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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第六章
309/365

クチナシ

 「ねぇ、あの噂どう思う?」

 

 一日の講義も全て終わり、夕飯どきでにぎわう大学の食堂で、甲高い女の声が響き渡った。


 「あの噂……?」漆のような黒々とした長い髪を耳にかけ、赤ぶち眼鏡の女はパソコンから顔を上げた。「もしかして、『クチナシ』の話?」

 「そうそう!」


 目を爛々と輝かせ、彼女の正面のイスに座ったのは、真冬なのにショートパンツをはいた派手な格好の女だった。顎まであるかどうかの短いブロンドの髪はウェーブがかって、彼女が運んで来た冷やし中華の麺によく似ている。だからだろうか、眼鏡の女は、彼女と中華麺を見比べ、くすりと笑った。


 「なに笑ってるのよ、冴子」

 「ごめんなさい」と、冴子は涼しげな表情で再びパソコンに視線を戻す。

 「『クチナシ』って、なんの話だよ、八重?」


 冴子の隣でカツ丼を食べていた大柄な男が、ふいに箸を止めて訊ねて来た。

 すると、八重は「知らないの、エイジ?」と自慢げにほくそ笑んだ。


 「今、ネットで超騒がれてるんだから! 一週間前、警察が子供を大量に殺した事件よ」

 「なんだ、それか」くだらない、とでも言いたげに、エイジは鼻で笑った。「それなら、ニュースで言ってるだろ。『カイン』とかいうテロ組織の子供たちで、洗脳されてた、て。保護しようとした警察に抵抗したから仕方なく殺したんだろ」


 豚カツを一切れ、大きな口に放り込み、もぐもぐと頬張りながら、エイジは「にしても……」と独り言のようにつぶやく。


 「『カイン』なんてただの都市伝説だと思ってたが、まさか実在してたとはな。聞いてた噂とはちょっと違ったけど……」


 八重はパキンと小気味好い音を立てて箸を割りながら、エイジを蔑むような眼差しで睨んだ。


 「いまどき、ニュースの言うことなんて、フツー信じる? テレビ局は今や政治家のおもちゃ。政府の都合のいい情報しか流さないわ。テレビなんてバカが見るものよ。つまり、あんたはバカってことになるわね、エイジ」

 「ネットの不確かな情報を信じるお前もバカだろ、八重。そもそも、ネットだって検閲があるんだ。政府に不都合な情報は消されてるよ。しっかりネットに残ってるってことは、その情報がデタラメだって証拠だ」

 「検閲を逃れる方法だってあるわよ。政府の目が届かないサイトだって作ろうと思えば作れる」

 「そんなもん、バレたら、新治安維持法で取っ捕まるぞ」

 「皆、覚悟の上で書き込みしてるわ」

 「そういうとこのぞいているお前も危ねぇぞ、八重」

 「分かってるけど……」八重は気まずそうにそっぽを向き、唇を尖らせた。「気になるものは仕方ないわ。知的好奇心よ」

 「今回の件は関心を持っている人は多いと思う」すかさず、冴子がタイピングを続けながら口を挟む。「新治安維持法で政府に反感を持ち出した人も増えてきたころだったし、タイミングが良かった。私だって最近はそういうサイトをよくのぞいてるもの。サイトは増え続けてるし、アクセス数も伸びる一方。政府も閲覧者にまでかまってる暇はないと思う。問題ないわ」

 「なるほど……」とは言いつつ、エイジの渋面は彼が納得していないのをよく現していた。

 「で、ネットではどう言われてんの、八重ちゃん」


 それまで、八重の隣で携帯電話をいじっていた青年が急に口を開いた。

 だらりと肩まで無造作にのばした茶髪。右手の親指と左手の中指にはシルバーリング。シャツの胸元にはブランドもののサングラスがひっかかっている。派手な容姿で、一見、遊び人に見えなくもないが、その顔つきや眼差しからは底知れぬ自信と深い英知が感じられ、不思議なカリスマ性を放っている。

 携帯電話を机に置くと、彼は身を乗り出し、八重に鋭い眼光を向ける。


 「俺は興味あるな。教えてよ」

 「さすが嵐! エイジと違って、事の重大さが分かってる」

 「ネットではとりあえず、殺された子供達が何者かっていうことが論点になってるわ」機械のような単調な声で語り出したのは冴子だった。「本当にテロ組織に洗脳された子供達なのか。もしそうなら、洗脳したとされる『カイン』というテロ組織は何者なのか。その目的は何なのか。他のメンバーは捕まったのか。何のために子供達を洗脳したのか。その子供達が洗脳されていたという警察の根拠は何か。何らかの鑑定を行っていたのか。いつのまにそんな鑑定を行っていたのか。

 いろいろと謎が多いけど、政府の公式の発表ではそのへんはうやむや。子供達に聞ければ一番いいのだけれど、肝心の彼らはすでに死体。死人に口無し……だから、ネットでは『クチナシ』って呼ばれてるの」

 「って、ちょっと冴子! 横取りしないでよ。私のネタなのに」


 冴子は「あ、ごめん」と相変わらず感情のこもってない声で謝った。


 「ネットではどういう意見があんの? 『クチナシ』の正体について」嵐は頬杖をつき、軽い口調で訊ねた。「ネットじゃ、皆、政府の発表を信じてないんだろ? テロリストじゃないなら、その子たちは何者なわけ?」

 「ま、いろいろと都市伝説みたいなものが飛び交ってるわ。もともと、『カイン』だって都市伝説だったわけだし」


 八重は中華麺に箸を入れ、器用に一本だけつかみあげると、明かりに照らされて光る麺をじっと見つめた。


 「その中で私が気になったのは……学園祭の話ね」

 「学園祭?」

 「そう」つるりと中華麺をすすって、八重は視線だけ嵐に向ける。「どっかの高校の学園祭に警察が乗り込んだらしいの。で、誰かが連行されたんだって。その生徒はまだ行方不明で、『クチナシ』の一人なんじゃないか、て話」

 「偶然じゃねぇの?」と、エイジがカツ丼を口に掻き込みながら、横槍を入れる。「その生徒がふつーに悪ガキの可能性だってあるだろうが」

 「いえ、どうやら、原因は劇だったみたいなの」

 「劇?」

 「連行された生徒が企画した劇らしいんだけど、それが新治安維持法に引っかかったんだって。その劇の題材がね……『カイン』だっていうのよ。しかも、その内容っていうのが……このトーキョーでは、人身売買が当たり前のように行われてて、カインは売られた子供達を助けている、ていうものだったらしいの」

 「人身売買?」エイジは思わず失笑した。「ただの作り話だろ、そんなの。馬鹿げてる! 警察に注意されても不思議じゃねぇ」

 「そう、馬鹿げた劇よ。だからこそ、不思議なんじゃない」箸を置き、八重は背もたれによりかかると腕を組んだ。「そんな『馬鹿げた劇』にわざわざ警察が動く必要はある? 放っといても誰も本気にしたりしないのに。いえ、放っとくべきよ。ただの高校生の劇なんだから。『作り話』にムキになることはない。せいぜい、厳重注意。連行するなんてやりすぎだわ」

 「つまり」と、冴子が冷たくも思える真剣な表情で続ける。「その劇は警察にとってはそこまで『馬鹿げた』ものじゃなかった」

 「おいおい……」エイジは大きな身体をぶるっと震わせた。「まさか、その劇で言っていることが真実で、警察はそれを隠そうとしたってのか? 陰謀ってやつ?」


 三人は閉口し、重苦しくなった空気の中で、嵐はくつくつと笑い出した。三人が訝しげに見つめる中、嵐は「いや、悪い」と笑みをかみ殺した。


 「妙な話だな、て思ってさ。『クチナシ』が『カイン』で、その劇で語られる『カイン』が真実だと仮定すると……人身売買の被害者を助けていた『カイン』が警察に消された、てことになる。それって、なんかさ——」

 「まるで、警察が人身売買を擁護しているみたいだな」


 それまで決して話に加わってこなかったその声に、四人は一斉に振り返った。

 騒がしい食堂の中、彼は一人で黙々とパソコンに向かい作業していた。注目が集まる今でも、視線さえ逸らすことは無い。

 ぴんと背筋を伸ばして座る姿勢からは育ちの良さが滲み出て、聡明そうな顔立ちは、黒ぶち眼鏡がよく似合っている。

 そんな彼に、嵐は怪しげな笑みを向けた。


 「なんだよ、聞いてたのか、長谷川?」

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