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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
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約束

 どうして、こんなに早く私の居場所が知られてしまったの? 

 長谷川さんの友人というのは本当のようだけれど……長谷川さんが私のことを話したとは思えない。『本間カヤ』の名前を決して外で口にしないように、と頼み込んだもの。腑に落ちない様子ではあったけど、長谷川さんは約束してくれた。

 長谷川さんは、いつかのいざこざで私に負い目を感じている。だからこそ、こうして何も聞かずに私を置いてくれているんだ。その長谷川さんが約束を破るとは思えない。

 じゃあ、逆? 私目当てで長谷川さんと友人になった? 私が長谷川さんのところで居候していると知って、長谷川さんに近づいた?

 つい、憫笑のようなものがこぼれた。

 よく知っているやり方だ。標的である少年を陥れるために、その恋人を養女に迎え入れた男と同じ……。


 「本間秀実の指示ですか?」ぐっと銃を握る手に力が入った。「あの男に言われて、長谷川さんに近づいたの?」

 「は!? 本間秀実って……なんで?」

 「ここまできて、とぼけないで!」


 心の奥深くで、何か悍ましいものが雄叫びをあげ、暴れ出そうとしているようだった。自分のものとは思えないような激しい感情。このまま身体を乗っ取られてしまうんじゃないか、とさえ思えた。


 「全部、話して」ぐっと顔を寄せ、私は斉藤と名乗る男の首元に銃口を強く押し付けた。「知っていること、全部!」

 「知ってることって……」苦しそうに咳き込みながら、彼は掠れた声で答えた。「あんたが本間のお嬢様ってことくらいしか知らねぇよ」

 「嘘を吐かないで!」

 「嘘じゃねぇ!」


 嘘に決まっている。

 この人は知っているもの。私が喉から手が出るほど欲する真実を……。私が何よりも恐れている真実を……。

 知りたくてたまらなかった。知るのが恐ろしくてたまらなかった。そんな拮抗する自分の思いを整理する勇気もなくて、私は殻に閉じこもり、選択を拒んだ。

 でも、どんなに逃げても現実は必ず追って来る。こうして、目の前に突きつけられる。選択を迫られる。立ち向かうか、逃げるのか。

 私は深く息を吸い込んだ。しっかりと引き金に指を置き、彼の目を覗き込む。


 「彼はどうやって死んだの?」


 その問いを口にしただけで、喉が切り裂かれるようだった。

 寂しさが心を締め付け、今にも泣き崩れそうになるのを堪えて私は続けた。


 「彼は誰に殺されたの?」

 「何の話だ? 彼って……」

 「さっき、あなたは聞いたじゃない! 彼のケガの具合を……」


 その瞬間、ようやく彼は心当たりがあるかのようにハッとした。


 「あんたの元カレのことか」

 「教えて。彼に何があったのか」

 「教えてって……あんただって、その場にいただろう!」

 「でたらめを言わないで!」

 「でたらめじゃねぇよ! 『フィレンツェ』のパーティだ! あんたの元カレ、手をケガしただろうが!」

 「『フィレンツェ』……!?」


 一瞬、何のことか分からなかった。あまりにも、想像していた答えとはかけ離れていたから。


 「忘れたのか? あんだけ、大騒ぎしといてそりゃねぇわ」


 確かに、私は『フィレンツェ』のパーティにいた。遠い昔のようだけど、ほんの一週間前のこと。あの夜を忘れるはずは無い。初めて、彼と結ばれた夜。そして、彼と最期に過ごした夜……。

 だからこそ、はっきり言える。彼はあの夜、ケガなんてしていなかった。ケガをしていたら、身体のどこであれ、気づけた。手なら気づかないわけがない。


 「っつーか……」急に、斉藤という男は顔を青くして、ひきつり笑みを浮かべた。「『死んだ』とか言ってたけど、まさかあのケガで死んだのか? ガラスで手を切っただけじゃなかったのかよ?」

 「ガラス?」


 彼の言葉に引き出されるように、脳裏に淡い映像が蘇る。ガラスの破片がいくつも食い込んで、赤く滲んだ手のひら。そして、頬を腫らしてそれを見つめる少年。

 私はハッとして言葉を失った。

 思い出したのだ。あの夜、確かに私の『婚約者』が手をケガしたこと。配膳人としてパーティに潜り込んでいたある人物に殴られ、割れたグラスの破片で手を切った。彼は殴られた頬を赤くして、赤く染まった手をぼんやりと見つめていた。相変わらずの眠そうな目で……。

 ようやく、謎が解けた。斉藤の不可解な証言がつながった。

 全て、勘違い。私の思い過ごしだったんだ。彼の言う『元カレ』は、あの夜、ケガをした人物──私の『婚約者』のフリをしていたユリィだ。

 張り詰めていた緊張が一気に解け、全身から力が抜けた。


 「私を知っていたのは……『フィレンツェ』で会ったからだったんですね」

 「会ったっつーか、遠くから見てただけだけどな」誤解が解けたことを悟ったようで、彼は安堵したようにため息ついた。「あのパーティーに行ったのも、あんた目当てだったんだ。本間のお姫様のお披露目がある、て噂を聞いて、興味本位で親父の名前を使って忍び込んだ」

 「そう……ですか」


 この人は、長谷川さんの友達。ただそれだけだったんだ。偶然、私を知ってて、偶然、ここで私と会っただけ。

 本間秀実とはなんの関係もない。彼の死にも関係していない。


 「とりあえず、分かってくれた? 俺は無害。かわいい女の子が好きなだけ。本間家でなにがあったのか知らねぇけどよ、とりあえず、銃は下ろしてくれないかな?」

   

 でも、無害だろうか。


 「聞いてる? 銃は必要ないから」

 「私の居場所を知られた」

 「はあ!?」斉藤さんは苛立ちと呆れが混じった裏返った声を上げた。「それがなんだよ? 家出中とか? 別に、あんたと会ったことを言いふらしたりしねぇよ!」

 「保証はあるの?」

 「保証もなにも……」徐々に斉藤さんの顔が曇っていく。「おい、正気かよ。お前と会ったってだけで殺すわけ?」

 「約束なの。曽良くんとの約束なの。私は絶対に捕まるわけにはいかない」

 「そらくん?」


 分かっている。この人は悪い人じゃない。長谷川さんの友達だ。でも、私は撃たなきゃいけない。曽良くんから譲り受けた、この銃で。

 本間に捕まらないこと。それが、曽良くんとの約束。私にできるせめてもの贖罪。


 「なに言ってるのか分からねぇっての。イカれた女は嫌いじゃねぇけど、こういうプレイは好きじゃねぇよ」

 「ごめんなさい。でも……こうするしか……」


 助けて、とでも言い出しそうなほど、私の声は頼りなく掠れていた。

 震える右手を支えるように左手を添え、私はしっかりと銃を両手で構えた。

 斉藤さんの顔からひきつった笑みも消え、何かを悟ったような表情が浮かぶ。


 「分かった」と、斉藤さんは低い声で言い、両手を挙げて見せた。「お前のことは誰にも言わない。約束する。信じてくれ」

 「私を信じた人は皆、殺された。だから、私はもう誰も信じない」


 私はどんな顔でそう言ったんだろう。斉藤さんは憐れむような目で私を見ていた。突飛な言動から、長谷川さんとはまるで正反対な不真面目な人なのかと思ったけど、その眼差しからは誠実さが感じられた。

 確信した。この人は、いい人だと。

 

 「ごめんなさい」


 このまま見つめられていたら、覚悟が折れてしまいそうだった。私はぐっと唇を噛み締め、引き金に置いた人差し指に力を入れた。

 そのときだった。

 彼の背後でリビングの扉が開いた。


   *   *   *


 嵐を待たずに一人で課題を進めていた正義だったが、さくらを預かってくれている上の階の住人から電話が来て作業を中断した。よっぽど居心地がいいのか、さくらは熟睡してしまったらしい。起こすのはかわいそうだから迎えにきてほしい、という電話だった。

 礼を言い、「すぐ行きます」と電話を切ると、正義は鍵を取ってリビングを飛び出した。──が、扉を開けた瞬間、思わぬものを目にして正義は固まった。


 「神崎……さん!?」


 そう、いつのまにかゴミ捨てから戻って来ていたカヤがいた。それも、トイレにいったはずの嵐と一緒に。玄関で向き合って、一見、世間話でもしているようだが、カヤの手にはおかしなものが握られていた。ゴミ袋でも、鍵でもないそれは、丸い筒状の口を嵐の喉元へ向けている。

 正義の表情はみるみるうちに強張っていった。


 「銃なんてどこから……!?」言いかけ、正義は言葉を切った。深呼吸し、冷静にカヤに話しかける。「神崎さん、ひとまず落ち着いて。斉藤に何かされたのか? 落ち着いて、俺に話してくれ」

 「俺は何もしてねぇっての!」

 「そんなわけないだろ!」嵐の反論をぴしゃりと一蹴し、正義はカヤをじっと見つめてじりじりと歩み寄る。「とにかく、銃を下ろして。ゆっくり話そう」


 どんなに必死に訴えかけても、カヤはこちらをちらりとも見ることはなかった。

 やっと口を開いたかと思えば、


 「ごめんなさい、長谷川さん」

 「ごめんなさいって……まだ何もしてないんだから、謝ることない。銃を置いて」

 「だめなんです」まるで自分が銃を突きつけられているような、そんな怯えた声でカヤは言った。「私の居場所を知られてしまった」

 「居場所?」


 正義は訝しげに眉根を寄せた。


 「約束したから……私は、この銃を受け取ったから……」


 うわ言のようにつぶやくカヤは、明らかに正気を失っているようだった。追いつめられた表情で銃を握りしめ、震える手は今にも引き金を引いてしまいそうだ。


 「銃がなくても話し合いはできる。斉藤もバカじゃない。話し合えば、解決策が必ず見つかる」

 「話し合いじゃ何も解決しない」

 「居場所を隠したいなら、斉藤に秘密にするように頼もう。俺も一緒に頼むから」


 しばらく間を置き、カヤはゆっくりと首を横に振った。


 「私を信じた人は、皆、殺された。皆……私が信じた人に、殺された」

 「殺された?」 


 あと少しで嵐に手が届くというところで、正義はぴたりと足を止めた。


 「信じちゃだめ」自分に言い聞かせるように、カヤはつぶやいた。「信じたら、また失ってしまう。だから……」

 

 カヤの声に力がこもった。正義は我に返ったようにハッとして、とっさに口を開いた。


 「やめろ──カヤ!」


 その瞬間、カヤは目を見開き、硬直した。明らかな動揺が見て取れた。それに何かの確信を得たように、正義は自信のこもった声で続けた。


 「斉藤のことは信じなくていい。でも、俺は信じろ」


 カヤの視線がようやく嵐を離れ、ゆっくりと正義へと向けられた。


 「俺は殺されたりしない」力強い語調で言い切り、正義は微笑んだ。「大丈夫だ、カヤ」


 心臓が一瞬止まったかのように、カヤは息を呑んだ。驚愕した表情で正義を見つめたまま、呆然と立ち尽くす。まるで、亡霊でも見たかのように……。

 やがて、銃を持っていたカヤの手がだらりと下がる。そのまま、腰でも抜けたかのように、カヤはその場に座り込んだ。


 「神崎さん!」


 ホッと胸を撫で下ろす嵐を背後に押し退け、正義はカヤに駆け寄った。


 「……ごめんなさい」


 カヤはがくりと頭を垂らし、ぎゅっと銃を握りしめていた。フードと帽子のせいで表情は伺えない。だが、その心許なく震えた声が全てを物語っていた。


 「謝らなくていい」カヤの傍らに腰を下ろし、静かな声で正義は言った。「君は何もしてない。ちゃんと思いとどまった。だから……」

 「ごめんなさい……和幸くん」


 正義ははたりと言葉を止めた。

 愛おしそうに銃を抱きしめ、震える少女の姿は、痛ましいものだった。その背に背負う孤独と罪悪感が目に見えるよう。

 正義はたまらず彼女の肩に手を伸ばし──ふいに、その手を止めた。表情が固くなり、緊張の色が浮かぶ。

 背後で興味深げに嵐が見つめる中、カヤと自分の手を見比べるようにして交互に見、正義はぐっと固く目蓋を閉じた。緊張を吐き出すように息を吐き、そして、


 「謝らなくていい」正義はカヤを抱き寄せ、その耳元に囁きかけた。「何があったとしても、俺は君を責めたりしない。君が無事なら、それでいい」

 

 正義の胸の中で、カヤの震えが止まった。

 正義は安心したように微笑み、強く彼女の背を抱き締めた。


 「『俺』がそういう奴だって、君が一番良く知っているはずだろ」

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