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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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人殺し

 「なるほど、そうですか」


 椎名はちらりと俺を見て、わざとらしくため息ついた。


 「僕の読みが甘かったみたいですね。蟹江さんに謝っておいてください」


 珍しく殊勝なことを言ったかと思えば、その口許には相変わらず人を馬鹿にしたような嘲笑が浮かんでいる。やっぱ、いけ好かない奴だ。


 「一本取られたよ、藤本くん」ケータイを下ろすと、椎名は頬杖ついて俺の顔を覗き込む。「まさか、カヤちゃんを人質に取られたこの状況で、生意気なことをしてくれるなんて。それなりの覚悟はできてるんだよね?」


 とうとう、気づかれたか。俺が渡した住所がニセモノだってことに。そこにカインなんていやしない。いるのは、腐ったジャンキー共だ。いつだったか、俺のオリジナルの長谷川正義がカヤを使って俺をおびき出そうとした廃校。こんなときに役に立つとはな。

 俺はふっと笑って椎名を睨み返す。


 「なんの覚悟だ?」

 「カヤちゃんの悲鳴を聞く覚悟……かな?」

 

 手錠に拘束された手に力が入った。今にもこの鎖を引きちぎって、そのすました顔を手加減無しで殴ってやりたい。だが……今は挑発に乗るわけにはいかない。まだ、希望がある限りは。できる限り、時間を稼ぐんだ。


 「悪趣味な奴だな、アンタ」

 「その言葉、そっくりそのまま返すよ。大事な恋人が男共になにされようがどうでもいい、て言うんだから」

 「カヤの安全は保証する、て言っただろ?」

 「それは……君が言うことを聞いたら、の話だよ。もちろん、僕はカヤちゃんには何の恨みもない。できれば、カヤちゃんは無事に済めばいいと心の底から思っているんだ。あとは君次第、てわけ」


 カヤ……。

 俺は視線を机に落とした。視界の隅に茶々のケータイが見える。『パンドラの箱』は間もなくヤハウェのものに——そのメールは、間違いなく曽良からの暗号だ。俺が十字架に込めた『願い』が無事に届いた証拠だった。だが、その後、連絡はいっさいない。ケータイは沈黙したままだ。

 うまくいったのか? 曽良は無事にカヤを連れ出せたのか? 俺にそれを確かめる術はない。待つだけだ。曽良を信じて時間を稼ぐことしかできない。

 賭けだった。俺は全てを曽良に賭けたんだ。もし、曽良が失敗したのなら、カヤは……。

 想像もしたくない未来が脳裏をよぎり、俺はその像を消そうと瞼を閉じた。

 そのときだった。

 ケータイが震える音が響いた。俺はハッとして茶々のケータイを見る。だが、茶々のケータイは相変わらず静かなまま。


 「残念だね、藤本くん」くつくつ笑って、椎名は震えるケータイを見せつけてきた。「僕のだ」


 ぐっと奥歯を噛み締め、俺は視線を反らした。

 焦るな、落ち着け。そう自分に言い聞かせても、沸き立つ血潮はどうにもならない。とにかく、はやくカヤの無事を確認したかった。カヤさえ無事なら、あとはいいんだ。カヤの無事を確認できれば、そこまででいい。思い残すことはない。


 「ちょうどよかった、前田さんからだよ」


 ケータイのサブディスプレイを確認し、椎名は嬉しそうに言ってきた。

 前田……ぼんやりと、血色の悪い顔をした男が思い浮かんだ。パーティーのときに会ったことがある。確か、本間秀実の秘書だ。そして、さっき電話したとき、本間の家にカヤと一緒にいた人物。

 ドクン、と大きく鼓動が鳴った。

 たらりと汗が背を伝っていくのを感じる。

 なんの電話だ? どっち・・・の報告だ? カヤがいない、という報告なのか? それとも、カインを……曽良を捕まえた、という報告なのか?

 俺は感情を押し殺すこともできずに、椎名のケータイを食い入るように見つめていた。きっと、必死な形相だったことだろう。そんな俺をおもしろがるようににんまり笑んで、椎名はケータイをスピーカーフォンにして机の上に置いた。


 「前田さん? カヤちゃんの様子はどう……」

 『やあ』


 その瞬間、椎名の顔ががらりと変わった。眉間に険しい皺を浮かべ、切れ長の目を見開いている。


 「君は……」


 思わず、頬が緩んだ。

 聞き覚えがあったからだ。ケータイの向こうから聞こえてくるその声に。


 『お久しぶりですね。ボディガードのお兄さん』


 その憎たらしいほど暢気な声に。


 「君は……藤本くんのお友達。藤本曽良くん、だね」


 椎名はこわばった笑みを浮かべ、ちらりと俺を一瞥した。


 「なんで、君が前田さんのケータイを持っているんだい?」

 『あれ? まだ連絡が来てないの?』

 「連絡? なんの連絡だ?」


 椎名の声からはっきりと苛立ちが伝わってくる。こいつも馬鹿じゃない。もう事の次第はあらかた予想がついているのだろう。


 『本間邸に行ってみたら分かるよ。本人に聞けるかどうかはもう分からないけど』

 「殺したのか、また・・……?」

 『一応、生きてはいたはずだけど……もう危ないかな。ボディガードが早く見つけてくれれば良かったんだけど。安いボディガードでも雇ったの? 同情しちゃいますヨ』


 椎名の眼差しがきっと鋭くなった。


 「カヤちゃんはどうした?」

 『……さあ。ご想像にお任せします』

 「殺したのか?」

 『答えたところで無駄でしょう。彼女が生きてようが死んでようが、もうどうでもいいことなんだから』

 「どういう意味だ?」


 合図だ、と思った。十字架を握りしめる右手にぐっと力がこもる。


 『あなたに伝えておきたいことがあるんだ、椎名望さん』


 ふいに、曽良は低い声で切り出した。


 『俺は今回の件に関わった人間を全て消す。あんたの『先生』も見つけ出して、必ず報いを受けさせる。『より良い世界』が来る前にね』

 「『先生』? 『より良い世界』?」ぴくりと椎名の細い眉が動いた。「なんで、君がそれを……」


 次の瞬間、椎名は何かに気づいたようにハッとして、俺の右手を──そこに握られている十字架を睨みつけた。


 「そうか……!」


 俺はつい、苦笑してしまった。ようやく、椎名の焦る顔が拝めた。これでもう、未練は無い。


 「悪いな、曽良」


 持ち上げた十字架にそうつぶやき、俺はそれを胸元に当てた。


 『トミーが待ってるよ、かっちゃん』


 砺波──?


   *   *   *


 「お待たせ」


 びっしょりと雨に濡れた身体で、少年は助手席に乗り込んできた。

 どうやら、電話は終わったらしい。


 「行っていいよ」

 「行くって……どこに行けば……?」

 「まっすぐ」


 それだけ言って、少年はシートに深く座った。その手には二つの携帯電話が握られている。その二つが自分のものではないことを確認し、日野は訝しげに顔をしかめた。二つも携帯電話を持っているなら、自分から借りる必要はなかったではないか。

 いや、そんな疑問は些細なことだ。

 日野はバックミラーに目をやった。そこには、後部座席に横たわる少女が映り込んでいる。一度目の電話が終わったあと、彼が乗せてきた少女だった。そのときからぐったりとして動かない。気を失っているのかとも思ったが、呼吸さえ聞こえない。死んでいる? そんな恐ろしい予感が脳裏をよぎった。

 日野はごくりと生唾を飲み込み、ハンドルを握りしめる。

 もしかしたら、彼は死体を運ぶのを手伝わせるつもりなのかもしれない。

 ちろりと彼の様子を伺うと、彼は持っていた二つの携帯電話を一つずつパキリと折り始めた。躊躇も無く淡々と携帯電話をガラクタに分解して、窓を開けてそれらを投げ捨てた。

 思わぬ行動にぎょっとして固まっていると、彼は窓を閉めながら「何してるの?」と冷たく言ってきた。


 「君は……なんなんだ?」


 あまりに困惑して我を忘れ、日野は無謀にも訊ねていた。余計なことは言えば何をされるか分かったものではないというのに。

 しかし、


 「同じことを、クラスの友達にも聞かれた」


 今までとは違う、寂しげな声で彼はつぶやいた。


 「もう、友達も家族もいない。俺はなんなんだろう」


 日野はぽかんとしてしまった。

 さっきまで彼から感じていた狂気はすっかりなくなっていた。雨に洗い流されてしまったのだろうか、と思うほどに。

 目の前の少年は、まるで泣いているようにも見えた。

 きっと、今なら逃げ出せると思った。銃を向けられているわけでもない。それどころか、少年はそっぽを向いている。隙だらけだ。

 でも、なぜか、放っておくことはできなかった。銃を持つ得体の知れない少年に同情している自分がいた。それは、自分の中に残っていたなけなしの大人のプライドなのかもしれない。日野は皮肉そうに苦笑した。


 「寒いだろう」


 日野はヒーターをつけ、ゆっくりと車を走らせた。

 

 「たぶん、俺は……ただの人殺しになったんだ」


 彼がぽつりと言ったその言葉も、聞かなかったことにした。 

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