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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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マルドゥクの王 -9-

 物憂げな表情を浮かべ、黙々と階段を降り続けていたタールだったが、一階まであと一段というところではたりと足を止めた。

 もとは自動ドアだったのだろうが、今は錆び付いた鉄枠だけになった入り口に、待ち構える人影があったのだ。逆光を受けて浮かび上がる妖艶な女のシルエットに、タールは気に入らない様子で苦笑した。


「言わんこっちゃない、てか? アトラハシスの僕」

「バール、とおよび下さいませ」と人影——バールは、ふっくらとした紅い唇をうっすら笑ませた。「やはり・・・、うまくいかなかったのですね、ニヌルタの王」

「マルドゥクの奴、王位をあの小娘に継承しやがった」


 舌打ちし、タールは最後の一段を億劫そうに降りた。


「王位を継承!? まあ、それはまた……」


 さすがにそこまでは予想していなかったのか。バールは気の毒そうに顔をしかめ、言葉を詰まらせた。


「バカだろ」とタールは雑に言い捨て、バールのもとへと歩を進める。「大人しく、パンドラを渡せばいいものを。死に方までいけすかねぇな、マルドゥクってのは」


 まくしたてるように早口でひとりごちるタール。その言葉の端々から苛立ちが伝わってくる。

 バールは興味深げにそんなタールを観察していたが、


「っつーわけだ、バール。お前らと手を組んでやる。さっさとアトラハシスのとこに連れて行け!」


 バールの目の前で立ち止まるやいなや、タールは腕を組み、高圧的に言い放った。

 まるで命じるような言い草に、バールはぎょっと目を丸くした。苦情でも言いたげに、バールはタールの傍らで佇むレッキに視線を送る。しかし、レッキは浮かない表情で俯いているだけ。主を諫める気がないというよりは、心ここにあらず、といった様子だ。


「まあ、いいですけど」不満げにつぶやいてから、バールはくねらせた腰に手をあてがった。「我が主が、あなた様のこちらでの滞在先を用意しております。まずは、そちらにご案内いたしますわ。今後のお話は、また、そのあとにでも」

「今後のお話、ね」


 タールは鼻で笑い、ポケットからくしゃくしゃになったタバコの箱を取り出した。最後の一本を口にくわえ、空になった箱を投げ捨てる。

 その瞬間、レッキは我に返ったようにハッとして顔を上げた。


「タール、ポイ捨てはダメだって、何度も――」

「別にいいだろが。この世界自体、ゴミみてぇなもんなんだから」見せつけるように、タールは足下に転がるタバコの箱をウェスタンブーツで踏みつける。「だから、オレらがキレイに洗い流してやるんだろ」


 ニヒルな笑みを浮かべ、タールはライターでタバコに火をつけた。


「オレはどこぞの王みたいにくだらねぇ選択はしねぇ。使命はこの手で果たす。オレの命はそのためにあるんだからな」

「……」


 タールがふうっと白い煙を吐き出す間、レッキは何か言いたそうに彼を見上げていたが、やがて、苦悶の色を浮かべて視線を落とした。

 気まずい空気が漂って、バールは居心地悪そうに顔をしかめた。


「なんですの?」


 *   *   *


 その事実に目を向ける勇気さえなかったんだ。わたしの記憶の中では、リストちゃんは笑顔でわたしを迎えてくれるから。だから、確かめたくなかった。この目で確かめるまでは、それが事実にはならない気がした。たとえ、わたしの手に『聖域の剣』が握られていようと、わたしの身体が不死になっていようと、ケット様がわたしを『主』と呼ぼうと、リストちゃんは、きっと生きている。——心のどこかで、あり得るはずも無い希望を抱いていた。聞き分けの無い子供みたいに。事実を受け入れられずに、駄々をこねていたんだ。

 きっと、そんなわたしの『弱さ』なんだ。リストちゃんを追いつめてしまったのは。

 これ以上、甘えていちゃいけないと思った。リストちゃんはずっとわたしの代わりに重荷を背負っていてくれたんだから。もう、リストちゃんを苦しめたくないから。


「ごめんね、リストちゃん」


 わたしは横たわるリストちゃんの傍にそっと腰を下ろした。

 うつ伏せに倒れたリストちゃんの身体はぴくりともせず、まるで人形のようだった。床に頬を当て、目蓋を閉じるその顔は、苦痛に歪むこともなく穏やかで、それだけが救いに思えた。


 ――感謝するよ。お前みたいな落ちこぼれがマルドゥクの中にもいたことを。お前なんかに使命は果たせない。『裁き』は終わりだ。


 ニヌルタの言う通り。わたしは落ちこぼれだ。守られることしか知らなかった。リストちゃんに頼ってばかり。

 ぎゅっと握りしめる拳には、ぴくりともしなかった剣の感触が残っている。わたしには持ち上げることさえできなかった重たい剣。


「ねぇ、リストちゃん。わたし……あんなに重たいものを、あなたに背負わせていたんだね」


 リストちゃんの頬を撫でると、ひんやりと石のように固く冷たくて、ぞっと全身に悪寒が走った。――『死』を肌で感じた。その身体はもう魂の抜け殻でしかないのだ、と思い知らされた。


「ごめんね、リストちゃん。ごめんね。ごめんね……」


 でも、もういい。もういいから。もう、リストちゃんは何も背負わないでいい。わたしが引き継ぐから。わたしがやり遂げるから。リストちゃんがその命をかけてわたしに託してくれたもの——全て、守り抜くから。

 マルドゥクの王として、一族の願いも悲しみも、全てわたしが引き受ける。『裁き』を止め、必ず、ニヌルタに報いを果たす。そのためなら、わたしはなんだってする。それがリストちゃんへの償いになるのなら。


「ケット」


 わたしは顔を上げ、その名を呼んだ。わたしの天使の名前を――。

 すると、


「なに、ナンシェ?」


 目の前に蛍の群れのような光の粒子が飛んできて、その中から不安そうな色を浮かべたケットが現れた。

 わたしはその金色の瞳をまっすぐに見つめて訊ねる。


「『災いの人形』はどこ?」

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