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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
330/365

血の海で

 苦しい。熱い。身体の内側から焼き尽くされていくみたい。全身の血が煮えたぎるよう。どす黒い煙が意識を覆っていく。

 私が消えていく。私が私じゃなくなってしまう。

 厭だ、と叫びたくても声が出ない。身体が動かせない。何も見えない。何も聞こえない。怖い。誰もいない、何もない、真っ暗闇の中に、閉じ込められてしまったかのよう。

 助けて――ぽつりとそんな言葉が浮かぶ。

 もがき苦しみ伸ばした手の先に求めるのは、あの頼もしい手の感触。しっかりと私の手を握りしめてくれるその力強さ。心地よいぬくもり。そのすべてが恋しくてたまらない。もう一度、この手を掴んで、私を連れだしてほしい。あの夜、神崎の家から攫ってくれたみたいに。

 ねぇ、お願い。迎えに来て、和幸くん――。


「大丈夫か!?」                             

 急に眩い光が飛び込んできて、そこで自分が瞼を開いたことを自覚した。それまで、目を閉じていたことすら、分かっていなかった。

 ようやく、身体を『取り返せた』――そんな感覚だった。

 意識がはっきりしていくにつれ、身体を包み込むぬくもりを感じ、懐かしい香りに気づいた。やがて、ぼやけた視界の中で世界が輪郭を取り戻していく。

 光の中に浮かび上がる人影。まっすぐに私を見つめる理知的な眼差し。野蛮や粗暴といったものを一切感じさせない、品のある優しげで聡明そうな顔だち。

 あのときもそうだった。朝日に包まれた教室の中、目を覚ました私を彼はこうして心配そうに見つめていた。


「やっぱり、来てくれた」


 そうっと手を伸ばし、その顔に触れる。しっかりと彼の肌を手のひらに感じ、これが幻なんかじゃないことを確かめる。

 つうっと頬を涙が伝うのを感じた。

 こうして、彼は私を人間にしてくれるんだ。彼だけがこの世界で私を人間でいさせてくれる。彼への愛だけが、死ぬことも赦されない身体になった私に残された人間である証。


「会いたかった、和幸くん」


 いつぶりだろう。心に促されるままに、言葉を吐き出したのは。あふれる感情のままに、笑みをこぼしたのは。


「良かった。全部、嘘だったんだね」


 私は彼の胸に頬を寄せ、その心臓の音に耳を澄まして、瞼を閉じた。


「学園祭のあの日から、ずっと意識がなくて……このままずっと、目を覚まさないかもしれない、て言われたの。もう二度と、こうして抱きしめてもらうこともできないのかと思った。もう二度と、愛してる、て伝えられないのかと思った」


 私は彼のシャツをぎゅっと握りしめた。

 ぽろりぽろりと涙がこぼれてくる。それを拭うかのように、私は彼の胸に顔をうずめた。


「私……まだ、人間でいていいんだね。あと少しの間、和幸くんのこと愛してていいんだね。和幸くんさえ居てくれれば私はいいの。この世界に、私はそれ以上望むことなんてない」


 ねぇ、だから、お願い。言って、和幸くん。いつもみたいに、大丈夫だ、て抱きしめて。愛してる、て聞かせて。どうして、何も言ってくれないの? どうして、抱きしめ返してくれないの? どうして、まるで別人みたいに――。


「悪い、神崎さん」


 どうして、そんな他人行儀に私を呼ぶの?


「カヤ、て呼んでよ、いつもみたいに」

「違うんだ、俺は……」

「約束したじゃない。何があっても、急に態度変えて避けたりしない、て。どうして、そんな冷たく……」

 

 顔を上げた私は、ハッとして言葉に詰まった。

 さっきまで傷一つなかったはずの彼の頬がべっとりと赤く染まっていたのだ。


「どう……したの、それ!?」


 思わず彼の頬に伸ばした手が止まった。

 ぞっと背筋が凍りついた。一瞬にして、涙が枯れたようだった。

 気づいてしまった。彼の頬を赤く染めたのは、自分であること。彼の頬を撫でた自分の手が、真っ赤に染まっていたこと。手だけじゃない。腕も、足も、体中が絵の具でも被ったかのように赤く染まっていた。

 嫌な予感がした。


「私……気を失ってた……?」


 ガタガタと身体が震えだしていた。


 ――君の中には化け物がいる。


 ユリィの言葉が脳裏をよぎり、恐ろしい疑問が浮かぶ。


あの人たち(・・・・・)は、どこ……?」


 意識があったときまではいたはずの、ガードマンたちの気配がなかった。

 その姿を捜そうという気にもなれなかった。辺りを見回すことさえできなかった。視界の端で、すでに見えていたから。傍にある鏡に映っていた。天井も、壁も、床も、真っ赤に染まった部屋が。

 すぐに悟った。

 部屋中を染め、私の身体に染みついたそれが、血であること。そして、それがガードマンたちのものであること。


「君は、ケガはしてないんだな?」


 そう確認してきた彼の声からは戸惑いがうかがえた。

 不思議なんだろう、血の海のなかで、なぜ、私は無傷で眠っていたのか。彼は知らないから。私の正体を。私の中に化け物が巣食っていることを。――いえ、私が化け物だということを。

 そのとき、ようやく、目が覚めた。夢のような世界から、現実に引き戻された。

 私は服にしみ込んだ赤いシミをぼうっと見つめながら答えた。


「私は……大丈夫です、長谷川さん(・・・・・)


 現れたのが和幸くんでなかったことに絶望を覚えながらも、どこかで安堵していた。

 だって、和幸くんには知られたくなかったから。いくらあがこうと、私は人を滅ぼすために創られた人形で、その運命からは逃れられないんだ、て。どんなに人でありたいと願っても、この身は人の血で穢れていく。私の意志なんて関係ない。銃と一緒だ。私は人を殺すための道具でしかないんだ。

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