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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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使命を果たす意味

 よりかかっていた窓から背を離し、窓の外へと視線を向ける。日はどっぷりと暮れ、夕焼けに染まっていた景色は黒く塗りつぶされていた。


 「これ以上待っても無駄ではないですか」


 パンドラの恋人だという男の部屋に侵入しようとしてみれば、鍵はかかっていなかった。帰ってきているのかと思ったが、中に入ってみれば、部屋の中はズボラという言い訳だけではすまないほど物が散乱し、座る場所もないほど荒れていた。まるで泥棒でも入ったかのよう。何かを探し、そのまま慌てて出て行った──その姿が容易に想像ついた。そして、この一週間、何度訪れても留守だった理由が分かった気がした。


 「パンドラを連れて、逃亡したに違いありません」

 「かずゆきは逃げないよ!」


 この部屋に来たときから胸に抱いていた結論を口にしたとたん、自分の味方であるはずの天使の反論の声が響いた。

 つい、ため息が漏れる。不死の身体となり、病やケガとは無縁になったはずなのに、頭痛のようなものを感じた。


 「いい加減にしてください、ケット。なぜ、あなたはそこまでパンドラの恋人に肩入れするのです?」

 「肩入れって……違うよ。かずゆきはケットたちに黙って消えちゃうような子じゃないって、ケットは知ってるだけだよ」

 「じゃあ、この部屋はどう説明するんです?」


 わたしはケットに振り返り、ねめつけた。


 「一週間前、最後にその男とここで会ったとき、部屋はキレイに整頓されていたのでしょう? そう言ったのはあなたですよ、ケット。それがなぜ、こんなに散らかっているんです?」

 「それは……分からないけど……」

 「慌てて荷造りして出て行った以外になにが考えられるんです?」

 「落ち着いてください、マルドゥク様、ケット様。結論を出すにはまだ早いのではないでしょうか?」


 突然割り込んできた声の主を捜すと、ソファに寝転がっているユリィの腹の上で、シャム猫がちょこんと座ってこちらを見ていた。


 「荷造りのために、ここまで自分の部屋を散らかす必要があるとは思えません。泥棒に入られたのかもしれません」

 「それでは、一週間も家を空けている説明がつきません」

 「もしかしたら、パンドラ様のお家に泊まっておられるのかもしれません。泥棒に入られたこと自体、気づいておられないかも……」


 苛立ちがつのるばかりだった。

 理解できなかった。ケットもラピスラズリも、どうしてここまでパンドラの恋人を信用しているのか。神の一族でもない、裁きになにも関係ない、ただ、パンドラに恋したというだけのルルの男を……。

 世界を滅ぼす力を持つパンドラを、その運命を知りつつも愛し続けているなんて、わたしには不可解だった。そもそも、もしパンドラを愛しているというなら、なぜ、パンドラを殺す使命を持つリストちゃんと行動を共にしていたの? 本当にパンドラを愛してるなら、リストちゃんからパンドラを引き離そうとするのが自然じゃないか。


 「やっぱり、納得いきません」自然と声が漏れていた。「今まで逃げなかったことのほうがおかしいくらいだわ。どうして、その男はリストちゃんから逃げなかったんです? 世界のため、恋人が殺されるのを受け入れていたとでもいうの? そんなこと、できるとは思えません」

 

 すると、ケットもラピスラズリもハッとした。天使たちから明らかな動揺が見て取れた。


 「何か……隠しているんですか?」


 確信を持って、わたしは訊ねた。


 「ああ、そっか」とユリィが口を開いたのはそのときだった。「逃げたのかもね」


 思わぬ返事だった。


 「なにを言い出すのです?」

 「そうだよ、ユリィ! かずゆきが逃げるなんて……!」

 「一週間前に最後にパンドラと交わした会話だ」


 ユリィはゆっくりと起き上がり、取り乱す天使たちを諭すような落ち着いた口調で切り出した。


 「パンドラは、恋人に真実を打ち明けると言っていたんだ」 

 「真実? 恋人は、全てを知っていたんじゃなかったんですか?」

 「いいや」と首を横に振り、ユリィは茶色い瞳をこちらに向けた。「一つだけ、彼には教えていないことがあった」

 「なんですか、それは?」

 「『テマエの実』」


 ぽつりと答えた元気の無い声は、わたしの傍らから聞こえた。ケットだった。

 さっきまでの噛み付かんという勢いは消え、すっかり気落ちしてしまったようだった。


 「彼には希望があったんだ」ソファに座り、膝に乗ったラピスラズリを撫でながら、ユリィは言った。「『テマエの実』をパンドラが食べなければ、パンドラは『終焉の詩』を詠うこともなく、再びルルとして生きられる。そう信じていた」

 「なんてデタラメな……!? どうしてそんな妄想を?」


 『テマエの実』を食べなければ、パンドラは土に戻るだけだ。パンドラはルルを裁くために創られた神の人形なのだから、ルルになれるわけがない。そのルルの男は本当にパンドラという存在を理解しているのだろうか。

 ぎょっとするわたしに、ユリィはどこか責めるような冷たい視線を向けた。


 「リスト・マルドゥクにそう言われたからだよ」

 

 がっしりと心臓を鷲掴みされたような衝撃が走った。

 どうして、リストちゃんの名前が出て来たのか、一瞬分からなかった。


 「なぜ……」と、出て来た声は掠れていた。「なぜ、リストちゃんがそんなデタラメなことを……?」

 「『テマエの実』を食べなければ、パンドラは死なない──そう伝えれば、意地でもパンドラの恋人はパンドラに『テマエの実』を食べさせない。リスト・マルドゥクはそう考えたんだ。だから、彼に偽りの希望を与えた」

 「騙していたってこと? リストちゃんが……そのルルの男を?」

 

 なんてひどいことを……。そんなことを聞けば、パンドラの恋人はパンドラを守るために、『テマエの実』からパンドラを引き離そうとするだろう。その結果、パンドラを殺すことになるとも知らず……。

 考えられなかった。わたしの知っているリストちゃんは、そんなことをするような人じゃない。人を騙して利用するようなこと、リストちゃんがするなんて信じられなかった。


 「リスト・マルドゥクも騙していることに苦しんでいるようではあったけど、それでも真実を彼には明かさなかった。そのやり方に賛同はできないけど、その気持ちは理解出来る」

 「気持ち?」


 聞き返すと、ユリィは難しい表情でこくりと頷いた。


 「パンドラの恋人は、それほどまでにパンドラを愛していた。『テマエの実』を食べればパンドラが死ぬ──その真実を知れば、きっと世界よりもパンドラを選ぶ、と思えてしまうほどに……。だから、リスト・マルドゥクは嘘を吐いた。君を守りたかったから」

 「わたしを守るため?」


 おかしな言い方をする、と思った。


 「使命を果たすため、でしょう。使命を果たし、世界をエンリルの裁きから守る。それがリストちゃんの使命。たとえ、人を騙してでも果たさなきゃいけないマルドゥクの使命だから……」

 「違う。世界を守り、君を守る。そのために、リスト・マルドゥクは使命を果たそうと思ったんだよ」

 「なにを……言ってるの?」


 またユリィが意味の分からないことを言い出し、部屋に居心地の悪い緊張感が漂った。

 そのときだった。

 静かな部屋に、来客を告げるチャイムが鳴り響いた。

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