復讐
嵐の部屋は最上階だった。
学生向けマンションの中でも贅沢な部類にはいるのだろう。エレベーターは広々として、内部の装飾にもこだわりが見られた。その中で、嵐はしゃべり続けていた。六階につき、部屋のドアまで向かう間も、玄関の鍵を開けている間も、嵐は延々と口を動かしていた。砺波と名乗った少女はニコニコとして頷き続け、それが余計に嵐を饒舌にしたようだ。
「さ、上がって上がって」
玄関に入ると、自動で廊下の明かりがついた。フローリングの床に、丸電球の照明が反射して、道標のようにリビングへと向かって点々と連なる。
「おじゃまします」
先に廊下を進む嵐のあとを追って、砺波も皮のローファーを脱ぎ、玄関に上がった。
「で……お父さんに迎えに来てもらうんだっけ?」
リビングのドアに手をかけながら、嵐は振り返って訊ねた。
「はい」申し訳なさそうに、砺波は俯いて頷く。「そのことなんですけど、うち、厳しくて、ケータイ持たせてもらってないんです。もしご迷惑じゃなかったら、斎藤さんの電話、貸してもらえませんか?」
「いいよ」
考える間を置くこともなく、嵐はあっさりと承諾した。相手が愛らしい女子高生だからなのか、もとからケータイを他人に貸すことになんの抵抗もないのか。あるいは、単に何も考えていないだけかもしれない。
リビングに入りながら、嵐はズボンの後ろポケットからケータイを取り出す。
「別に、泊まっていってくれてもいいんだけどね」冗談っぽくそう言って、嵐はケータイを手に砺波に振り返った。「なんつって。もう夜も遅いし、早くお父さんに電話してあげな」
「ありがとうございます」
ふわりとウェーブがかった髪を揺らして頭を下げると、砺波は嵐からケータイを受け取った。それを満足げに見届けてから、ふいに嵐は顔をしかめた。
「そういや、君、こんな時間になにしてたんだ? この辺、大学はあるけど、高校はなかったような……」
そのときだった。暗いリビングにバキッと何かが折れた音が響いた。ぎょっとする嵐の目には、砺波の左手の中で真っ二つに折れたケータイがあった。折りたたみ式でもない。平らなスマートフォンだ。片手でそう簡単に折れるはずがない。それも、十代の少女が……。だが、あまりの驚きに、そんな細かいことは嵐の頭にひっかからなかったようだ。
「なにすんだよ!?」嵐は驚愕した様子で、砺波の手の中で無残に折れたケータイを覗き込んだ。「これじゃ、お父さんに電話できないよ? いまどき、固定電話なんてないからね?」
「うっかりしてた」
砺波はあひる口を大きく開いて、満面の笑みを浮かべた。
「パパ、もういないんだった。殺されちゃったんだ」
「は?」
さらりと打ち明けられた衝撃の事実に、とっさに顔を上げた嵐は『あるもの』を目にして固まった。それは、嵐にとって見覚えのあるものだったはずだ。ほんの数時間前に、まったく同じ景色を見たのだから。
「これであんたも誰とも連絡取れない。助けを呼べないね」
「ちょっと……」嵐は頬をひくつかせながら、砺波を見下ろした。「今、女子高生ん中で流行ってるわけ、こういうご挨拶?」
「まだ、そんな減らず口がたたけるんだ。すごいね」
嵐の眉間に銃口をつきつけながら、砺波は感心したように言った。決して嫌味っぽくはなかった。本当に感心したのだろう。
「まさか、強盗とか?」
「違うヨ」くすりと笑う砺波に緊張感もなにもない。「あんたのお父さんに用があるんだ」
「親父?」
「一流の情報屋を雇ったんだけどさ、あんたのお父さんの居所だけは掴めないんだよね。だから、息子のあんたなら知ってるじゃないかと思って」
嵐の表情が曇った。そこにかすかにだが残っていた余裕が一瞬で消え去った。それに勝機を見たのか、アヒル口に薄ら笑みを残し、砺波は鋭い眼差しを嵐に向けた。
「その様子だと、ドンピシャだったみたいだね。連れて行ってくれる? 斎藤先生のところに」
嵐が真剣な面持ちで黙っていると、砺波はつきつけていた銃口でその眉間を小突いた。
「拒まないでね。こっちは金欠なんだ。弾を無駄遣いしたくない」
「安心していい」やがて、ふっと自嘲するように鼻で笑い、嵐は目を側めた。「俺は拒んだりしねぇ。すぐにでも連れて行ってやるよ」
「物分かりがいいんだね」
「親父のことだ。恨みを買うようなことしたんだろ。そろそろ、報いを受けるべきだ」
嵐の言葉は重々しく響き、その端々からは怒りのようなものが感じ取れた。それまでのお調子者の軽口とは大違いだ。
だからだろう。砺波はあっさりと銃を引いた。
「好きじゃないの? 自分のお父さんのこと。一応、殺すつもりだよ」
「もうあいつを父親とは思ってねぇ。命張ってまで守る義理はねぇよ」
「親子ゲンカ中なわけ?」
「あいつは……俺を殺した」
砺波は不思議そうにぱちくりと目を瞬かせた。それから、「ふぅん」と訝しそうに小首を傾げる。そのさまは、純情な愛らしい少女そのもので、手に握る銃が余計に不気味な存在感を放っていた。
「よく分かんないけど、協力してくれるなら、どうでもいいや」
「ああ、付き合ってやるよ」部屋の角に置かれた姿鏡を──そこに映る自分を見つめ、嵐はニヒルな笑みを浮かべた。「俺も心のどっかでずっと、親父に復讐したいと思っていたのかもしれない」