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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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偽りの願い

「遅くなってごめん」


 身体をしめつけていた圧迫感がふっと無くなり、砺波は目を開いた。そして、すぐに違和感を覚えて、顔をしかめる。


「立てる?」


 訊ねられても、砺波はすぐには答えられなかった。

 やはり、妙だ。目の前で自分を見つめる曽良の顔が霞む。眼球に薄い膜でも張っているかのよう。あの特徴的なアヒル口も歪んで見える。

 砺波は何度か瞬きをしてみたが、やはり視界は曇ったままだった。


「どうかした?」


 それだけじゃない。意識がひどく混濁している。気を抜けば、今にも眠ってしまいそうだ。


「砺波?」と呼ぶ曽良の声が強張っている。「どうしたんだ?」

「大丈夫、ただの貧血」


 そう、きっと、ただの貧血だ、と砺波は自分に言い聞かせた。コンビニについてから、筒井が縫合してくれた傷が開いてしまった。それから曽良を待っていた間に、思っていた以上に、血を失っていたのかも知れない。


「砺波、ケガ見せて」


 やけに深刻そうな曽良の声に、砺波は苦笑した。


「平気だってば。ちょっと……お腹刺されただけ」

「お腹……」


 その瞬間、曽良が息を呑んだのが分かった。すぐさま、パーカーがめくり上げられ、そして――、


「なんで……こんな……」


 聞いたこと無いほど狼狽えた曽良の声に、砺波はすっと全身から力が抜けるのを感じた。悟ったのだ。痛みを感じなくなっていたのは、筒井に打ってもらった痛み止めが効いてきたからではなかったことを。


「もう……ダメなのね、わたし」


 確信を持って砺波は訊ねていた。


「あんたには、分かるもんね」


 『商業用』のクローンでない砺波は、『おつかい』といえば、サポート役がほとんどだった。人を撃つこともあったが、それは身を守る為にやむを得ない場合だけ。ただ、曽良は違う。『商業用』のクローンであり、藤本マサルからの信頼も厚かった彼は、『おつかい』の前線に立ってきた。脅威は全て、取り除く――その信念のもと、これまで曽良は生き延びてきたのだ。傷の具合を見れば、『止め』が必要かどうか分かってしまうのだろう。


「変なこと言うな! 筒井さんはどこ? 筒井さんのとこにいたんだろ?」

「筒井さん……は、逃げた」

「そんな……ケガ人置いて逃げるような人じゃないだろ!?」

「脅したの。わたしが、置いて行けって脅したから……。和幸の銃で……」

「かっちゃんの銃?」


 藤本マサルが護身用として渡してきた銃は、和幸がカインを去るときに残していったものだという。だから、きっとお前を守ってくれる――藤本はそう誇らしく言っていた。

 良かった、と砺波は思った。藤本は何も知らずに眠りについた。息子の恋人が『黒幕』だったという残酷な結末を知らずに済んだ。藤本は最期まで、表の世界へと羽ばたいていった息子の幸せを信じていたに違いない。


「ほんと……あんたも和幸も女運無いわよね。昔から」


 寝言でも言うかのようにぼんやりと、砺波は夢うつつでつぶやいた。目の前は真っ暗闇で、自分が目を閉じているのか開いているのかさえ、もう分からなくなっていた。


「なに言ってんのさ、こんなときに!? それより、早く……」

「曽良、もういいよ」儚く力のない声は、自分でも驚くほど優しげなものになっていた。「病院なんか行ったところで、捕まりに行くようなもの。あんたも……分かってるでしょ」

「なんとかする!」

「もういいってば……もう充分、あんたは傍にいてくれた」


 これが走馬灯というやつなのか。冷たい暗闇の中で、過去の記憶が鮮やかによみがえってくる。小さい頃からの思い出。カインに助けられ、カインとして生きてきた。プライドで脆い心に帳を張って、他を寄せ付けないことを強さだと勘違いして、誰にも頼らず生きてきた。――はずだった。

 でも、記憶の中には、いつも傍にいる少年がいた。自分の虚勢に臆して遠ざかっていく人々の中で、一人だけ、決して消えない少年がいた。記憶のどこを見ても、彼の姿がある。


「いつも、あんたは傍にいてくれてた。あんただけは、ずっと……」

「今すぐ、病院に連れてく! 絶対、助けるから!」

「なのに、ごめんね、曽良。あんただけ、一人にして……」


 しっかりと背中を抱きしめるその『力』さえ、もう感じなくなっていた。曽良が何か叫んでいるのは分かっても、なんと言っているかまでは分からない。

 それでも、彼が傍にいてくれていることは分かった。五感が機能しなくなって、彼の存在を感じることはできなくても……。ただのうぬぼれなのかもしれない。でも、彼は傍にいてくれる。きっと、最期まで傍を離れることは無いだろう。そんな自信があった。

 だから、怖くはなかった。


   *   *   *


 曽良くんが向かったのは、コンビニだった。こんなときに買い物? 不思議に思いつつも、とりあえず、外で身を隠して待っていた。

 コンビニの買い物なんてそんなに時間がかかるとは思えない。すぐに出てくるものと思っていたけれど、いつまで経っても、曽良くんが出てくる様子はなかった。そうっと窓からコンビニの中を覗いてみても、曽良くんの姿は無く、もしかしたら裏口から出て行ってしまったのだろうか、と心配し始めていた。

 そのときだった。

 コンビニの中で、フードを深く被った人物が死角からひょいっと現れた。――曽良くんだ。良かった、と思ったのもつかの間、その両腕に抱えているものに気づいて私は息を呑んだ。人形のようにぶらぶらと肢体は揺れ、首が据わっていないかのように頭部は垂れ下がっている。私はぞっとして、立ちすくんだ。

 その異様な光景にコンビニの店員も気づいたようで、レジの向こうで青白い顔をして固まっている。

 曽良くんが出口に向かってくるにつれて、私はその抱いている身体に見覚えがあることに気づいた。ふわりと揺れるウェーブがかった黒髪。ほっそりと長い脚。そして、愛らしく幼い顔立ち。


「砺波……ちゃん!?」


 間違いない、砺波ちゃんだ。

 人目なんてどうでも良くなって、私はコンビニから出てきた曽良くんに駆け寄っていた。

 

「どうしたの!? 砺波ちゃん、怪我してるの!? なにがあったの!? ねえ、砺波ちゃ……」

「もう死んでる」

「!?」


 ぽつりと曽良くんが零した言葉を、私はすぐには理解できなかった。


「『迎え』が遅すぎたんだ」まるで感情のない淡白な声で言って、曽良くんはフードの下でうすら笑みを浮かべた。「俺が殺したようなもんだ」

「なに変なことを言ってるの!? しっかりして、曽良くん! 砺波ちゃんが、死ぬなんて……そんなこと……」

「守りたいものばかり、死んでいく。殺したいものは死なないのに……」

 

 その瞬間、さあっと悪寒が走って、私は後退った。これまで感じていた冷たさとはまた違う、不気味なオーラが曽良くんから漂っていた。近づきたくないと思った。


「タクシーは? 待ってて、て言ったよね?」


 急に、砺波ちゃんの死なんて嘘としか思えないほどに落ち着いた様子で、曽良くんは訊ねてきた。


「そ……そんなことより、なにがあったの!? 本当に、砺波ちゃんは――」

「タクシー、まさか帰したんじゃないよね? せっかく、運転手を手なずけといたのに」

「曽良くん!」


 泣き叫ぶような声を出していた。もう意味が分からなかった。何が起きているのか、さっぱり分からない。どうして、砺波ちゃんが死ななきゃいけないの? どうして、曽良くんはこんなに落ち着いていられるの?


「お願い、どうなっているのか、教えて!」


 ――違う。嘘だ。

 私、本当は分かってる。

 これは、全部、私が引き起こしたこと。私のせいなんだ。

 

 ――あんたのほうがすごいわよ。わたしとこんだけ仲良いんだから。もっと自信もちなさいよ。


 初めての友達だった。私のくだらない悩みもため息一つで吹き飛ばして、力強い言葉で励ましてくれた。

 がくんと膝から力が抜けて、私はその場にへたりこんだ。


「曽良くん……お願い、教えて」


 頭の中が真っ白だった。考えることも嫌になった。現実が恐ろしすぎて、目を開けていることも怖かった。

 私は顔を両手で覆い、うずくまった。


「私、どうすればいいの……?」


 そんなこと言って、赦してもらおうとでも思ってるの? 赦してもらえるとでも思ってるの? 卑しい自分が嫌になる。

 遠くでサイレンの音がするのが聞こえてきた。もしかしたら、コンビニの店員が通報したのかもしれない。


「本当に、俺たちを救いたい?」

「え……?」


 思わぬ返事だった。


「もちろん――!」


 弾かれたように顔を上げて答えた私の目の前に、曽良くんの冷静な眼差しがあった。砺波ちゃんの身体を地面に下ろし、彼は私と目線を同じくするようにしゃがみこんでいた。


「これ、君にあげる」


 そう言って、曽良くんが差し出してきたのは、見覚えのある銃だった。ずきんと胸が疼いた。身体が、あの痛みを覚えてる。和幸くんに撃たれた痛み……。


「和幸くんの……銃?」

「そう」と曽良くんは、呆気にとられる私の膝の上にそれを乗せた。「砺波が持ってた。かっちゃんの形見。あげるよ」

「形見って……そんな不吉な言い方はやめ――」

「かっちゃんも殺された。もうこの世界にはいない」


 聞こえていたサイレンの音がいきなり消えた。無音の世界に放り出されたようだった。ただ、曽良くんの残酷な言葉だけが響き渡る。


「間に合わなかったんだ」

「……やめて」

「死ぬ前になんとか俺に連絡してきたんだ。君に伝言を残すために」

「嘘……」私は必死に首を横に振っていた。「和幸くんは私が迎えに行く。私を待ってる」

「遺言だと思ってちゃんと聞いて」

「違う。遺言なんてやめて。遺言なんて……」

「この世界を――」


 私は耳を塞いで、再びうずくまった。

 やめて。言わないで。聞きたくない。遺言なんて……。


「この世界を……滅ぼしてほしい、て」


 目を見開いた私の視界には、錆のような乾いた血がこびりついた銃があった。

 はっきりと聞こえてくる。どんなに強く耳を押さえつけても、その冷たい声は鼓膜に滑り込んでくる。


「俺には何のことか、分からないけど……それが、かっちゃんの最期の言葉」


 そうだ。曽良くんが知ってるはずはない。パンドラや『裁き』のことは、和幸くんしか知らない。この世界を滅ぼしてほしいーー和幸くんしか思いつかない願い。本当なんだ。本当に、和幸くんがそう言ったんだ。


「俺からの頼みは一つだけ」砺波ちゃんの身体を抱き上げ、曽良くんはおもむろに立ち上がった。「絶対に本間に捕まらないで。俺たちを本当に救いたいなら、逃げ切って。和幸の願いを叶えるためにも……」


 じゃりっと石を踏む音がして、私を覆っていた影がするりと地面を滑っていく。


「そろそろ、あの秘書も見つかってるはず。そのうち、君の捜索が本格的に始まる。その前に、トーキョーを出るんだ」


 やがて、曽良くんの気配は消えた。遠ざかっていくサイレンに耳を傾けながら、私は呆然と座り込んでいた。どうやら、あのサイレンはここに向かっていたわけではないようだ。安堵しつつも、運が良かっただけだ、と自分を諫めた。いつ、おじさまの部下が私を捜しにくるとも知れない。早く、ここを離れないと。トーキョーを出ないと。

 頭では分かってる。でも、ダメ。立ち上がれない。立ち上がる気にもなれない。力が湧いてこない。


「和幸くん……」


 ぽろりとその名前がこぼれ落ちる。

 会いたい。顔を見たい。抱きしめてほしい。大丈夫だ、て言ってほしい。


「和幸くん……一人にしないで」


 頭上では厚い雲が立ちこめて、太陽を覆い隠していった。

 大きな影が覆い尽くし、一筋の光さえも赦されない世界。希望のない、残酷な世界。そこにたった一人取り残された気分だった。

 ただただ、和幸くんに会いたかった。その願いだけが、私の自我を繋ぎ止めていた。

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