会いたい
ゆっくりと扉を開くと、前田のよく知る顔が並んでいた。
「どうも、前田さん。傷の具合はどうですか?」
にこりと気持ち悪いほどの愛想笑いを浮かべて、黒いスーツを着込んだ大柄な男がずいっと部屋の中へ入り込んでくる。前田は押し込まれるようにして後ずさった。男のあとについて、同じような格好をした若い男たちが三人、ぞろぞろと入ってくる。皆、本間家でガードマンをしていた男たちだ。一週間前のあの日──前田が曽良に刺されたあの日、前田とともにカヤの監視にあたっていたメンバーでもある。
「すみません、根津さん。勝手に抜け出して。ちょっと息抜きを……」
冷や汗を額に浮かべながらも、前田は硬い笑みをつくって見せた。精一杯、平静を装っているのは、気の毒なほどに一目瞭然。ガードマンたちにも、前田の嘘などお見通しなのだろう。根津と呼ばれた先頭の男は、鷹のような鋭い目で前田を見下ろし、クッと嘲笑するように笑った。
「こんなところで息抜きとは、前田さんもたまってらっしゃったようで」
そんな侮蔑たっぷりの冗談に、根津の後ろで控えるほかのガードマンたちもくつくつと笑い出した。
それでも前田は腹を立てる様子もなく、「いや、ほんとに」と視線を泳がせながらも小声で相槌を打つ。
「ご心配おかけしました。もう気は済みましたから、病院に戻ります」
さあ、と促す前田だったが、男たちは頑として動く気配はない。無言で前田の前に立ちはだかり、ほくそ笑んでいる。
「僕を……病院に連れ戻しに来たんですよね?」
さすがに前田の作り笑みもひきつった。確認するように訊ねると、根津はわざとらしく憫笑し、前田の肩にトンと手を置いた。
「まさか。前田さんにもう用はありません」
「は……」
「驚きました」唖然とする前田の耳に、男はそっと耳打ちした。「カヤお嬢様とホテルで逢引される仲だったんですね」
前田はぎょっと目を見開き、「なにを言っ……!?」と叫びかけた。その開いた口の中に、根津はすばやく銃口をねじ込んだ。くぐもった声を漏らし、硬直する前田に、根津は呆れたようにため息つく。
「誰もあなたのことなんて、本気で心配なんてしてませんよ。あの日、瀕死のあなたを助けたのも、病院でゆっくりと療養させたのも、全部、このためです。こうして、あなたがカヤお嬢様と連絡を取るのを待っていただけです。
あなたは、まんまと我々の監視のスキをついて抜け出したと思ってるんでしょうが、残念ながら、思い違いです。なかなか行動を起こさないので、わざと監視を外して差し上げたんですよ。もちろん、全て本間先生のご指示で」
前田は必死な形相で何かを訴えるようにうなり声を上げた。それに根津は「はいはい」としたり顔で頷く。
「今さら、ごまかそうなんてやめてくださいよ。あなたが手引きして、カヤお嬢様をカインに引き渡したのは明らかなんですから。
あの日のあなたの行動は明らかに不自然でした。本間先生から電話があった、なんて嘘までついて、カヤお嬢様をリビングから連れ出した。そのあとすぐに、カヤお嬢様は連れ去られ、あなたはナイフで刺されるも一命を取り留めた。
おかしいと思いませんか? カインに出くわして、生き延びるなんて。あなたが今、こうして生きていることが、何よりの証拠なんですよ。ナイフで刺されるのも、計画の内だったんですよね。
疑われて当然でしょう。あなたはカインと何らかのつながりをもっている、と」
銃口を咥えながらも前田は顔を左右に振るが、根津は構わず、捲し立てるように続ける。
「お分かりですね、前田さん。本間先生があなたを生かしていた理由は、ただあなたがカヤお嬢様とカインに関して何か知っていそうだったからです。カヤお嬢様が手に入れば、もうあなたには用はありません。あとはカヤお嬢様に直接お聞きします」
前田の身体がガクガクと震え出していた。暑いわけでもないのに、青ざめた顔は汗でびっしょりと濡れている。
根津は満足そうに微笑を浮かべ、銃の引き金に指を置いた。
「そういうことですので。お疲れさまでした、前田さん」
前田は悔しげに眉間に皺を寄せ、目蓋を閉じた。──と、そのときだった。
「銃を下げてください!」
いきなり、そんな甲高い声が響いた。
ぎょっとして根津と男たちが部屋の奥へと目を向けると、
「前田さんから離れてください」
部屋の真ん中にあるクイーンサイズのベッド。その陰に隠れていたようだ。銃をかざしながら立ち上がり、姿を現した一人の少女に、根津は口許の皺を濃くしてにんまりと怪しい笑みを広げた。
「カヤさん! なんで……」
根津の気が逸れたすきに、前田は血相変えて振り返った。だが、その肩をむんずと掴み、根津は今度は前田の頭に銃口を突きつける。カヤの脅しなど聞く耳はないようだ。
「捜す手間が省けました。お父様がお待ちですよ、カヤお嬢様。帰りましょう」
「前田さんを離してください」
カヤは両手でしっかりとリボルバー拳銃を構え、根津を睨みつけた。
「そんなもの持って、どうするって言うんですか? そんな距離でちゃんと私に当てられますか? 前田さんに当たるかもしれませんよ」
根津のそれは、まるで子供を茶化すような口振りだった。根津の後ろに控えるガードマンたちもうすら笑みを浮かべて傍観しているだけ。カヤの銃は彼らにとってオモチャ同然の脅威しかないのだろう。
だが、カヤは動揺する気配すら見せず、持っていた銃口をおもむろに動かした。
「じゃあ、この距離なら当たりますか?」
次の瞬間、それまで余裕の表情で構えていたガードマンたちが一気に顔色を変えた。
カヤの銃口は、彼らではなく、カヤのこめかみに向けられていた。
「ご冗談はよしてください」鼻で笑う根津だったが、その頬は引きつっていた。「お嬢様にそんなこと……」
「私を連れ戻しに来たんですよね? 私を無事に連れ帰らないと困るんじゃないですか?」
「……」
ガードマンたちが顔をしかめて黙り込んでいると、
「カヤさん!」と前田が根津の手を振り払おうともがきながら叫んだ。「やめてください、そんなこと! 早く逃げてください! 僕のことはいいですから。どうせ僕なんて……」
「嫌なんです!」
前田の声をかき消して、悲鳴のようなカヤの声が部屋に響いた。
銃口をこめかみにつきつけながら、カヤは聡明そうな輝きが宿る目を潤ませて、顔を歪めた。
「もう、嫌なんです。もう、誰かに裏切られるのも、裏切るのも嫌。誰かを失うのも嫌」
「カヤさん……」
「それに──前田さん、私を助けようとしてくれたじゃないですか」カヤはフードの下で悲しげに微笑んだ。「どうせ、なんて言わないでください」
前田ははたりとして、言葉を失くした。涙なのか、汗なのか、前田の頬につうっと雫が落ちていった。
「くそっ! これだから、お嬢様のお守りは嫌なんだ」いきなり悪態づいて、根津は前田をぐいっと引っぱり寄せた。「こいつ、外に出せ!」
根津は乱暴に前田を突き飛ばし、後ろのガードマンたちに渡した。二十代半ばほどの一番若そうなガードマンは丸い目を白黒させて、「でも、いいんですか?」と遠慮がちに訊ねる。
「お嬢様が最優先だ。そいつは生きてようが生きてまいが、どうでもいい。生きてても何もできやしねぇんだ。放り出しとけ。これじゃ話が進まねぇ」
「はあ」
納得できていないのか、若いガードマンは生返事をして、前田を扉の外へと押し出した。
曽良に刺された傷も閉じて間もない。その上、ひょろっとした痩身の前田と、スーツをはちきらんばかりの鍛え抜かれた肉体を持つガードマンでは、体格が違いすぎる。前田は足を踏ん張り、手を振り回し、無我夢中で抵抗していたが、あっという間に部屋の外へと出されてしまった。
前田の怒号が木霊する中、扉が閉まる音がした。ガチャン、と鍵がかけられ、部屋には、カヤとガードマンの四人だけが残った。
「さて」と、根津は部屋の中へと入りながら、落ち着いた声色で切り出す。「これでご満足ですか、カヤお嬢様? そんなものしまって、大人しくお家に帰りましょう」
「もう私に家なんてありません」
「そんなわがまま、やめていただけますか? 本間先生がお待ちですから」
歩み寄ってくる根津との距離を取るように、カヤは銃を自分に突きつけたまま後ろに下がった。
「おじさまには会います。でも……家に行く気はありません」
「はい?」
「私を……和幸くんのところに連れて行って」
それまで気丈に振る舞っていたカヤが、初めて弱さを見せた瞬間だった。声は震え、根津に向ける眼差しはすがるような頼りないものになっていた。
根津はしばらくぽかんとしてから、「参りましたね」と白々しく言いづらそうに視線を逸らした。
「実は、藤本和幸は……」
「知ってます! 前田さんから全部聞きました。彼の意識がないことも、明日のことも……」
銃を握りしめるカヤの手には力がこもり、小刻みに震えていた。深刻そうにしかめた顔からは悔しさがにじみ出ている。
根津はカヤをじっと見つめながら、「ほう」と怪訝そうに小首を傾げた。
「それでも、会いたいんですか? 話しかけても、何も応えない。あなたを認識することもできない状態なんですよ」
「それでも……会いたい」うつむき、カヤはつぶやくように言った。「たとえ、彼を救えないとしても……会いたい。そばにいたい。きっと、彼も私を待ってる」
ふいに、カヤはその表情に不安そうな翳りを見せた。根津や他のガードマンの存在など忘れてしまったのではないか。そう思わせるほど、ぼうっと足下の一点を見つめて……。
「約束したもの。私が迎えに行くから待っていて、て。だから、きっと私を待ってる。──彼が自殺なんてするはずない」
誤って、「完結」にしてしまっておりました。申し訳ありません。
まだ続きます。