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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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完敗

 コンビニ『ピコ』にはバリアフリートイレが一つあるだけだった。

 トイレとは思えない広々とした空間。その隅で、砺波はしゃがみこんでいた。

 トイレだけ最近、改装したのか、やけにキレイで、真っ白な床に点線を描くように連なる血痕も、壁に残った赤い手形も嫌みなほどに目立っている。


「こういうときに限って……」と、砺波は一人で皮肉めいた笑みを浮かべる。


 筒井から「せめて」と半ば強引に渡されたパーカーを着て、血まみれの服を隠してはいたが、それでも顔色の悪い少女がコンビニの前でぐったりとしていたら、さすがに目を引く。いくらトーキョーでも、通報されかねない。とりあえず、コンビニに入ってトイレに隠れることにしたのだが、それからいつまで経っても曽良は現れない。

 広いのはいいが、たった一つしかトイレがないというのは考えものだ。次の利用者が来て、「早く出て来い」と騒ぎだすのも時間の問題。ノックをされるたび、砺波は気が気ではなかった。


「遅いっての、曽良の奴」


 もともと、待たされるのが嫌いな性格だ。それでなくても、命を狙われているこの緊迫した状況下で、ただ待っているしかないというのは、拷問以外のなにものでもない。しかも、腹からは血が止めどなく溢れ続け、死の恐怖がべったりと寄り添っている。焦りばかりが募って、それでも、自分に出来ることは何も無い。絶望的な無力感に、砺波の心は押し潰されるようだった。

 クローンであっても、『商業用』のクローンではない彼女は、それゆえに『力』へのコンプレックスがあった。和幸や曽良といった肉体を改造されたクローンと幼いころから一緒にいたせいで、自分の『普通』の肉体を非力だと錯覚するようになっていたのだ。『改造』された彼らを、彼女は妬んでさえいた。それでも、カインとして、藤本マサルの娘として、意地とも言えるほどの強い誇りを持つ砺波は、そんな『商業用』のクローンたちと必死に渡り合おうとしてきた。カインは、クローンである彼女の唯一の存在理由。役立たずにはなりたくなかった。

 砺波の負けず嫌いは、そういったコンプレックスと苦心が絡まり合って築き上げられたもの。だから、こうして『商業用』のクローンである曽良の助けを待つだけなんて、彼女にとっては堪え難い屈辱だった。

 でも––。


「砺波!」


 ノックとともに、荒々しい声が響く。

 砺波はハッとして顔を上げた。その青白い顔にほんのりと赤みが戻る。


「曽良……」

 

 やっとのことで出せた声はか細く、嫌気が差すほど弱々しい『女』のものだった。


「砺波!」と、ドアの向こうから安堵したような声が聞こえ、スライド式のドアが大きな音を立てて開かれる。


 さすが、と言わざるを得ない。虫の羽音ほどの声も聞き逃さないその聴力。鍵のかかったドアをいとも簡単にこじ開けてしまう腕力。――そんな化け物じみた『力』を持った少年は、泣きべそをかく子供のような情けない顔を浮かべて現れた。精巧な人形のような、芸術とも思える美しい顔立ちも台無しだ。

 容姿も身体能力も人並みはずれた彼は、その実、誰よりも『普通』の少年であることを砺波は知っていた。誰よりも痛みを知り、誰よりも孤独を恐れ、誰よりも『無垢』な心を持っている。

 砺波は降参するように微笑んだ。

 

「なんて顔してんのよ……バカ」

 

 砺波の憎まれ口を聞くやいなや、曽良はトイレに駆け込んできて、息をつかせぬ勢いで砺波を抱きしめた。

 突然のことに、砺波は照れることもできずにぽかんとしてしまった。

 曽良が乱暴に開けたせいでレールが変形したのか、ドアは半分閉じたところで止まっている。その間から、店のテーマソングがトイレの中に漏れ聞こえてくる。何度も繰り返されるその間の抜けたメロディに、砺波は呆然と耳を傾けていた。曽良の腕の中で、文句一つ言うこともなく……。

 不思議だった。

 誰かに頼るなんて大嫌いだったのに。誰にも甘えたくなかったのに。相手が『商業用』のカインならなおさら、負けたくなかった。それなのに、曽良の姿にホッとした自分がいた。自然と笑みがこぼれた。身動き取れないほどに強く全身を締め付けるその『力』を――苦しいほどに実感する自分との圧倒的な力の差を――憎たらしいとは思わなかった。

 悔しいはずなのに、嫌な気がしない。それどころか、心が満たされるよう。

 だめだ、と砺波は力を抜いて目蓋を閉じる。強がることもできないなんて――完敗だ。

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