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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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残された場所

 ようやく動いた足をひきずるようにして歩き続けた。本間の追っ手が心配だったけど、どしゃぶりの中、慌ただしく行き交う人並みと色とりどりの傘が私を隠してくれた。きっと大丈夫だと思えた。

 そうして、混沌とした思考のまま、記憶の中に漂う糸をたぐり寄せるようにして、ようやくここまでたどり着いた。和幸くんのオリジナル、長谷川さんのところに……。


 「神崎さん!」


 オートロックのガラス張りのドアが開き、バスタオルを片手に長谷川さんが飛び出してきた。

 一週間ぶりのはずなのに、久しぶりに会った気がしなかった。心配そうに私を見る眼差しも、悩ましげに顰めた眉も、理知的な顔立ちも、全部、つい今朝まで隣で見ていた。


 「何があった? びしょぬれじゃないか!」


 私が何か言うのを待つこともなく、長谷川さんはバスタオルで私をくるんだ。


 「足も泥だらけだ。まさか、歩いてきたのか? この雨の中? どこから?」


 バスタオルの上から私の両肩をつかみ、長谷川さんは次から次へと質問を投げかけてくる。聞き慣れた優しい声で……。

 胸の奥が熱くなり、こみ上げてくるものがあった。


 「神崎さん? どうしたんだ? 大丈夫か?」


 ああ、だめだ。やっぱり、来ちゃだめだったんだ。——必死に気づかないようにしていた自分の『下心』をはっきりと自覚してしまった。


 「神崎……さん?」


 思わず、私は彼に抱きついていた。

 夕べ、暗がりの中でそうしたように、強く抱きしめ、彼の体温を全身で感じた。彼の胸に耳を当てると、トクントクン、と早まっていく鼓動が聞こえた。同じ。夕べと同じ。

 ただ、その手は私を抱きしめてはくれないけれど……それでもいい。たとえまやかしでも、すがりたかった。彼を感じることができるなら……。


 「和幸くん……」


   *   *   *


 都心のネオンに邪魔されるとこもなく、トーキョーの郊外は夕暮れとともに宵闇の様相を帯びていく。ようやく雨も止み、厚い雲の合間から薄暗い月の光が差し込んできていた。

 そんな郊外のさらにはずれに、ずらりと墓石が並ぶ空き地があった。電灯もなく、寂れた公園と廃屋と化したアパートがあるだけの通りにぽつんと置かれた墓地は、不気味な雰囲気を漂わせている。


 「こんなところに墓地があるなんて知らなかった」


 日野は額の汗を拭きながら、ぽつりとつぶやいた。


 「俺たちのための場所さ。父さんが土地を買って創ってくれた」


 地面に刺したスコップの傍らに座り、曽良が答えた。墓石の隣で、一部だけ土の色が違う地面をそっと撫でながら……。


 「ここなら、トミーも怒らない」


 寂しくも、どこか安堵したような声だった。

 日野は複雑な面持ちでそんな曽良の背を見つめていた。


 「もういいよ、日野さん」曽良は振り返りもせずに、そう言った。「おとなしく手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」

 「ありがとう?」


 日野は気味悪そうに顔をしかめた。


 「銃を突きつけて脅しといてよく言うな」

 「もう弾は無かったよ」


 曽良が夜空に向けた銃口は、引き金を引いても煙一つ吹かなかった。日野は面食らった様子で目をぱちくりとさせ、呆れたように苦笑した。


 「子供のいたずらにひっかかったわけだ」

 「とりあえず、警察には言わないでね」

 「埋葬を手伝っただけだ。警察沙汰になるようなことはしてない……よな?」

 「俺に手を貸しちゃったからダメだよ。警察に知れたら、日野さんも殺されるよ」

 「殺され……る?」

 「無関係の人を巻き込みたくなかったけど……なりふり構ってられなかった。ごめんね」

 「君……いったい、何をしでかしたんだ?」


 言ってすぐ、日野は「いや」と首を振った。


 「言わなくていい。余計な詮索は命取りだと今日は痛いほど学んだ」

 「それがいいよ」曽良は肩を揺らしてくすくすと笑った。「あまりに詮索してくるようだったら、俺も日野さんを殺してた」

 

 その瞬間、日野の表情がこわばった。


 「今も、本当は殺すべきだと思ってる。ただ、気が乗らないんだ」


 まるで寝言でも言うかのようなぼんやりとした声だった。

 雨上がりの湿った風が墓地を通り過ぎ、墓地の周りに点々と植えられた木が手招くように枝を揺らした。

 日野は青ざめた顔で後じさり、焦った様子でポケットから車の鍵を取り出す。


 「じゃあ、もう……行くよ」


 動揺もあらわに、ぬめった土に足を取られながら、日野はタクシーへと歩き出した。やがて、その歩みは早まり、慌ただしく泥を蹴る音が墓地に響きだす。その音に耳を傾けながら、曽良はほくそ笑んだ。


 「やっぱり、日野さんは思った通りの人だ。おもしろいほど、扱いやすい」


 タクシーのエンジン音はあっという間に遠ざかり、トーキョーとは思えない静寂が墓地に戻る。

 曽良は左の腿を押さえながら、傍らのスコップを杖代わりにして立ち上がり、


 「これで二人きりです。お待たせしました」


 くるりと振り返って闇を睨みつけた。

 すると、


 「気づいてたんだね。さすが……と言うと、君たちは嫌がるのかな?」


 闇の中から暢気な声が返ってきた。


 「誰かしら無事ならここに来るだろうと思ったけど……勘が当たってよかった」

 「勘、ですか」曽良は眉根を寄せ、皮肉めいた笑みを浮かべた。「あなたからそんな単語が出てくるとは思いませんでした」

 「僕だって、何でも知ってるわけじゃないんだよ」


 徐々に声が近づいてくるにつれ、月明かりの下にその姿があらわになっていく。大きめのカーディガンにゆるいチノパン、そんなだぼっとした格好に身を包んだ痩身の青年。一本に結った長い髪が、歩みに合わせて馬の尾のように左右に揺れる。


 「じゃなきゃ、今日の悲劇を防ぐこともできたはずさ」


 曽良の前で立ち止まり、彼は悔しげに顔をしかめた。本心を隠すようにいつも貼付けている微笑は、このときばかりは消えていた。


 「ハネムーン中じゃなかったんですか、三神さん?」

 「ハネムーン? どこで仕入れた情報だい? ガセネタだ」三神は鼻で笑ってから、申し訳なさそうに視線を落とした。「気になる情報が入って、旅行は早めに切り上げて帰ってきたんだ。でも……間に合わなかったね」

 

 曽良はどこか遠くを見つめて黙り込んだ。

 

 「とりあえず、君は無事で良かった」三神は気持ちを入れ替えるように表情を引き締め、曽良の顔を覗き込んだ。「他に生き残ったカインは?」

 「ほんのわずかです。なんとか逃げきれた……と思います」

 「君は逃げなかったんだね」

 「やり残したことがあるから」

 「やり残したこと?」


 曽良は砺波が眠る地面を、悔恨と怒りの色が入り交じった眼差しで見下ろした。


 「三神さん、売ってほしい情報があるんです」

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これで五章は終わりになります。六章もよろしくお願いいたします。

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