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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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お迎え

 金の力を借りて清掃員を説得し、手に入れた合鍵で部屋に入った正義は、その惨状に言葉を失った。いや、気を失いそうになった。

 部屋のあちこちが赤いペンキをぶちまけたように赤く染まり、足下には肉片と思われるものが転がっていた。赤い水たまりの中で、人の指と思われるものが浮かんでいた。

 吐き気と目眩に襲われ、何度も倒れそうになった。それでも、なんとか意識を保っていられたのは、ただただ必死だったからだ。

 こんな状況で、カヤが無事でいるとは思えなかった。


 カヤの後を追ってホテルまで来たものの、どこの部屋に入ったのかまでは分からなかった。あてもなく、ホテルの中をさ迷っているところを、偶然、前田と遭遇したのだ。

 前田の言動から、自分を「藤本和幸」だと勘違いしていることに気付いた正義は、それを利用し、カヤの居場所や置かれている状況を聞き出した。「なぜ、無事なんだ」と顔を青白くして何度もつぶやく前田の様子に、胸騒ぎを覚えつつも……。


 いや、胸騒ぎなんて生易しいものではない。確信を得た、といったほうがあっているのかもしれない。

 カヤの無事を祈り、その姿を捜しながら、正義はなんとも言えないやるせなさに襲われていた。


 ――それでも、嫌な喪失感があるもんだろ。クローンが死ぬと。


 正義の脳裏に、嵐の言葉がよぎる。なるほど、こういうことか、とその言葉が今更重みをもって正義の心にのしかかった。

 家族でも、友達でもなかった。災いとか、呪いにちかい存在だった。それなのに、消えたと思うと虚しくなる。なぜなんだ、と憤りさえ覚える。

 どれだけ、恨み、恨まれようと、クローンとのつながりは――DNAという共通点は――断ち切れるものじゃないのだ、と正義は実感していた。どうせ他人だ、と割り切れるはずもない。嫌悪さえ抱く親近感は、呪縛のようにつきまとう。

 クローンの恋人であるカヤを放っとけないのも、その呪縛のせいなのだろう。銃を手に、和幸を助ける、と出て行った彼女の後を追わずにはいられなかった。上の階の『ママ友』に電話をし、さくらを頼んで、こっそりカヤの後をつけた。クローンと関わるとロクな目には遭わない、と身をもって知り、一度はその存在すら忘れよう、と決意したというのに。クローンを助けに向かう彼女の背を黙って見送ることなどできなかった。クローンを他人だと割り切れないのと同じように、『もう一人の自分』を命を懸けてでも守ろうとする少女を他人だと切り捨てることなんてできなかった。

 そして、血の海の中で眠る彼女を見つけ、正義は夢中で彼女を抱き上げ、その名を呼んだ。身体は血まみれで、息づかいも聞こえなかった。目蓋を閉じたその顔は苦しげで、彼女の身に何が起きたのか、考えることさえ恐ろしかった。そばには血に染まった銃が横たわり、正義の罪悪感を煽った。やはり、引き止めるべきだったのだ、と正義は自責の念に狂いそうになりながら、彼女に呼びかけ続けた。

 そうして、ようやく目を覚ました彼女は、愛おしそうに自分を見つめ、別の男の名を口にした。和幸――と。嬉しそうに微笑み、自分の頬に触れたその手は、ぞっとするほど冷たかった。そこに血が通っているとは思えないほど。人の肌の『ぬくもり』なんて感じられなかった。だが、そのときになって、正義は妙なことに気づいた。そんな彼女の身体に、傷一つ見当たらなかったのだ。


「君は、ケガはしてないんだな?」


 困惑しながらもそう訊ねると、彼女は一瞬、ハッとしてから、沈んだ顔で答えた。


「私は……大丈夫です、長谷川さん」


 長谷川、と自分の名前を呼ばれて驚いた。何がきっかけだったのか、自分が『彼』でないことに気付いたようだ。目を覚まし、自分を見た彼女の嬉しそうな笑みが脳裏をよぎり、正義は胸が痛んだ。

 部屋を出て行く前、彼は生きている、と必死に訴えかけてきた彼女の声が耳に残っている。どれほど期待を膨らませていたことだろうか。命を賭ける覚悟で、銃を手に『彼』の元へと向かい、やっと会えたと思えば『偽物』だったのだ。なんて残酷な仕打ちだろうか。不可抗力とはいえ、正義は罪悪感に押しつぶされそうになった。


「どうして、長谷川さんがこんなところにいるんですか? さくらちゃんは……」


 カヤは俯き、感情の伺えない淡々とした口調で訊ねてきた。

 『偽物』と分かった今、もう自分の顔など見たくもないのだろう。きっと、つらいだけなのだろうから。自分が今、彼女のために何をしようと、それは彼女を傷つけることにしかならない。そんな気がして、正義はカヤの背を支えていた手を離した。


「さくらは上の階の渋谷さんに預けてきた。君を放っとけなくて、後をつけた。すまない」


 そうですか、とカヤは無表情で答えた。その横顔は冷たく、もはや希望というものの存在を知らないかのよう。絶望さえ通り越し、何も感じなくなってしまったかのようだった。まるで、人形みたいだ――と、正義は不気味に感じた。


「いったい、何があったんだ?」


 たまらず訊ねると、カヤはぼうっとしたまま答えた。


「あの人たち、和幸くんにひどいことをしたんです」

「ひどいこと?」

「ひどい『嘘』を言わせたんです。赦せない、て思ったんです。そしたら、身体の中がかあって熱くなって、苦しくなって……気を失っていました」

「そう……か。詳しいことはよく分からないが、君が気を失っている間に、誰かが来た、てことか」


 正義は部屋を見回した。お化け屋敷でももう少し遠慮するだろう、と思えるほどのおびただしい血痕。そして、無残に散らばった身体の部位。狂気の沙汰だ。もはや、人の仕業とは思えない。獣が人間を食い漁っていったかのようだ。正義は思い出したように吐き気を覚えて、視線をカヤに戻した。


「とにかく、君は無事で良かった」


 すると、カヤの横顔にふっと笑みが浮かんだ。どこか自虐的な冷めた笑みが。


「きっと、和幸くんもそう言うんだろうな。私が殺したんだって分かってても、きっと『大丈夫か』て心配してくれるんだ」


 正義は「は」とあっけにとられて固まった。聞き違いだとしか思えなかった。


「悪い、今、なんて……」

「私なんです」と、カヤははっきりと言った。ガラス玉のように透き通った瞳で、茫然とする正義を見つめて。「私の中に化け物がいて……それが、あの人たちを殺したんです」

「なにを……言ってるんだ?」

「私は人を殺すために創られた人形なんです」

「どうしたんだ、神崎さん? 何を言っているのか、俺にはさっぱり……」

「――そう。だからあなたは和幸くんじゃない。彼は全部知ってたんだから。知ってて、それでも私を愛してくれた」


 カヤは切なげに微笑み、独り言のようにつぶやいた。今にも泣きそうな彼女に投げかける言葉も見つからず、正義は硬直していた。カヤの言葉が全く理解できなかった。彼女の中に化け物がいる? それが出てきて、人を殺した? 何かの比喩だろうか。

 困惑しながらも、正義が返す言葉を探していたときだった。


「あらあら、すっかり汚れてしまって。だから、わたくしは反対しましたのに。ルルにお人形を預けるなんて……」


 艶っぽい女性の声が、あたりに響いた。

 その瞬間、正義はぞっと背筋が凍りつくのを感じた。

 ハッとして振り返ると、いつからそこにいたのか、ベッドに座る女の姿があった。カヤと同じ浅黒い肌をした女だ。黒々としたドレッドヘアーは、風もないのにゆらゆらと揺れ、麻布でできたビキニのような服――正義にとっては、下着姿といってもいい恰好だが――で惜しみなく、艶やかな肌をさらしている。豊満な胸、引き締まった腰、すらりとした肢体。男の肉欲を煽るすべての条件を兼ね備えたような体つきだ。足を組んで座っている姿は、実に扇情的。だが、それ以上に正義の目を釘付けにしたのは、その瞳だった。激しく燃える炎のように赤々と輝き、見ているだけで魂まで焼き付くされそうだった。それでも、目が離せない。恐ろしいと思うのと同時に、それを美しいと思った。不思議な感覚だった。

 女はふっくらとした唇にうっすらと笑みを浮かべ、カヤに向かって言った。


「お迎えに上がりましたわ、パンドラ。さあ、帰りましょう、フォックスのところに」

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