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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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聖女と人形 -4- (三月十二日 加筆あり)

 この世界を、滅ぼしてほしい――それが、和幸くんが私に託した願い。曽良くんに聞いたときは、信じられなかった。信じたくなかった。彼がそんなことを願ったなんて。だって、彼は望んでいたはずだもの。私と生きる未来を。それは起こりえない、幻想のような願いだったけれど……。それでも、彼は信じてたんだ。彼は信じて望んでくれてた。私のいるこの世界が続くことを。

 そんな彼が、この世界の終わりを望んだ。自分の死を覚悟した彼が、最期に私に遺そうとしたのは、愛の言葉とはかけ離れた、呪いのような願い。彼がそんなものを私に託すなんて思えなかった。――今の今までは……。


「やっと、分かった。どうして、彼がこの世界の終わりを望んだのか」


 私はぐっと拳を握りしめた。彼がどんな気持ちで、私にその願いを託したのか……それを考えるだけで、胸が苦しくなる。どれほどの絶望だっただろうか。どれほど、落胆しただろうか。彼は悟ってしまったんだ。この世界に残す価値なんてないこと。こんな世界に望む未来なんてないこと。この世界は彼の命を拒絶し、彼の家族までも奪った。まるで、彼の存在を認めない、と思い知らせるように。世界は、ただ幸せを望んだ彼にどこまでも残酷だった。


「彼は必死に生きようとしてたのに。必死に自分の運命に抗って、『殺し屋』も辞めて、一人の人間として生きようとしてた。私の運命にさえ立ち向かおうとしてくれた。何者でも、幸せになる権利はある、て信じて……。それを、この世界はことごとく裏切った」


 見つめる先には、一人の少女がいた。私と同い年ほどの少女。でも、私とは正反対の存在。滅ぼすために『創られた』私と違い、救うために生まれてきた。神にこの世界を託された聖女、ナンシェ。彼女さえ、和幸くんを救うことを拒んだ。


「これが答え」視線をついっと横にずらし、ユリィを見つめて私は言った。「これが、パンドラである私の選択」


 ユリィは諦めたような切なげな表情を浮かべたまま、何も言わなかった。もう説得しようという気もないようだ。

 

「さよなら」


 それだけ言って、私は振り返った。

 もう一人、ちゃんと別れを言わなきゃいけない人がいる。そして、謝らなきゃいけない。


「巻き込んでしまってごめんなさい、長谷川さん」


 依然として声がでないようで、長谷川さんは何か言いたげに必死に口をパクパクと動かしていた。長谷川さんには申し訳ないけど、長谷川さんの声を聞かずにすんでよかった、と思った。『彼』の声で今、引き止められてしまったら、せっかく固めた覚悟も揺らいでしまいそうだったから。


「こんな世界じゃ、さくらちゃんも幸せにはなれないから。私が、すべて消します」


 ああ、なんて卑怯な言い訳。

 私、さくらちゃんの名前まで出して、もっともらしい理由をつけようとしている。世界を滅ぼす理由を。

 後ろめたいんだ。分かってるから。使命とか、裁きとか、そんな大それたものじゃない。これは、ただの私の復讐。


「話はつきましたわね」唐突に、重々しい空気を払いのけるような、晴れ晴れとした声がした。「さあ、行きましょう。パンドラ」

「行くって……」


 振り返ると、浅黒い肌をした艶めかしい天使が私に手を差し伸べていた。二コリと満面の笑みを浮かべて。


「言ったではありませんか。わたくしはあなたをお迎えに来た、と。我が主は、あなたをそれはもう首をながーくしてお待ちですわ」


 そういえば、彼女は言った。私に『帰ろう』、と。


「あなたの主……」

「フォックス、ですわ。パンドラ」


 フォックス。やっぱり、その名に覚えはない。いったい、誰? どうして、私のところに天使を遣わしたの? 迎え、てどういうことなの? それに……。


「その人……フォックスは、どちら側なんですか?」


 私はきっと天使を睨みつけ、はっきりとした口調で訊ねた。その問いの意図がしっかりと伝わるように。

 すると、天使はまるでそれが愚問だとでいも言いたげに、呆れたような、憐れむような、そんな笑みを浮かべて答えた。


「フォックスは、あなたの味方。それだけですわ」

「私の……味方?」

「フォックスにとって、あなたはたった一人の家族のようなものですから」


 家族――その言葉に、思考が一瞬、止まった。それは、思いもしなかった単語だったから。もう私とは無縁だと諦めていたものだったから。

 私はパンドラ。世界を滅ぼすために創られた人形。たった今、その運命を受け入れたばかり。そんな私に、家族?

 思わず、ちらりとユリィを見てしまった。

 まさか……また何か隠し事? でも、ユリィはじっと神妙な面持ちでこちらを見守っているだけ。慌てる様子も見られない。動揺しているのは――、


「家族? 何を言っているのです?」


 まるで私の心を読み上げるように、ユリィの隣で聖女が困惑の声をあげた。


「アトラハシスはルルの王。ルルの脅威である『人形』を保管し、監視するのが使命。そんな王が、『人形』を家族と呼ぶなんて、どうかしている」

「何をそんなに不思議がっているのです、マルドゥクの聖女様」皮肉そうに鼻で笑って、赤々と燃えるような眼で天使は聖女を睨んだ。「エンキに遣えるアトラハシスの一族を裏切り、フォックスから家族と呼べる存在をすべて奪ったのは、あなたがたマルドゥクではないですか」


 家族を……奪った?


「い……言いがかりだわ! アトラハシスの一族を手にかけたのはニヌルタの王です! リチャードおじいさまは――」

「先々代マルドゥクの王、リチャード・マルドゥクは、『パンドラの箱』が開くというその日、姿を現さず、ニヌルタの凶行を止めることができなかった。リチャード・マルドゥクさえあの場にいたら、アトラハシスの一族を守れたはず。アトラハシスの一族が皆死んだのは、リチャード・マルドゥクの責任。言いがかりかしら?」


 聖女の開いた口からは、反論の声がこぼれ出てくることはなかった。唖然として、言い負かされた――そんな敗北の色がその顔に浮かんでいた。そんな彼女の傍らで、もう一人の天使はただただ黙っていた。こうなることを分かっていたかのような、悲痛そうな表情で。


「フォックスにとってパンドラは、家族がこの世界に遺した、たった一つの存在理由。それを『家族』と呼び、守ろうとするのは当然でしょう。たとえ、この世界を滅ぼすことになろうとも」


 穏やかに、でも、どこか燃え盛る炎のような激しい感情を感じさせる声色でそう言って、天使は再び私に顔を向け、


「さあ、帰りましょう。パンドラ」

「!」


 にこりと微笑み、天使が促すように差し出してきた手。それは私の心を揺さぶり、ある記憶を引きずり出す。

 あのときと一緒だ。彼が私を迎えに来てくれたときと同じ。

 この手を取れば、また私は何かを失うのだろう。でも、何を恐れることがあるの? もう失いたくないものはすべて奪われた。だから、選んだんだ。今度は、私が奪う。この世界を。

 それに……会いたいと思ってしまった。私を『家族』と呼ぶたった一人の存在、フォックスという人に。


「連れて行って。あなたの主のところに」


 私はしっかりと天使の手をつかんだ。その手は、あの夜とは違い、ひんやりと冷たく、握り返す力は素っ気なく、彼への愛しさが募るだけだった――。

 ふいに、ぞわっと足元で何かがうごめいた。ハッとして見下ろすと、天使の影がもがくように動き出し、


「なにっ……!?」


 瞬く間に、黒い煙のようなものが影から立ち上り、私と天使の身体を覆い尽くすと、戸惑う私の声もろとも暗闇の中に飲み込んだ。

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