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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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電話

 「おやすみ、カヤおねえちゃん」


 布団をかけてあげると、さくらちゃんは眠そうな目を細めてそう言った。

 私が信じていた人達は殺し合い、私は大切な人たちを一度に失った。行くあてもなくて、和幸君の影を追うようにして、こうして長谷川さんのもとに逃げ込んだ。突然、現れて、居候を始めた私に、さくらちゃんは嫌な顔一つせず、まるで家族の一員として迎えてくれた。そんな彼女に、私は救われていた。さくらちゃんと遊んでいるときだけは、心が休まった。彼女は私をまっすぐに見てくれる。疑るような眼差しも、好奇の視線もなく、ただ、ここにいる私を受け入れてくれていた。私を見つめる彼女の瞳の奥に他意も企みもない──そう感じられることが、なによりの救いだった。

 

 「おやすみ」微笑み返し、私はさくらちゃんの柔らかな髪を撫でた。「また明日ね」

 「カヤおねえちゃんも、ちゃんと寝るんだよ」


 唐突に、さくらちゃんは心配そうに眉を寄せて言った。


 「急に、どうしたの?」


 虚をつかれて、取り繕った笑みはひきつった。

 驚いた。さくらちゃんが知っていたなんて。私がずっと寝ていないことを──いえ、眠れないことを。


 「そうだ」ぱあっと小さな顔に笑みを広げて、さくらちゃんは体を起こして、掛け布団をめくった。「一緒に寝よう! さくらが添い寝してあげるよ」

 「添い寝?」

 「うん! さくらが眠れないときは、まさよしが一緒に寝てくれるんだ。そうすると、ぐっすり眠れるの」


 さくらちゃんの可愛い気遣いに、自然と顔がほころぶのが分かった。

 

 「ありがとう。でも、大丈夫」さくらちゃんを再びベッドに横にさせ、布団を掛け直した。「今夜は眠れそうな気がするから」

 「そう? じゃあ、一緒に寝たくなったら、いつでも言ってね」


 さくらちゃんは真剣な顔でそう言った。

 こんなに心配してくれている彼女に、嘘をついてしまったことが心苦しかった。私は逃げるようにさくらちゃんの部屋を出た。

 リビングに戻ると、ふっと体の力が抜けて、フローリングの床に座り込んだ。


 「添い寝、か」


 広いリビングの端っこで膝を抱え、私はふっと笑っていた。

 あの日から──ユリィとリストくんに全てを聞き、私の身体に異変が起きてから、私は眠ることさえできなくなっていた。飢えも寒さも感じず、痛みさえ分からない。疲れもなく、眠気もない。そんな身体は寂しいだけだった。虚無感の容れ物でしかなかった。どうせなら、感情さえも奪ってくれればよかったのに。そう思えた。

 でも、たった一度だけ、眠れたんだ。彼の隣で、彼を全身で感じながら、私は眠りに落ちることができた。彼と最期に過ごしたあの夜、痛みを感じながら、ぬくもりに包まれる悦びを味わえた。私は人間に戻れた気がした。他の何を奪われても、彼へのこの気持ちさえあれば、私は人間でいられるんだ、と希望が持てた。

 なのに……。


 「和幸くん」


 私は膝を抱え、ぽつりとその名を呼んだ。二度と、返事がくることはないと知りながら。

 さくらちゃんの言う通りなんだ。私は添い寝してもらわなきゃ、寝ることもできない。和幸くんが隣にいなきゃ、私は自分の鼓動を感じることもできない。和幸くんがいなくなっちゃったら、私はもう人間ではいられない。


 ──この世界を……滅ぼしてほしい、て。


 曽良くんの言葉が脳裏をよぎった。ここに来てから、何度も何度もその言葉を頭の中で反芻していた。和幸くんの遺言だという、願い。

 本当に、それが和幸くんの遺言で、彼はもうこの世界にはいないのだとしたら……。


 「私に、もう迷う理由はあるのかな」


 誰もいないリビングで、そう自問するようにつぶやいた。

 私はもう人間じゃないんだ。人間としての名残が『心』として残っているだけの土人形だ。でも、その心を捧げる相手ももういない。今となっては、邪魔なだけ。私はパンドラとして生きるしかないんだ。パンドラとして、使命を果たすしかない。和幸くんだって、それを望んだんだ。彼は最期に願いを私に託した。私にしか叶えられない願い。この世界を滅ぼしてほしい──それを躊躇う理由は私に残っているの?

 と、そのときだった。

 ポケットの中で、何かが振動していることに気づいた。ありえない、と思った。勘違いだ、と思った。それでも半信半疑で私はゆっくりと手を伸ばした。そして、ポケットの中で振動するそれを確かめ、慌てて取り出した。

 鏡がなくても分かる。私はきっと必死な表情をしているだろう。驚きと興奮、そして不安が胸の中で入り乱れいた。喜怒哀楽だけでは表現できない複雑な感情が沸き起こっていた。

 手の中で振動するそれは、二度と動くことはないはずだった。その携帯電話は誰ともつながることはないはずだった。だって、番号を知っているのは、二人だけ。曽良くんと、そして……。

 期待が波のようにどっと押し寄せ、不安を飲み込んだ。

 私は夢中で携帯電話の通話ボタンを押して、耳にかざした。そして──、


 『良かった……つながった』


 聞こえてきたその声に、私は息を呑んだ。

 懐かしい声だった。もう二度と、聞くことはないと思っていた声だった。

 私は目を見開き、まっすぐ前を見つめて固まった。溢れかえる疑問の数々に喉が詰まって、声が出せないようだった。

 どれくらいそうして黙り込んでいたのか、分からない。数分だったかもしれないし、ほんの数秒だったのかもしれない。

 ようやく、我に返って、私はなんとか声を絞り出した。


 「どうして、前田さんが……」

 『無事、逃げきれたんですね』そう言う前田さんの声は、ホッとしつつも緊張を隠しきれていなかった。『今から会えませんか』

 「会うって……」


 曽良くんに殺されたと思っていた前田さんが生きていた。しかも、なぜか、この携帯電話の番号を知っていた。

 分からないことばかりだというのに、いきなり会うなんて……。

 確かに、前田さんは身を呈して、私を逃がそうとしてくれた。本間秀実の指示に背いて、危険を冒してまで、私を曽良くんのもとへと連れ出してくれた。味方だと信じてもいいの? 信じたい。でも……。

 

 「これが本間秀実の罠ではない、という保障はありません」そこに本間秀実の幻影があるかのように前を睨みつけ、感情を押し殺した声で私は言った。「会えるわけ……」

 『藤本和幸くんのことです』


 焦ったように早口で訴えてきた前田さんの言葉に、私は頭が真っ白になった。


 「和幸……くん?」


 その名前を繰り返すことが精一杯だった。

 

 『監視の隙をついて、僕も逃げ出してきたところなんです。今は公衆電話からかけてます。長くは話せません。どこかで落ち合えませんか』


 彼の名前が出た時点で、私に冷静な判断なんてできるはずもなかった。いえ、冷静になるつもりもなかった。


 「どこに行けばいいですか?」

 

 私は立ち上がり、そう訊ねていた。

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