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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
320/365

そらくん

 「で? 何を知ってる?」鍵をひねり、車のエンジンをかけながら、正義は静かに訊ねた。「なんで、さっさと引き返させたんだ?」

 「どうも、思ってたより状況が複雑そうだったんでね」


 助手席で、嵐は寒そうに身を縮こめ、両手に息を吹きかけていた。


 「あの白人の兄ちゃんだ。例のパーティで、お前のクローンが殴った相手」

 「は?」


 正義は眉根を寄せて嵐に振り向いた。


 「つまり、あいつが本間のお嬢ちゃんの婚約者さ。元、なのかもしれねぇけど……」


 嵐はコンコンと親指で窓を叩くようにして、和幸のアパートを指した。


 「どういうことだ? なんで、婚約者があいつを待ってるんだ?」

 「だから、言っただろう。状況が複雑そうだ、て」

 「まさか……」正義は緊張の面持ちで嵐を見つめたまま、ハンドルをぎゅっと握りしめた。「俺たちと同じ目的か?」

 「そう考えるのが妥当だろうな」嵐はエアコンのダイヤルを回し、送風口に両手をかざした。「あいつも本間のお嬢ちゃんを捜してるんだろ。それ以外に、元彼の家に来る理由はない。つまり、修羅場だ、修羅場。巻き込まれないほうが身の為だ」

 「やはり、彼女の家出の原因は、三角関係のもつれってことか?」

 「そんな感じがするなぁ」


 正義は怪訝そうに顔をしかめた。


 「そうだとして……よく分からないんだが、なぜ、婚約者まで彼女を捜しているんだ? 神崎さんは俺のクローンと別れてまで、彼を選んだんだろう。なのになぜ、婚約者の彼からも身を隠して俺のところに来たんだ?」

 「もしかしたら、本間のお嬢ちゃんは婚約者からも逃げてるのかもしれないな。実は、あの婚約者は本間のおっさんが用意した男だった、とか。政治家の娘だからな。いろいろとしがらみもあるだろうさ。本間家の事情で組まされた縁談、てこともある」


 正義はうつむき、「なるほど」とつぶやいた。


 「俺のクローンとは無理やり別れさせられた、か」

 「それなら、パーティでのケンカも納得できる」温まってきたのか、嵐は両手の指先をこすり合わせながら、革張りのシートに体をうずめた。「無理やり別れさせられて、好きな女が望まない結婚させられそうなら、殴りたくもなるわ」

 「つじつまがあう……か」


 二人は黙り込み、車の中でエンジン音と送風口から噴き出してくる暖風の音だけが鳴り響いていた。

 正義はハンドルを握りしめたまま、前方をじっと睨みつけていた。その表情はすっきりとはせず、何かが腑に落ちていないようだった。

 そんな正義を横目で見つめ、嵐は正義の心を読み取ったかのような口振りで言う。


 「やっぱ、ひっかかるか」

 「ああ」と、正義は素直に同意した。「なぜ、あの婚約者はクローンのことを知ってるんだ? 彼女が話したとは思えない」

 「お前のクローンが自分で言ったとか……はないよな」

 「それはまずない、と思う。あいつは……ただのクローンじゃない」正義の声は自信無げにしぼみ、その表情に陰りが見られた。「本当に信用できる人間にしか、自分の情報は渡さないはずだ」

 「ただのクローンじゃないって、どういう意味だ?」

 「こっちのことだ」きっぱりと嵐の問いをはねのけ、正義は気を取り直すように表情を引き締めた。「とにかく、どうも気味が悪い。あの婚約者は何者だ?」

 「本間のお嬢ちゃんの婚約者だ。金持ちなのは間違いないだろうな。金の力でお前のクローンを調べ上げた、て可能性もある」

 「情報屋、か」正義は皮肉そうな笑みをこぼした。「その可能性はあるな。トーキョーには腕のいいのがいる」

 「なんだ、知ったような言い方だな?」

 

 正義は何も答えず、フロントミラーを調節し、ハンドブレーキを下げた。アクセルをゆっくり踏むと、エンジンがうなり声を上げ、車が進み出す。

 ラジオも音楽もかけていない静かな車内だ。嵐の問いは聞こえていないはずはない。それでも、黙ったまま車を走らせる正義の態度に、何かを悟ったようで、嵐は「あ、そ」と肩を竦めた。


 「とりあえず、お嬢ちゃんの婚約者がお前のクローンのことを知ってる、てのは分かったわけだ。気になるのは、本間のおっさんは知ってるのかどうか、だな」

 「本間?」

 「今度は聞こえたのね」鼻で笑ってそう嫌味を言ってから、嵐は窓の外へと視線を向けた。「養女とはいえ、娘の恋人の素性は、気になるところだろ。お前のクローンを調べたのは、本間のおっさん、て可能性もある。婚約者は、本間のおっさんからそれを知らされただけ、とか」

 「そうか」前方を見つめる正義の目が見開いた。「本間代議士はクローンのことを知って、神崎さんと藤本和幸を無理やり別れさせ、あの婚約者を用意した――そう考えたほうが自然だな」

 「政治家にとって、クローンとの繋がりは厄介なもんでしかないからな。娘の恋人がクローンだと知れば、容赦なく切り捨てるだろうさ」


 窓に反射して浮かび上がる嵐の表情は強張り、その眼差しには憂いが帯びていた。それは、虚しさや後悔といったものを感じさせる寂しげなもので、他人のもめごとに首をつっこんでいるだけにしては個人的な執着さえ漂わせるものだった。

 

 「ごめんなさい、か」


 ぽつりと、正義がつぶやいた。

 嵐は我に返ったようにハッとして、正義に振り返る。


 「なんだ、急に?」

 「神崎さんは『ごめんなさい』と言っていた。別れさせられたことに対しての謝罪だったんだろうか。それだけじゃないように思えてならない」

 「確かに、取り乱しまくってたなぁ」嵐は呆れたように苦笑いを浮かべた。「銃まで持ち出して、殺された、だなんだと騒いで……」


 その瞬間、急に正義はブレーキをかけた。キイッと耳障りな音が、人気の無い暗がりの路地に鳴り響く。

 アタッシュケースに頭を打ち付けそうな勢いで前のめりになった嵐は、何事か、と言わんばかりに血相変えて正義に振り返った。だが、勢いよく開いた口は文句を言うわけでもなく、ぽかんと開いたまま固まった。

 ハンドルを強く握りしめたまま前を見つめる正義の顔は真っ青になっていた。


 「殺された……」


 震えた声でこぼした正義の言葉に、嵐は頬を引きつらせた。


 「おい、まさか、本気にしてんのか? あの子、どう見ても正気じゃなかっただろ。お前、自分でも言ってただろ。あんな状態の人間の言葉を真に受けるもんじゃねぇって」

 「あいつは行方不明だ」


 正義が独り言のようにつぶやいた言葉に、嵐は目を瞬かせた。


 「なんで、すぐ気付かなかったんだ、俺は」正義は脂汗を額ににじませ、ハンドルを握りしめる手を見つめた。「殺されたんだ……俺のクローンは」

 「どうかしてる」嵐は苛立った様子で、ややパーマがかった長めの茶髪を掻きむしった。「本間のおっさんがお前のクローンを殺した、とでも言いたいのか? いくら政治家が腐ってるとしても、殺しまでするか。しかも、クローンってだけのただの高校生だろ」

 「誰も本間代議士に殺された、とは言っていない」

 「は?」と聞き返す嵐の声には、苛立ちを通り越して怒気がこもっていた。「じゃあ、誰に殺されるってんだよ?」

 「言っただろ」相変わらず、顔色を悪くして、正義は生気のない声でぽつりと言った。「俺のクローンはただのクローンじゃない」

 「ただのクローンじゃないって……だから、なんだってんだよ? 誰かに殺されても仕方ないような奴だった、てのか?」

 「……」


 黙り込んだ正義の横顔を見つめ、嵐は「まじかよ」と真顔になった。


 「お前のクローン、何なんだよ?」


 正義は自分を落ち着かせるように瞼を閉じて深呼吸をした。それから、ゆっくりと瞼を開けると、ブレーキから足を離して、再び車を走らせ始めた。


 「しゃべりすぎた。これ以上はお前は関わらないほうがいい」

 「だから、ここまで来て引きさがれねぇっての」嵐は緊張感漂う固い笑みを浮かべた。「何が起きてるのか分からねぇけど、たぶん、お前ん家であの子に会った時点で俺も無関係ってわけにもいかなくなっちまったんじゃねぇの? あの婚約者にも顔を見られちまったし」


 通り過ぎていく街灯の光が、沈んだ表情を浮かべる正義の顔を照らしていく。ぐっと引き結ばれた口は、今にもほどけて謝罪の言葉を吐き出しそうだ。そんな正義を横目に、嵐はどこか同情するような笑みを浮かべて「ま」と軽い調子で切り出した。


 「なにを心配してんのか知らねぇけど、お前が気に病むことじゃねぇよ。もともと、首を突っ込んだのは俺だしな」


 正義はちらりと嵐を一瞥した。


 「どうして、そこまで俺のクローンに興味を示す? 乗りかかった船だ、とか言ってたが、本当にそれだけなのか?」

 「他人事とは思えなくてな」

 「お前とそんなに仲が良かった覚えはないんだが」

 「俺も政治家の父親を持つ身として、いろいろあるんだよ」


 ため息まじりにそう言ってから、正義に声を出す暇すら与えず「それより」と嵐は話を逸らした。


 「お前は、あの子がでたらめを言っていたわけじゃない、と信じるわけだな?」

 「そう……なるな」


 まだ迷いがあるようで、そう答えた正義の声はくぐもっていた。


 「あの子が正気だったとしたら……」嵐は腕を組み、天井を見上げてぼんやりとした口調で言った。「確かに、お前のクローンは誰かに殺されたのかもな」

 「なんだ、急に?」

 「思い出したんだよ。あのとき、彼女に聞かれたんだ。『彼は誰に殺されたの?』てな。女はヒステリーを起こすと、意味分からねぇこと口走るから、深く考えてなかったけど……」

 「間違いない、か」正義は重いため息をついた。「あいつは殺されたんだな」


 十字路に差し掛かり、車を停止させ、正義はハンドルによりかかるようにして赤信号を見上げた。

 後ろについた白いミニバンから、重低音が響いてくる。テンポよく刻むその音は、車内の沈んだ空気を無遠慮に荒らす。嵐はうっとうしそうに、サイドミラー越しにミニバンをねめつけた。


 「悪いな。こんなかたちで、知ることになっちまって」

 「なんで、お前が謝るんだ」正義は自嘲するように鼻で笑った。「気を遣う必要はない。言っただろ。俺は殺されてもおかしくないほど恨まれてる、て。悲しめるほど、クローンと仲がよかったわけじゃない」

 「それでも、嫌な喪失感があるもんだろ。クローンが死ぬと」


 正義は信号機から嵐へと視線を移した。大きく見開かれた目はまっすぐに嵐を見つめ、そこには何かを確信したような光が宿っていた。


 「まさか、お前も……」


 言いかけた言葉は、背後のミニバンからのクラクションによって遮られた。

 ぎくりとして正義は信号機へと目を戻す。いつのまにか点灯していた青い光に急かされるようにアクセルを踏んだ。


 「問題は、『誰に』、『なぜ』、殺されたか、だな」正義の言葉を聞き返すわけでもなく、嵐は話を進めた。「もしかしたら、『そらくん』が知ってるかもな」

 「そらくん?」

 「そんな名前の奴に心当たりはねぇか?」


 しばらく間を起き、正義は「いや」と首を振った。


 「そいつがなんなんだ?」

 「そいつとの約束があるから、本間のおっさんに捕まるわけにはいかないんだそうだ。だから、彼女の居場所を知った俺を撃とうとしたらしい」

 「なんだ、その約束は?」

 「気になるだろ?」

 「確かに、『そら』という人物は何か知ってそうだな」


 住宅街を抜け、正義の車は繁華街の通りに出てきていた。車通りも激しくなり、通りに面して立ち並ぶ飲食店の明かりが昼間かと思うほど辺りを眩しく照らしていた。

 再び赤信号で止まった正義の車の前を、格好も表情も様々な老若男女がわらわらと大群をなして横断歩道を渡っていく。その中に、仲良さそうに腕を組むカップルが一組いた。高校生くらいの二人だった。はにかむような笑みを向け合い、楽しげに並んで歩いている。無邪気な笑い声が聞こえてきそうな初々しく仲睦まじい光景だった。

 横断歩道を渡り、雑踏の中に消えていく二人の背中を横目で見送り、正義は「そういえば」と口を開いた。


 「神崎さんを監視していたとき……ファミレスで仲良さそうにしていた少年がいたな」

 「ええ!?」と、嵐はわざとらしいほどに仰々しく驚きの声を上げた。「監視って……お前、思ってた以上に暇な奴だったんだな!」

 「事情があったんだ」正義は頬を赤らめながら、咳払いをした。「とにかく、俺が知ってる彼女の友人は、その彼くらいだ」

 「どんな奴だったんだ?」

 「彼が『そら』だとは限らないぞ」 

 「一応、だよ。暇だし」


 嵐は顎でくいっと前方を指した。信号機を越えた先で、車のテイルライトがずらりと並んでいた。信号が青に変わっても、しばらくは進めそうにはない。

 正義は困ったように頭をかきながら、「どんな奴、か」とつぶやいた。


 「ぞっとするほどキレイな少年だった」

 「は!? なに、気持ち悪いこと言ってんだよ」

 「ほかに言いようがない」

 「驚くほどの美少年、ねぇ」いまいちピンとこないようで、嵐は眉間に皺を寄せ、なかなか変わらない信号機を見上げた。「他にもっと特徴はねぇの?」

 「たぶん、ハーフだと思う。ニホン人っぽくない顔立ちだった」

 「へぇ。ハーフの美少年、か。会ってみたいもんだ」


 本心なのか計りづらい、軽い調子で嵐は言った。

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