に、カヤは呆然としてしまった。

 自分を『家族』と呼び、『迎え』の天使を遣わしたフォックス・アトラハシス。いったい、どんな人物なのか。自分を連れてきて、どうするつもりなのか。何も分からないまま、こうして天使についてきてしまった。パンドラである自分を『家族』という甘い言葉でおびき寄せ、利用しようとしているのかもしれないのに——そんな不安が、カヤの心の隅でくすぶっていた。神の人形として、世界を滅ぼすことを決意した今、カヤはただ一方的に『畏れられる』存在であり、彼女に恐れるものなどないというのに。

 それが、いざ、天使に誘われるまま、フォックスのもとに赴いてみれば、肝心のその人物の姿はなく、カヤと会うのが「照れくさい」のだという。カヤが拍子抜けして当然だった。


 「もし、冗談ならやめてください」カヤは気を取り直し、天使を鋭い眼差しでねめつけた。「早く、あなたの主に会わせてください。私はそのために、ここに……」

 「まったくです、バール。貴女はつまらない冗談ばかり」


 カヤの言葉を遮って、低く冷静な声がした。

 ハッとして振り返ると、扉を開けて部屋に入ってくる人物が一人。二十代前半くらいの青年だった。カヤと同じく、浅黒い肌をして、鋼のように艶のある黒髪。さらさらと揺れる前髪の下でカヤを見つめる眼差しはまっすぐとして真摯で、迷いや邪念といったものは感じさせず、唇に浮かべた微笑には余裕が漂い、その落ち着いた面持ちは叡智を感じさせた。

 なぜか、彼の姿を目にしてカヤはホッとした。そして、そんな自分に驚いた。説明のできない安心感——彼から感じるそれは、『懐かしい』という言葉に近い気がした。


 「湯を張っておきました。ゆっくり風呂に浸かって休みなさい」


 青年は持っていたバスタオルをカヤに差し出すと、穏やかに微笑んだ。


 「早く、その血を落としたほうがいい」


 言われて、カヤは思い出した。自分の体が血に染まっていることを……。

 ゾッとしてこわばるカヤの肩に、青年はそっと触れ、悔しそうに顔をしかめた。


 「すまない。穢れぬように、とあの夫婦に預けたというのに。辛い思いをさせてしまった」

 「あの夫婦………? 」


 その瞬間、カヤの脳裏をよぎったのは懐かしい二人の顔。『母』と呼び、『父』と呼び、慕った二人。血のつながりのないカヤを本当の娘のように愛し、育ててくれた――フリをしていた二人。トーキョーの人身売買を牛耳る『黒幕』とカインに疑われ、そして最期には謎の死を遂げた神崎昭三と神崎舞。

 カヤはとっさに青年の手を払いのけると、彼から距離を取るように後退った。

 

 「どういうこと? 何の話をしているの? 『預けた』?」

 「君を守るためには仕方なかった。あのころ、私はまだ幼く、君を守りきる自信がなかった。だから、イランで出会ったあの日本人夫婦に取引を持ちかけ、まだ赤ん坊だった君を預けた」


 もったいぶることも、ためらうこともなく、フォックスという青年はさらりと語った。あまりにもあっさりと、あっけなく。

 それは、小さな棘のようにカヤの心にずっとひっかかっていた謎だった。なぜ、自分は『神崎カヤ』になったのか——物心ついてから、鏡に向かっては、そこに映る自分の姿にその疑問をつきつけられてきた。両親と自分の外見の違いは明らかで、否が応でも自分がどこか遠くから来たことに気づく。じゃあ、自分はどこから来たのか。そんな単純な問いが、あまりにも恐ろしく感じて、口にすることさえできなかった。

 自分の正体が『災いの人形』であると知ってから、その謎はますます深まり、どうやって自分は神崎の養子になったのか——そんな疑問は、どうやって神崎は自分を手に入れた(`````)のか、に変わった。

 そのすべての真相が、たった今、唐突に明かされたのだ。なんの準備もできていなかったカヤの頭では、フォックスが並べる言葉の羅列を整理することはできず、まるで暗号のようだった。ただただ困惑し、カヤは呆然として、反応すらできずに固まっていた。

 そんな彼女に、フォックスはどこか申し訳なさそうに微笑した。


 「君が生まれたあの日……私以外のアトラハシスの者は、皆、ニヌルタの王に命を奪われました。私たちを守るはずのマルドゥクは姿を現さず、一族の者達は、命を懸けて私たちを逃してくれた。だが、王位を継いだとはいえ、私もまだ子供。バールの力があっても、それを使いこなせるほどの賢さもなく、途方に暮れた。金もなく、食料もなく、寝床もない。マルドゥクには裏切られ、頼れる存在もなく、衰弱していく君を抱いて、たださまよい歩いた。救いを求める私に、世界はあまりにも冷酷で無慈悲だった」


 カヤはゴクリと生唾を飲み込んだ。淡々と語るフォックスの声色からは、なんの感情も伺えなかった。何度も読んで飽きた本でも読むかのような……。涙ながらに語られるより、それはよっぽど痛ましく感じられた。

 聞いているだけで心が引き裂かれるようで、その痛みのせいか、動揺は消え、冷静になったカヤは彼の話に聞き入っていた。


 「そうして辿り着いたイランの街で、私たちに救いの手を差し伸べてくれた男がいた。何日ぶりかも分からない暖かい食べ物と寝床を与えてくれた。やせ細り、泣く力もなくなっていた君に、ミルクを与え、上質な服も用意してくれた。やっと、救われたと思った。エンキのご加護だ、と信じた。でも、すぐに思い知った。どれだけ祈りを捧げようと、エンキは私を救ってなどくれないのだ、と」


 フォックスは他人事のように涼しげな表情でそこまで語ると、窓のほうへと顔を向けた。月明かりに照らされて浮かび上がるその横顔を、カヤはやはり懐かしいと思った。こうして、暗がりの中、彼の話を聞いていると何かを思い出しそうな気がしてくる。こうして、前にも、誰かに寂しく切ない昔話を聞かせてもらっていたような……。


 「幾日か経ち、私たちはとあるニホン人夫婦のもとへ連れて行かれ、そこで知りました。ニホンでは人身売買が横行していること。『注文』さえあれば、遠い地にまで足を運び、『商品』を調達していること。そして、私たちを救ってくれた男が『人売り』で、私は値踏みのために彼らのもとへ連れてこられたこと」


 カヤはそこでハッと息を呑んだ。一気に思い出す。彼の語るそれが、彼の想い出話などではなく、自分の『過去』なのだ、と。


 「その夫婦が……」


 思わず、そう口を挟んでいた。

 フォックスはカヤに視線を戻すと、月明かりを溜め込んだような神秘的な輝きを放つ瞳でじっとカヤを見つめた。


 「そう、彼らこそ、君の育ての親。カンザキです」

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