表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
311/365

パンドラの恋人

 あれから一週間。まだ心の整理もつかぬまま、わたしはとある建物の前に来ていた。広々とした駐車場にはずらりと乗用車が並び、建物の玄関は慌ただしく開閉を繰り返し、ひっきりなしに人が出入りしている。寒空の下、建物の中に入ろうともせず、ぼうっと突っ立つわたしに、通り過ぎる人たちは不審の目を向けていく。

 そうして、いったい、何人とすれ違ったあとだっただろうか。昼過ぎになって、ようやく、彼が現れた。宗教画に描かれる天使のような、くねくねとした茶色い癖っ毛。眠そうなぼんやりとした目に高い鼻、そしてしゅっと尖った顎。一見、なんの害もない、普通の痩身の少年に見える——が、彼こそ、ルルを滅ぼす使命を持つ一族、ニヌルタの子、ユリィ・チェイスだ。


 「マルドゥク? 迎えに来てくれたんだ?」


 玄関を出たところでわたしを見つけると、彼は純粋に驚いたような顔で言った。


 「当たり前です。あなたを野放しにすることはできませんから」

 「野放し?」わたしに歩み寄りながら、彼は小首をかしげる。「まだ君は、オレを信用してないんだね」

 「なぜ、あなたを信用する必要があるのです、ユリィ・チェイス?」


 わたしは彼を睨みつけ、努めて冷たく言い返す。


 「あなたはニヌルタの者。ルルの敵です。何を企んでいるのか知りませんが、あなたの思い通りにはさせません。これからはわたしが監視します」

 「監視、か。分かった。じゃあ、オレは君の傍にいればいいんだね」


 わたしの前に立ち止まると、納得したように彼はうなずいた。

 緊張感がまるで無い。調子が狂う。彼はわたしの敵意を自覚しているのだろうか。それとも、なめられている? わたしが王の器じゃないから――。


 ――感謝するよ。お前みたいな落ちこぼれがマルドゥクの中にもいたことを。お前なんかに使命は果たせない。――『裁き』は終わりだ。


 その瞬間、ニヌルタの王の言葉が脳裏をよぎり、思わず、ぎりっと拳に力が入った。

 ダメだ。動揺を見せちゃダメ。毅然としてなきゃ。わたしはマルドゥクの王。リストちゃんの後を継いだんだ。ちょっとやそっとのことで心を乱されてちゃいけない。マルドゥクの王としてふさわしくふるまわなきゃ。特に、ニヌルタの者である彼の前では……。


 「マルドゥク? どうかした?」

 「なんでもありません。それより、ケガはもういいんですね?」


 気を取り直し、わたしは彼の脇腹を見つめた。一週間前、彼が実の兄であるニヌルタの王に撃たれたところだ。大量の失血で、一時は意識も失ったのだが……偶然、通りがかったシスターの力を借り、なんとか大事に至る前に病院に運び込むことができた。お台場、ていったっけ。あんな廃墟のような街でシスターと出くわすなんて、まさに神のご加護といったところだろうか。


 「もう問題ないって」彼は脇腹を軽くぽんぽんと叩き、けろりと答えた。「一週間で退院できるなんて奇跡だ、て言われたよ」

 「一応、あなたも神の子孫ということですね」嫌みっぽくわたしは返す。「ところで、費用はどうしたのです? ラピスラズリが心配していましたが」

 「大丈夫。お金はいらない、てお医者さんが言うんだ。これも奇跡だね」

 

 わたしは呆れてため息をついた。


 「ラピスラズリの心配した通りだったみたいですね。神の血に宿りし力を、そのような私利私欲に使うなんて」

 「オレは『お金がないんだ』て正直に言っただけだよ」


 彼に悪びれた様子はない。

 どうやら、彼の天使の言っていた通り、彼は意識せずにその血に宿る神の力を使ってしまうようだ。

 私たち神の子孫の血には、始祖たる神から受け継いだ力が宿っている。それは、ルルの意志を従える力だ。ルルの遺伝子には、神への絶対なる服従が本能として植え付けられている。わたしたちは、その服従心に語りかけ、ルルの意志を操ることができる。といっても、なんでも言うことを聞かせられるというわけではない。ルルの『強い意志』は、神の力を持ってしても曲げることはできないとされている。

 本来ならば、その力は意識しないと使えないものなのだけれど……どうやら、彼、ユリィ・チェイスは無意識にその力を濫用・・してしまう癖があるようだ。


 「ところで、彼のところには行ってみた?」


 ふいに、思い出したように彼は切り出した。 


 「彼? 誰のことです?」

 「パンドラの恋人だよ」

 「ああ……例のルルの男ですね」


 手術を終えた彼の病室に様子を見に行ったときだった。彼はわたしに、あるルルの元へ行くように言ってきた。そのルルは『災いの人形』の恋人で、驚いたことに、彼は全てを知っているそうだ。『災いの人形』の正体を知ってもなお、彼女をルルとして愛しているのだという。だから、ニヌルタの王が現れたこと、そしてリストちゃんに起きた出来事……いち早く、彼にも伝えておくべきだ、とユリィ・チェイスは言った。ニヌルタの言いなりになるのは嫌だったけれど、ケットも彼に賛同したので、その男に会いに行くことにしたのだ。『災いの人形』の恋人に興味もあったし……。

 でも――。


 「ケットの案内で部屋に行ってはみましたが、何度行っても留守のようでした」

 「留守? 中には入った?」

 「『留守』の意味、分かっているのですか? 人がいないのに中に入れるわけないじゃないですか」

 「ケットなら鍵が閉まってても中に入れるでしょう。ケットに頼んで、中から鍵を開けてもらえば……」

 「それは、空き巣です!」わたしはぎょっとして、ユリィ・チェイスを睨みつけた。「そんなこと、天使に頼めるわけないでしょう」

 「先代マルドゥクはしていたよ?」

 「リストちゃん……が……?」


 思わずあっけにとられるわたしに、ユリィ・チェイスはどこか憐れみすら感じさせる微笑を向けた。


 「リスト・マルドゥクは、もっと気楽に『王』をしていたよ」

 「なにを……突然!? あなたにリストちゃんを語ってほしくない、と何度言えば分かるのです!」


 冷静に、毅然に、と自分に言い聞かせていたつもりだったのに……つい、わたしは高ぶった感情のまま、ユリィ・チェイスを怒鳴りつけていた。通りがかる人々の好奇な視線が身体に突き刺さる。

 どうして、わたしはすぐ感情的になってしまうの。

 わたしはうつむき、「取り乱しました、謝ります」とユリィ・チェイスに謝った。すると、


 「そうだね、オレが語ってもダメなんだ」

 「え……?」


 思わぬ言葉に、わたしはハッとして顔を上げた。


 「とにかく、今から行ってみよう。彼に会わないと何も進まない」


 唖然とするわたしを置いて、ユリィ・チェイスは歩き出した。


 「待って」と慌ててわたしは振り返り、彼の背に訊ねる。「彼って……」

 「パンドラの恋人。君に必要な答えも、きっと彼が持っているよ、マルドゥク」

 「どういう意味……?」


 わたしに必要な答え? なんのこと? 『災いの人形』の恋人が……ルルの男が、なにを持っているというの?

 相変わらず、真意が読めないユリィ・チェイスの言葉に、わたしは呆然と立ち尽くした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ