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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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『本物』と『偽物』

 どれくらい待ったことだろう。一時間、くらいかな。

 暗い玄関に座り込み、ずっと重々しい鉄の扉を睨みつけていた。早く、早く……と、心の中で途切れなく響く焦る声が、今にも口から叫びとなって飛び出しそうだった。

 すぐにでも前田さんのところに駆け付けたかった。でも、できなかった。さくらちゃんを一人、置いていくわけは行かなかったし、それに、私には取り返さなきゃいけない大事なものがあったから。

 だから、焦りに身を焼かれる思いで待っていた。──そして、とうとう、ガチャリ、と鍵が開かれる音がした。

 思わず、立ち上がっていた。

 ゆっくりとドアが開き、『彼』の姿が目の前に現れる。二度と見ることはないと覚悟した、愛しい人の姿。その影を追い求めるようにして、ここに来た。紛い物でもいいと思ったから。せめて、『彼』の顔を見たかった。その声を聞きたかった。そうしていれば、バラバラになってしまいそうな心をつなぎとめることができると思ったから。

 でも、もしかしたら、また彼に会えるかもしれない。本物の彼をこの目で見て、この手で触って、この身体で感じることができるかもしれない。

 早く……早く、会いたい。


 「神崎さん? どうしたんだ、こんなところで?」


 私に気づくなり、ぎょっと目を丸くして、長谷川さんは玄関に飛び込んできた。驚く顔も彼そっくりだ。私が迎えに行ったら、彼もこんな顔をするのかな。その顔を見るのが、待ち遠しくてたまらない。


 「長谷川さん。今まで、お世話になりました」長谷川さんに借りたキャップをかぶった頭をぺこりと下げた。「ご迷惑をおかけしました。今夜、出て行きます」

 「出て行くって……なんで、突然!? もしかして、斎藤のことを気にしてるのか? それなら、大丈夫だ。あいつは、絶対に君のことを口外したりは……」

 「違います」


 顔を上げ、まっすぐに長谷川さんを見つめた。


 「迎えに行くんです」

 「迎え?」と、訝しそうに長谷川さんは眉根を寄せた。「誰を……?」

 

 私は答える前に、つい、微笑んでいた。それだけで、長谷川さんには分かったようだ。長谷川さんはハッとして後退った。


 「なんで……」

 「ある人から電話があったんです。彼の居場所が分かりそうなんです。だから……」

 「あいつは、殺されたんだろう!?」


 思わぬ言葉が胸を貫いた。心に満ち満ちていた憂いを払い、ようやく絶望の底から光を求めて伸ばした手を、払いのけられたようだった。


 「斎藤が言ってた。君はあいつが『誰に殺されたのか』、斎藤に聞いたんだよな」

 「違う!」悲鳴のような声が飛び出していた。「誤解だったの! 彼は生きてる! じゃなきゃ……じゃなきゃ……」


 ダメ。考えちゃダメ。信じなきゃ。彼は生きてるんだ。彼は生きてる。前田さんは、それを知らせるために連絡してきたんだ。きっと、彼に会わせてくれる。そのために、私を呼び出したんだ。

 彼は生きてる……生きてなきゃダメなんだ。彼のいない世界なんていや。認めない。そんな世界──赦せない。

 

 「今、あいつのアパートに行ってきたんだ」神妙な面持ちで、慎重に、長谷川さんは切り出した。「あいつはずっと帰ってきてないそうだ」

 「きっと、帰れない事情があるんです。だから行かなきゃ」

 「あいつは殺し屋なんだろう。殺し屋が『帰れない事情』なんて、君が行ったところでどうにかなるものなのか?」

 

 言わないで。『彼』の声で、そんなことを言わないで。


 「そもそも、生きてるなら、なんで君に連絡してこないんだ? 君があの電話を大事そうに持っていたのは、彼からの電話を待っていたからなんだろう? 君がこれだけ待っていても、電話一つ寄越さないのは……」

 「銃弾を返してください!」


 こんなにも感情が溢れ出すような感覚は初めてだった。激しく揺れる心が、冷静さを失くし、勝手に私の身体を動かしたようだった。

 長谷川さんの言わんとしていることは分かっていた。だからこそ、私はその言葉を遮った。ジーンズの腰に差していた銃を取り出し、その銃口を彼に向けて。

 シンと静まり返った玄関で、長谷川さんの落ち着いた息遣いだけが響いていた。

 銃口を向けられても、長谷川さんはひるむ様子すら見せなかった。まるで、大人が子供のおもちゃでも見るような、そんな呆れたような眼差しで銃口を見つめていた。


 「銃弾は全部、俺が預かってる」

 「全部、渡したとは限りません」カチャリと撃鉄を下げ、銃をぐっと強く握った。「試してみますか?」

 「やってみればいい」


 ふうっとため息ついて、長谷川さんは憐れむような目で私を見つめた。


 「君に『あいつ』が殺せるのか?」

 「……」


 完敗だった。

 たとえ、何があろうと、私が長谷川さんを撃てるわけない。そんなこと、考えるまでもなく分かりきったことだ。どんなに虚勢を張っても、長谷川さんを見つめる私の目はきっと全てを物語ってしまう。こんな鉄の塊を持ち出したところで、それがごまかせるわけもない。

 どんなに自分に言い聞かせても、私の目に映る長谷川さんは『彼』の姿にしかならない。長谷川さんがその眼差しで私を見つめ、その声で私に語りかける限り、私は裸同然に無防備で、敵意さえ抱くことはできない。ただただ、愛しさだけがつのってしまう。


 「会いたい」


 溜め込みきれなくなった気持ちが、転がり出ていた。


 「彼に……和幸くんに、会いたい」


 彼を想う心が、唯一、私を人間に戻してくれる。ぽろりと目からこぼれた雫は、その証明だった。

 力なく銃を降ろし、私は懇願するように頭を垂らした。


 「お願い、長谷川さん。分かって。銃弾を……返してください」

 「できない」


 申し訳なさそうに、でも力強く、長谷川さんは答えた。


 「君がそんなものを持ち出してでも行かなきゃいけないようなところに、行かせるわけにはいかない」

 「長谷川さんがなんと言おうと、私は行きます」

 「事情を話してくれないか? 約束する、力になる」

 

 熱っぽく言う長谷川さんの声は、やっぱり彼そのものだった。聞いていたら、惑わされてしまいそうになる。甘えたくなってしまう。

 そんな弱さを振り切るように、私は首を横に振った。

 

 「ダメです。長谷川さんをこれ以上、巻き込めません」

 「巻き込むもなにも」長谷川さんは皮肉そうに苦笑した。「あいつは俺のクローンだ。無関係ってわけじゃない」

 「長谷川さんは分かってない」


 顔を上げ、私はまっすぐに長谷川さんを見据えた。和幸くんと同じ姿をした別人(・・)を。


 「和幸くんは、あなたのクローンじゃない。私にとって、彼が『本物』で、あなたが『偽物』なんです」


 意外な言葉だったのだろう、長谷川さんはあっけにとられた様子だった。


 「だから、長谷川さんには、私を止められません。私は何があっても、彼のところに行きます」


 はっきりとそう言い切ると、長谷川さんはしばらくぼうっとしてから、「そうか」と降参するようにつぶやいた。ふっと長谷川さんの肩の力が抜けたのが目に見えて分かった。


 「『偽物』が『本物』に勝てるわけないんだな」長谷川さんはどこか寂しそうに言った。「クローン、と言われる気持ちが初めて分かった気がする。ひどい無力感だ」

 「長谷川さんは、さくらちゃんを守ってあげてください」

 

 慰めるように言って、私は長谷川さんに手を差し出した。


 「私は、和幸くんを迎えに行きます。銃弾を返してください」


 長谷川さんの表情が強張った。私の気持ちは理解できても、それだけは気が進まない、そんな頑固な意地のようなものが見て取れた。


 「銃弾が必要になるようなことをするつもりなんだな」

 「分かりません。でも、何かあったときに、彼を守りたいから……その手段を持っておきたいんです」

 「これは何かを守るためのものじゃない。奪うものだ」

 「それでも、私に頼れるものはこれしかないんです。私は、彼を奪われたくない」


 重い溜息が長谷川さんの口からこぼれた。納得したわけじゃない。長谷川さんは『諦めた』のだ、と分かった。気乗りしない様子で、長谷川さんはチノパンのポケットに手を入れた。


 「銃まで持って、あいつに会いに行くのか」ポケットに入れた拳をゆっくりと取り出しながら、苦渋に満ちた声で長谷川さんは言った。「君にとって、あいつはそんなに大切な存在なんだな」

 「はい」

 

 悔しそうに唇を噛み締める長谷川さんの手から銃弾を受け取り、私は誓うような想いで答えた。


 「彼が望むなら、この世界を滅ぼせるくらいに」

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