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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
286/365

覚悟 -上-

 やっぱり、向かい合っても、曽良くんから感じることはなかった。以前感じていたような、『好意』と呼べ得る暖かみのあるオーラを。


「可愛い目印、ありがと」


 曽良くんはくいっと背後を親指で指した。

 可愛い目印――ベランダに干しておいたピンクのブランケットのことだろう。曽良くんに頼まれ、電話のあとに用意したものだ。どれが私の部屋か一目で分かるよう……。


「それで……その人、紹介してくれる?」


 口許だけに笑みを浮かべ、曽良くんは私の傍らにいる前田さんに鋭い視線を向けた。

 本能、というものなのだろうか。私はとっさに、前田さんをかばうように前に出ていた。曽良くんの瞳が、ぞっとするほど冷たく見えたから……。


「この人は、前田さん。おじさまの秘書なの」

「へえ」と曽良くんは興味深げに小首を傾げた。「本間秀実の秘書?」

「ここまで、連れて来てくれたの! こうして、ちゃんと曽良くんとの待ち合わせに間に合うように、て」


 一歩ずつ、こちらに歩み寄ってくる曽良くんに、私は必死に訴えていた。

 曽良くんとの待ち合わせのことを、なぜ前田さんが知っていたのかは、まだ私にも分からないけど……今はそれどころじゃない。

 曽良くんからなんとなく感じていた違和感。私はその正体に段々と気づき始めていた。つまり――目の前の彼が『誰』なのか。

 つい忘れてしまうけど、彼もまた、裏世界で『無垢な殺し屋』と呼ばれる子供たちの一人。カインなんだ。

 カインとしての曽良くんを私は知らない。でも、きっと、『家出』の邪魔になると判断すれば、前田さんを放ってはおかない――今の曽良くんには、そんな雰囲気が漂っている。私でも感じ取れるほどの……たぶん、『殺気』というもの。


「ふぅん。秘書がわざわざ『家出』の手伝い、ねぇ」


 曽良くんは私の前で立ち止まると、前田さんに微笑みかけた。


「初めまして、秘書のお兄さん」


 その笑みに陰りのようなものはなく、いつもの曽良くんに戻っていた。

 納得……してくれたんだろうか。ひとまず安堵するとともに、うっかりしていたことに気づく。


「そうだ、前田さん。彼が、友人の――」

「藤本曽良」


 え、と私はきょとんとしてしまった。

 どうして……曽良くんの名前を知ってるの? 面識……あったの? ううん、まさか。曽良くんだって、初めまして、て言ってたし。

 いえ、それよりも――。


「前田さん、大丈夫ですか?」


 私は前田さんの顔を覗き込んだ。

 前田さんの顔はいつになく強張って、びっしょりと汗に濡れていた。歯が合わさる音が聞こえてきそうなほど唇は震え、そこから漏れる息づかいは荒々しくなっている。

 貧血でも起こしそうなのかな。


「座ったら……」

「覚悟はできてる」


 前田さんは、寒さに凍えているかのような掠れた声でそう言った。真っ赤に充血した目にじんわりと涙を浮かべ、まっすぐに曽良くんを見つめて……。


「覚悟?」と曽良くんは嘲笑のようなものを浮かべて聞き返す。「なんの覚悟さ?」

「僕はもういいんだ。でも、カヤさんは……カヤさんは、ちゃんと安全なところに連れて行ってくれるんだろ? そのために、君は来たんだろ? そう信じていいんだよな!?」

「前田さん……?」


 一心不乱に、すがるように、曽良くんに質問を重ねる前田さんは、まるで何かに乗り移られたようだった。恐怖さえ覚えて、私は自然と後退っていた。


「あれ」ふいに、曽良くんはあっと驚いたように目を丸くした。「もしかして……お兄さん、彼女に惚れてるの?」

「!?」


 いきなり、何を言い出すの?


「曽良くん……!?」

「そっかぁ」私には目もくれず、曽良くんはクスクスと笑い出し、前田さんへと歩み寄る。「てっきり、罠なのかと思ったけど、そういうこと」

「罠?」

「それなら、いいや」


 次の瞬間、曽良くんは前田さんの首を掴んで、そのまま前田さんを身体ごとドアに押し付けた。


***


「曽良くん、やめて!」


 カヤは血相変えて、前田の首を今にもへし折らんとする曽良の腕に飛びついた。


「前田さんは協力してくれたの! こんなことする必要ないから! お願い、離して!」

「時間もないし、大人しくさがっててくれないかな、カーヤ?」と、曽良はいたって冷静に答える。「このお兄さんも、覚悟はできてるって言ってるんだからサ」


 人の首を絞めているとは思えないほど落ち着いた様子の曽良に、カヤは愕然としてしまった。曽良の表情も声も、いつものように穏やか。でも、その瞳だけは冷たく、狂気を感じさせる。

 何を言っても無駄だ、と悟った。目の前にいる彼は、自分の知っている『友人』ではないのだ、と思い知らされたようだった。

 それなら力づくで……と思っても、曽良の腕はどんなに体重をかけて引っぱっても、まるで銅像でも相手にしているかのように微動だにしない。当然だ。曽良も和幸と同じ、『商業用』に創られたクローン。改造され、人外とも言える筋力を得たその肉体に、カヤが敵うはずもない。

 カヤは呆然として、曽良の腕を離し、後退った。

 その間にも、ミシミシと軋む音と、前田の苦しげな声がカヤの耳に入ってくる。

 前田の足はジタバタと抵抗しているものの、虚しく宙を蹴るだけ。がっしりと彼の首を掴む若干十七の少年の手は、前田が引っ掻こうが叩こうがぴくりともしない。ただただ、首の血管や気管、骨さえも握りつぶす勢いで、その手は確実に前田の首にめり込んでいく。まるで、前田の苦しむ姿を楽しむかのように、じっくりと……。

 このまま、何もできないの? ――カヤはぽつりと浮かんだ己の弱音に、ぐっと唇を噛み締めた。


「違う……」


 カヤは震える手を背中に回す。


「強くなるって、誓ったんだ」


 自分に言い聞かせるようにつぶやき、カヤは背中に隠していた『それ』を手に取った。

 前田の足の動きに勢いが無くなっている。悩んでいる時間なんて無い。

 カヤはすっと息を吸い、


「曽良くん、ごめんなさい!」


 ハッとする曽良の傍にすばやく詰め寄り、取り出した『それ』の先を彼の首筋に向けた。


「お願い、前田さんを離して」


 あっけにとられる曽良の首筋を狙う鋭い牙。和幸を守るためにはどんなことでもする、と覚悟を決め、ずっと背中に隠し持っていたもの。静流から譲り受けたナイフだ。

 カインの花嫁として認められた証。その切っ先を、まさか、曽良に向けることになるなんて。カヤは虚しさと罪悪感に苛まれながらも、すばやくはずした皮のケースを足下に捨て、両手でナイフを力強く握りしめた。でも――どんなに強く握りしめようと、どんなに覚悟を決めたつもりでも、震える手はどうしようもなかった。


「お願い」とカヤはすがるように繰り返す。「前田さんを離して、曽良くん」


 曽良は何も言わず、冷めた目でカヤを見つめ、やがて、ため息ついて前田の首から手を離した。

 解放された前田は、どさりとその場に崩れ落ち、掠れた咳の合間に「ゼエ、ゼエ」と必死に酸素を吸い込んでいる。

 とりあえず、間に合ったようだ。カヤはほっと胸を撫で下ろした。だが、簡単すぎる。安堵する一方で、あまりにもあっさりと言うことを聞いた曽良に不安を覚えていた。「ありがとう」と口にしつつも、ナイフを下ろすことができないのもそのためだった。事実、曽良の顔に『恐怖』の色など浮かんではいない。ナイフの脅しが利いているとは思えなかった。そもそも、ガタガタと震えながら、もらいもののナイフをかざす自分に、『無垢な殺し屋』が脅威を覚えるはずもない。

 なにか、企んでいるのか。それとも、自分の熱意に折れてくれたのか。


「こんなことしてごめんね、曽良くん。でも……前田さんには手を出さないで」


 曽良の真意を確認しようにも、曽良に表情はなく、カヤは蝋人形でも前にしているような錯覚に陥った。

 いったい、何を考えているのか。

 しばらくして、前田の呼吸が落ち着いてきたころ、曽良はようやく「参ったな」とどこか同情するようにつぶやいた。


「カーヤは本当に優しいね」


 曽良の顔に表情が戻り、諦めたような笑みが浮かぶ。


「優しいって……」


 そんな言葉が出てくることに、カヤは困惑した。

 目の前で人が殺されようとしていれば、助けるのは当然じゃないのか。それも、知り合いならなおさらだ。そんな、人として当たり前の反応を『優しい』と感じる曽良の感覚は、狂っているとしか思えない。やはり『殺し屋』として生きてきたせいなのだろうか。ぞっとするとともに、カヤは寂しさに胸が押し潰されるようだった。自分の中の彼が――いつも暖かな笑みを自分に向けていてくれた友人が――突然、誰かに奪われてしまったような気分だった。


「曽良くん、どうして……」


 こみ上げてくる想いを言葉にすることもできずに、カヤは口ごもった。

 そんなカヤに憐れむような笑みを向け、曽良はふいに、ナイフを握るカヤの手にそっと触れた。ぎくりとするカヤが何か言うより先に、曽良は低い声で囁く。


「俺にはマネできないヨ。――カーヤを騙して、かっちゃんを殺そうとしている奴らを許すなんて」

「!?」


 ハッと息を呑んだのは、カヤだけではなかった。地面にはいつくばって呼吸を整えていた前田もまた、目を見開いて固まった。


「なに……言ってるの?」

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