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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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聖女と人形 -2-

 聖女――バールが口にしたその言葉が誰を指しているのか、はっきりとは分からないまでも、それが自分とは正反対の存在を意味していることだけはカヤにも理解できた。自分とは違う、災いとは無縁の存在。絶望を打ち消す希望の光。人々を救い、世界に祝福をもたらす女性。


「いったい、誰……」


 言いかけた言葉は、バタン、と扉が開かれる音にかき消された。

 ハッとして振り返ったカヤの目に飛び込んできたのは――、


「ユリィ……!?」


 部屋の入り口。開け放たれた扉の向こうで、緊張からか、こわばった表情を浮かべてユリィが立っていた。いつもぼんやりとして眠そうだった目は見開かれ、血の海となった部屋が写り込んだ薄茶色の瞳が赤々と染まっている。


「ムシュフシュ……」


 ぽつりとつぶやいたユリィの声からは、落胆の色が滲んでいた。カヤはたまらず、視線を逸らした。

 約一ヶ月前、カヤにムシュフシュという化け物の存在を明かし、忠告したのは、他でもないユリィだった。『災いの人形』であるカヤに、『収穫の日』を待たずして『神の裁き』について明かせば、神の罰が下る。そんな言い伝えがあるにもかかわらず、ユリィはカヤに全てを明かした。神に与えられた本当の名前。呪いのような悍ましい使命。そして、粘土で創られたその身体には、ムシュフシュという人を食らう化け物が巣食っていることも。

 ユリィは命懸けで教えてくれた。それなのに……。


「何があったのか分からないけど、とりあえず、見つかってよかった。パンドラ」


 カヤの心情を察したのか、血だまりにためらうことなく、部屋に足を踏み入れると、ユリィはカヤに慰めるように声をかけた。そして、ちらりとカヤの隣へと視線をずらし、


「君も。また会えてよかったよ、バール……だったっけ」

「あら。光栄ですわ、弟君」


 バールはふっと唇に笑みを浮かべ、ぺこりとお辞儀をしてみせた。


「わたくしの気配を感じ取って、追ってくるだろう、とは思いましたが……お早いお着きでしたわね」

「君の気配にラピスラズリたちが気づいたときには、このホテルに向かっている途中だったから。もともと、オレたちは、彼を追っていたんだ」


 彼――その言葉にハッとして、カヤは訝しげにユリィへ視線を戻した。


「彼って……?」

「そこの彼。君の恋人のオリジナル」すっとユリィが指差したのは、カヤの背後――バールの呪いによって声を封じられ、困惑を口にすることもできずに佇む正義だった。「君の恋人の部屋に行ったら彼がいた。少し気になって、ラピスラズリに彼の後をつけさせたんだ。そしたら、彼のマンションから出てくる君を見つけて、そのまま、ラピスラズリに君をつけさせた」


 淡々と語られた真相に、カヤは唖然とした。ユリィが正義に接触していたこともだが、ユリィの口から『オリジナル』という言葉が出てきたことが、カヤには衝撃的だった。それはつまり、ユリィにも和幸の秘密を――『創られた』存在だと知られた、ということなのだから。


「ところで」と、緊張感のないのんきな声でバールが口を挟む。「聖女様の姿は見えませんけど? ケット・シーの気配はすぐそこに感じますのに……」

「部屋の前で倒れている人がいたから、その人の様子を見てる」

「聖女……!」その名に、カヤは我に返ったように声をあげていた。「聖女って誰のこと!? ユリィの知り合いなの!?」

「聖女は……」


 言いかけたユリィの言葉を、「わたしです」という落ち着いた声が遮った。

 ユリィの背後で、開け放たれた扉からゆっくりと姿を現したのは、真っ白なロングのワンピースを身にまとった少女だった。歩くたびに揺れる黄金色の長い髪はどこか儚さを漂わせ、白い肌は初雪のように穢れなく煌めき、まっすぐにカヤを見つめる碧眼は青空が写り込んだ穏やかな海面を思わせる。華奢な少女は、しかし、その体つきからは想像もつかない荘厳な雰囲気を漂わせていた。天使から感じる『畏怖』とは違う、もっと『脅威』に近いもの。少なくとも、カヤはそう感じた。


「初めまして」


 ユリィの隣で立ち止まると、少女はじっとカヤを見据えて言った。その声色からは、初対面からの緊張――そんな甘いものとは明らかに違う感情がはっきりと感じ取れた。敵意、警戒、そして怒り。麗しい姿とはかけ離れた、荒ぶる感情がその身に渦巻いているのが目に見えるようだった。

 だが、なぜか、親しみも感じていた。「初めまして」という言葉に違和感さえあった。どこかで見覚えがある。会ったことがあるような気がする。

 じっと彼女を見つめ、カヤは「あ」とその違和感の正体に気づいた。


「リストくん……」


 その瞬間、毅然としていた少女の顔色ががらりと変わった。

 ――そう。双子、とまではいかないまでも、少女はよく似ていた。自分を殺す使命を持つ少年、リスト・ロウヴァーと。そして、少女の背後に見慣れた幼い人影を見つけ、「ケット……?」とカヤは遠慮がちにその名を呼んだ。

 キラキラと輝く黄金の長い髪に、トパーズをはめこんだかのような瞳。あどけなく純真そうな顔立ちは、まさに天使を絵に描いたよう。

 そこにいるのは、間違いなく、リストの天使、ケット・シーだ。

 しかし、なぜだろう。無邪気にリストの隣ではしゃいでいた幼い天使は、しょんぼりとして少女の背に隠れるように立っていた。名前を呼ばれても、「久しぶり」とどこか後ろめたそうに作り笑顔を浮かべるだけ。

 様子がおかしい。


「何か……あったの?」カヤは胸騒ぎを覚えて、逸る気持ちのまま、ケットに訊ねていた。「彼女はリストくんの……神の一族の関係者なの? リストくんの親戚の方? リストくんはどこ?」

「リストは……」と答えようとするケットの表情はさらに曇る。


 うつむき、言葉を詰まらせるケットに、カヤの不安は募った。

 リストの身に何かあった? 言いづらいこと? それとも、言えないこと? 自分が『災いの人形』だから? それとも、自分がリストの『友人』だから?

 救いを求めるように、ユリィへと視線を向けたカヤだったが、


「あなたには関係のないことです!」


 ぴしゃりと鋭い声が、それ以上の詮索を拒んだ。


「わたしはナンシェ・マルドゥク」と、同じ声が冷たく続ける。「リスト・マルドゥク・ロウヴァーから、『聖域の剣』とともに、あなたを狩る使命を引き継ぎました」


 ナンシェと名乗るリストとよく似た少女は、リストのそれとはかけ離れた眼差しでカヤを見つめていた。友愛も、同情もない。ただただ、そこにあるのは嫌悪と拒絶。忌まわしいものを見る目だ。

 思わず、カヤはあとじさっていた。

 とてもじゃないが、彼女が自分を救ってくれるとは思えなかった。


「そう、『聖域の剣』」ふいに、カヤの隣でバールが得意げに切り出した。「『聖域の剣』こそ、あなたの最後の希望ですわ、パンドラ」

「希望?」と、カヤではなく、ナンシェが疑問を口にする。「何を言っているのです? 『聖域の剣』は、その『人形』を葬るための剣。なぜ、『人形』の希望などと……」

「『聖域の剣』はルルを守るための剣。ルルのどんな傷も癒し、救うことができる。そうですわよね、マルドゥクの聖女様?」


 クスリと妖しく笑みながら、バールは勝ち誇ったようにナンシェに問いかけた。

 カヤはざわりと全身が粟立つのを感じた。


「どんな……傷も……?」

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