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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
310/365

少年

 「いい加減、課題を終わらして帰りたいんだ。無駄話はそれくらいにしてくれないか」


 正義はようやく四人へ視線を向けた。黒ぶち眼鏡の奥で彼らを睨みつける目の下にはひどいクマができている。寝不足であることは一目瞭然であった。


 「悪い悪い」嵐は愉快そうに笑いながら、正義の肩に手を回した。「今や、長谷川は既婚の子持ちだもんな。そりゃ、早く帰らなきゃな」

 「理解があって助かるよ」嫌味っぽく言いながら、正義は嵐の手をはらう。「とりあえず、必要な資料は揃えてある。あとは、プレゼンの用意を……」

 「てかさ、あんた、なに考えてるわけ?」


 八重は藪から棒に正義の話を遮った。


 「なにって……」

 「三週間くらい前だっけ? 痣だらけの顔で講義に出て来たと思ったら、娼婦と結婚して、しかも子供を引き取ったって……頭おかしいんじゃないの? 嫌味なくらい成績優秀で将来も約束されてたのに、今じゃ課題をこなすので精一杯じゃない。父親のコネだってあったのに、勝手に結婚して絶縁状態なんでしょう? 教授たちにも見放されちゃって……これから、どうするのよ? キャリアはもう諦めたの?」

 「元娼婦だ」

 「論点をずらすな!」教鞭でもふるうかのごとく、八重は箸をびしっと正義に向けた。「しかも、今度は女子高生を匿ってんでしょ? どんだけお人好しなのよ!?」 

 「女子高生!?」


 重なった嵐とエイジの声が食堂に響き渡った。二人は身を乗り出し、正義をまじまじと見つめる。羨望と、どこか尊敬の眼差しで……。


 「ま、まじかよ、長谷川?」顔を真っ赤にして訊ねるエイジの口許は、だらしなく緩んでいた。「女子高生と暮らしてんの? それ、やばいんじゃねぇの?」

 「うらやま……いや、けしからん、けしからん! だめだろ、長谷川! で、どこの女子高生? なんで匿ってんの?」


 偉そうに諭す風を装いつつ、嵐はにやつく顔を隠し切れていない。いや、隠そうともしていないのかもしれない。

 そんな彼らの好奇心に重いため息で応え、正義は八重をきっと睨みつけた。


 「お前に相談したのが間違いだった」

 「あとの祭りよ」さらりとしなやかな黒髪をはらい、冴子は冷たく言い放つ。「なぜ八重を相談相手に選んだのか、とても興味あるわ」

 「決まってんでしょ、私が経験豊富だからよ! 頭の良さでは負けるけど、恋愛に関してはあんたには負けないわよ」

 「恋愛? 相談って、恋愛相談だったの?」ぴくりと冴子の形の良い眉が動く。「まさか、女子高生相手に不倫でもしようとしているの、長谷川君? キャリアなんて言ってられなくなるわよ」

 「なんで、そういう話になるんだ?」


 がくりと頭を垂れ、正義は眉間を揉んだ。


 「俺は彼女に恋愛感情は抱いていない。そもそも、彼女には恋人もいる。その恋人も……一応、知り合いだ」

 「知り合いの女を預かってんのか? それ、ややこしいことになるんじゃねぇの?」

 「もうややしいことになってんのよ」正義の代わりに、八重が知った顔でエイジに答えた。「その恋人ってのが、正義によく似てるんだって」

 「よく……似てる?」


 ふいに、嵐は眉をひそめた。


 「そう! 正義に抱きついて、その男の名前を呼ぶくらいね。完全にアウトでしょ。たぶん、その女、恋人にフラれたのよ。だから、正義で——」


 突然、八重の声をかき消すかのような大きな音を立て、正義は立ち上がった。


 「これじゃ埒があかない。俺が一人でやる」正義はパソコンをしまい、てきぱきと帰り支度を整える。「パワーポイントはある程度つくってあとでメールで送る。それぞれ、担当のパートの細かい仕上げはやっといてくれ」

 「ちょっと、正義!?」


 慌てて引き止める八重の声に振り返りもせず、正義はテーブルを去って行った。相変わらず姿勢のいい後ろ姿を見送り、八重は心許ない様子でテーブルの三人を見渡す。


 「え……私が悪かったの?」

 「分かりきったことを聞かないでちょうだい」ずばりと冴子が一蹴する。「人の相談事をぺらぺらと大勢の前で話すなんて、仮にも法学部の学生としてあり得ないことだわ」

 「きっついな、冴子」


 まるで自分が言われたかのように、エイジは顔を青くした。八重はぐうの音も出ないようで、悔しげに口を尖らせ、しゅんとして腰を下ろした。


 「私はマジで心配してんのに」

 「そんな心配なら、私は願い下げだけど」

 

 すると、今度は、八重の隣で嵐が立ち上がった。八重はびくっと身体を震わせ、顔をひきつらせる。


 「ちょっと……嵐まで怒っちゃったの?」

 「い〜や」と、嵐は意味ありげににんまりと笑んだ。「長谷川の家に行こうと思って」

 「は!?」

 「やっぱ、一人じゃ大変だろ。助っ人行ってくるわ」


 テーブルの上に置いておいた携帯電話を取ると、嵐は颯爽と食堂を後にする。


 「あんなにやる気になる斉藤君は珍しいわね」くいっと眼鏡をかけ直し、冴子はそんな嵐の後ろ姿を不審そうに見つめた。「不吉だわ」

 「不吉っていうか……下心が見え見えね。女子高生と喋りたいんでしょ」

 「ずりー!」


 思わず本音を漏らしたエイジに、八重と冴子の冷たい視線が突き刺さる。


 「暢気なものね」呆れ果てたように、冴子はぽつりと言った。「斉藤君もあなたも、お父様が心配じゃないのかしら」

 「親父? 急になんだよ?」

 「ああ、そっか」思い出したように、八重は表情を曇らせた。「あんたらのお父さんって、代議士か」

 「今週に入って、代議士が三人も殺されてる。まさか、知らないわけじゃないわよね?」

 「知ってっけどよ……親父は別に恨まれるようなことをしてるとは思えねぇし。ってかさ……」


 エイジは声を落とし、辺りを見回した。テキスト片手に食事をとっている学生たちや、夕飯そっちのけで熱く語り合っている学生たちがびっしりと席を埋めている。誰もエイジたちをちらりとも見ていない。エイジは胸を撫で下ろし、冴子に顔を向き直す。


 「その話はここではするなよ。殺された代議士の娘だってうちの学生なんだぞ。どっかにいて聞いてたらどうすんだよ?」

 「知ってるわよ」冴子の声にうっすらと怒気がこもる。「私の親友だもの」

 

 エイジと八重はぎょっとして、絶句した。

 がやがやと騒がしい食堂の中で、そこだけ別世界のような重い空気が彼らのテーブルに立ちこめた。

 冴子はふっとため息ついて、冷笑のようなものを浮かべた。


 「彼女、一瞬だけ見たらしいわ。屋敷から去る犯人を」

 「え……」


 エイジと八重は顔を見合わせ、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 「どんな奴だったって?」


 二人は身を乗り出し、ぎらついた目で冴子を凝視する。

 不謹慎だと分かっているが、気になってしまう——二人の本能とも言える野次馬根性がありありと感じ取れた。

 冴子はキーボードを流れるようになめらかに打ちながら、静かに答えた。


 「少年」

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