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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第一章
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kazuyuki1:2

「小夜子!!」


 みすぼらしい格好の女性が、化粧もしていない顔を涙でぬらして微笑んだ。和幸の手を離し、彼女にむかって小夜子が跳ねるようにしてかけていった。

 何度見ても飽きることのない親子の再会。和幸はその瞬間を目を細めて見守った。

 トーキョーのはじにそれはある。通称『カインノイエ』と呼ばれる組織の隠れ家だ。元は教会だったものを、事務所のように改装した。

 何を隠そう、和幸もカインノイエの一員。カイン――別名『無垢な殺し屋』で知られる子供たちの一人だ。


「和幸」と、不意に、低い声があたりに響いた。


 はっとして声のしたほうに目をやると、祭壇の左、その奥にある小部屋に続くアーチ天井の廊下から男が現れたところだった。薄い白髪頭の初老の男だ。たまごのような輪郭の顔に、優しげな笑みを浮かべてこちらに向かって歩いてくる。――藤本マサル。カインノイエの創立者であり、カインと呼ばれる少年たちを束ねるリーダーである。

 その傍らには、よれたスーツ姿の青白い顔をした男。和幸にはすぐに分かった。あの、今にも倒れそうな男こそ、小夜子の父親だ、と。

 父親は急に立ち止まると、まっすぐに和幸を見てきた。その瞳には涙が浮かんでいる。堪えるようにぐっと唇を噛み、深々と頭を下げた。

 和幸は目を細め、ため息混じりに微笑んだ。

 父親は頭を下げたままぴくりとも動かない。放っといたらいつまでもこのままでいそうだ。そんな父親の様子を見かねたのか、隣にいた藤本が彼の背中をさすり、「さあ」と促した。そうして、やっと父親は遠慮がちに頭をあげた。藤本の手を握り、何度も「ありがとうございます」と繰り返す。声はひどくかすれ、弱々しく震えていた。よほど不安だったに違いない。毎晩のように泣いていたに違いない。

 父親はくるりと振り返り――小夜子の姿を見るやいなや、母親と同じように涙をこぼして駆けだした。


「小夜子!」と叫ぶ彼の声が、教会に響き渡った。

 

 床にひざをつき、父親は小夜子をぎゅっと抱きしめる。「パパ?」とあどけない少女の戸惑った声が聞こえてきた。たまらず、母親もしゃがみこみ、父親ごと小夜子を抱きしめる。

 この教会では今や『お馴染み』の光景だ。

 藤本はそんな三人の様子を見守りながら、和幸に歩み寄る。


「ご苦労だった」とねぎらうと、和幸は「たいしたことないよ」と無表情で答えた。その視線は、念願の再会を果たした家族へと向けられてぴたりと固定されている。

 幼いときから和幸を育ててきた藤本には、彼は実の息子のようなものだ。表情からその心情を推し量ることもたやすい。じっと彼の様子を見つめて、足元に目をやる。和幸の足元には血のあとがあった。和幸にはどこにも傷はない。藤本は心配そうなまなざしで和幸を見る。


「撃ったのか」


 その言葉に、和幸ははっとして藤本に振り返った。


「……」

「殺したのか」


 藤本の声にどこも怒っている様子はなかった。もちろん、怒ってなどいないからだ。彼の部下であるカインと呼ばれる子供たちには、どこか倫理という点でかけているところがあった。その原因は容易に分かる。だからこそ、藤本は彼らに対して、常識を押し付けようとはしていなかった。

 和幸は、ふと自分の足元を見つめると、首を横にふる。


「殺してない」

「……」

「足を撃っただけだよ」


 そう小さく言うと、藤本に微笑みかけた。


「そうか」


 和幸はほかのカインとは違っていた。命というものに、異常な執着があるようにみえた。それは、自分の命だけでなく、他人の命に対してもだった。命というものに、彼は常に問いかけているようだった。だからこそ、『無垢な殺し屋』とも言われるカインの中で、唯一、人を殺したことがなかった。


「和幸くん」


 間の抜けた明るい声でそう呼んだのは、三神だった。藤本は用が済んだら帰れ、と何度も言ったのだが、結局、彼はずっとここに居座っていた。 


「三神さん?」どこからともなく現れた情報屋に――実際にはトイレで用を足していたのだが――和幸は目を丸くした。「お久しぶりです」

「やあやあ、久しぶり。元気そうだね」


 近づいてくる三神を避けるように、藤本は小夜子の家族のほうへ向かった。三神はそれを横目でみながら、和幸に近づく。


「三神さんも元気そうで」

「いやいや、情報集めて売ってるだけだからね。君みたいに命の綱渡りはしてないから」

「……」

「あ、気に障ったかな」


 三神はいたずらをした子供のような笑顔をみせる。和幸は藤本と違って、このつかめない性格をした男は嫌いじゃなかった。


「いえ」

「君の情報もよく回ってくるよ。いまだに、誰も殺せてないみたいだね。人を殺さないカイン……天然記念物だよ」


 和幸はその皮肉に、ただ口元だけ笑って答えた。


「お兄ちゃん」


 不意に、袖が引っ張られるのを感じて、和幸は振り返る。そこには、いつの間にか、小夜子がちょこんと立っていた。頬を赤らめ、満面の笑みを浮かべている。


「小夜子ちゃん」和幸は頬を緩めて、しゃがみこんだ。小夜子の頭に手を乗せて、優しく撫でる。「元気でね」


 もう二度と会うことはないだろう。少女の笑顔を目に焼き付けるようにじっと見つめ、和幸はそうつぶやいた。――願うような気持ちで。


「うん!」と、元気よく小夜子は頷き、和幸に小さな手をふる。「ばいばい」


 それだけ言って、小夜子は両親のもとへとかけていった。まだ幼い彼女には、自分の身に何が起きたのかまだ理解はできないだろう。いや、それでいいのかもしれない。そのほうがいい。できることなら、このまま、彼女が全てを忘れてくれればいいと思う。大人になって、この全ての出来事を不思議な夢だった、と思ってくれればいい。そのほうが、きっと幸せなのだから。

 そんなことを考えながら、和幸は立ち上がる。教会の扉の前で、小夜子と手をつないだ両親が深々と頭を下げていた。和幸はただ微笑んで、心の中で祈っていた。もう二度と、彼らがこの教会に現れないように、と。もう二度と、彼らが自分に頭を下げることなどないように、と。

 この教会の扉を叩く者、カインである自分を頼る者、それはすなわち、この理不尽なトーキョーという世界の犠牲になった者たちなのだから。


「人身売買は増え続ける一方だな」


 家族が教会からでていくのを見送る和幸の隣で、三神はポケットに手をつっこんで冷たく言った。


「貧富の差が広がり続ける限り、犠牲になる子供はもっと増える。今でさえ、半分も取り返せてないんだろ」

「……」

「君たちカインだけじゃ、どうにもできない」


 藤本が戸締りを始めている。和幸は三神の忠告に耳を傾けながら、ただ見ていた。


「それに……君たちカインの時間は限られてる。とても盗まれた子供たち、全員を迎えにいけるとは思えない」

「!」


 三神が珍しく遠慮がちに言った。和幸はなぜか、言われた内容よりもそちらのほうが気になっていた。

 そんなこととは露知らず、三神は黙っている和幸を見て申し訳ない表情を浮かべる。


「久しぶりに会って、言いすぎたかな」


 そんなことを言う三神は心底意外だった。和幸はフッと思わずふき出していた。それに、三神は驚いたように目を丸くした。


「なに? 笑わせるようなこと言ったつもりはないけど」

「いえ。反省する三神さん、初めて見た気がします」

「な……」


 そんなことを言われるとは夢にも思っていなかったのだろう、三神はきょとんとしてしまった。


「ははは、失礼だな」

「すみません」

「まあ、君の人生だ。好きなように使えばいいさ。僕も手伝えることはなんでもする」


 親切な言葉のように聞こえるが、真意は安易に分かる。和幸はため息混じりに微笑んだ。


「そうやってお得意さんを増やしてるわけですね」

「ばれたか。まあね。ベンチャーは姑息にならなきゃやってられないよ」


 三神はまた、ははは、と明るく笑い飛ばした。


「裏社会でベンチャー、ですか」


 やはり、この人は嫌いじゃない。和幸は心の中でつぶやいた。

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