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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
284/365

やっと

 夜はにぎやかなここも、昼間はがらんとして寂しいものだ。

 窓一つなく、光源といえば蛍光灯のみ。壁は白いコンクリートがむき出しで、味気ない。地下だから仕方ないのかも知れないが、実に陰気くさくて息苦しい。押し潰されそうな居心地悪い圧迫感がある。ずっとここに閉じ込められたら精神を病みそうだ。まっすぐに伸びる廊下を見つめながら、蟹江はぼんやりとそんなことを考えていた。

 いや、と蟹江は鼻で笑う。実際に、見てきたではないか。ここに閉じ込められて精神に異常を来した者たちの末路を……。

 廊下にずらりと並ぶ重厚なドア――そこに入れば最後。その奥で、泣き叫ぼうが、助けを呼ぼうが、運命を変えることなどできない。時間が来れば連れ出され、この廊下の先にあるオークション会場で競りにかけられるのみ。

 彼らの悲鳴は誰にも届くことはない。彼らは誰に知られることもなく、『商品』として売買されるだけ。たとえ、彼らが何をされようと問題はない。貧しい家に生まれた子供たち、そして、『創られた』子供たち。コネも権力もない彼らは、このトーキョーでは存在しないも同然だった。誰も気にかけることはない。誰も彼らに情けをかけることも、まして、手を差し伸べることなんてない。――そのはずだった。

 二十五年前、新米刑事として知能犯係に配属し、とある政治家の汚職事件を追っていた蟹江は、本間と出会った。魔が差したというやつだったのだろうか。本間の口車にのって悪事に手を染め、やがて、裏オークションというビジネスにまで足を踏み入れていた。ミイラ取りがミイラになる、とはよく言ったものだ。給料がはした金に思えるほどの金が一気に舞い込み、ヘマをしても本間が尻拭いをしてくれる。汚職をしている刑事なんて他に五万といるし、捕まることなどまずあり得ない。まさにノーリスク・ハイリターンだった。

 このまま、なんの苦労もなく、順風満帆の人生を送れるものと思っていた。十八年前、カインと名乗る子供たちが現れるようになるまでは……。

 蟹江はちらりと後ろを振り返り、廊下の一番奥にあるドアを睨みつけた。そこにいるのは、一人の少年だ。彼こそ、金の成る木にたかる害虫。大事な『商品』を盗み、ときに、人的被害までもたらし、多大な損害を与えてくれた『無垢な殺し屋』の一人だ。

 カインが現れてから、人身売買――特に、クローン売買は複雑になってしまった。製造して売る、というシンプルなビジネスに、リスクが伴うようになったのだ。

 だが、それももう終わりだ。ようやく、目障りな害虫をまとめて駆除できる。

 蟹江は愛しそうにドアを見つめ、ほくそ笑んだ。

 すると、まるでその笑みに応えるかのように、ドアが電子音とともにゆっくりと開く。


「お」と蟹江は意外そうに目を丸くした。「早かったな」


 姿を現したのは、長髪の青年だった。すらりと長身の彼は、顔立ちも整っていて、まさに美丈夫。こんな味気ない地下の廊下にいるよりも、ランウェイでスポットライトを浴びているほうが似合っている。そんな彼が、まさか国務大臣のボディガードだとは誰も思わないだろう。

 本間秀実の秘蔵っ子、椎名望。自らもクローンとして生まれ、肉体を改造されながらも、カインを憎み、彼らと敵対する立場を選んだ。目には目を、歯には歯を――カインと対抗するのに、これ以上無い最適な人材である。

 

「蟹江さん」ふっと薄い唇に不敵な笑みを浮かべ、彼はこちらに歩み寄ってくる。「隠れ家が分かりました」


 その言葉に、蟹江の骸骨のような顔に不吉な笑みが広がった。


「すぐに向かってくれます?」


 蟹江の前で立ち止まると、望はポケットから携帯電話を取り出し、なにやら打ち込み出した。


「今、メールで住所送るんで……」

「口が堅いように見えたが」望の背後のドアに一瞥をくれ、蟹江は含み笑いを漏らす。「どうやって、聞き出したんだ?」

「愛の力に決まってるじゃないですか」


 携帯電話をパタンと閉じて、望はけろりとした様子で肩を竦めた。


「愛の力、ね。あの十字架、効果があったかな?」

「そりゃもう」望はわざとらしく悩ましげに眉根を寄せた。「今も十字架を握りしめて、何かぶつぶつ祈ってますよ」

「殺し屋のくせに、神の情けを請うとはね」


 その皮肉に、望は「全くですね」とクスクス笑った。蟹江もつられたように失笑する。ドアの向こうにいる『無垢な殺し屋』がおもちゃのような十字架に祈りを捧げるさまを思い浮かべると、実に滑稽だった。


「そういえば……」背広の内ポケットで携帯電話が振動するのを感じて、蟹江はおもむろにそれを取り出す。「君はどうなんだ、望くん? 浮いた話はないの?」

「僕ですか?」


 望は切れ長の目をぎょっと見開いた。


「もう二十六だろ、君も? 恋人の一人や二人、いてもおかしくない。――いや、そろそろ、つくっとかなきゃもったいないよ。十個も下の『殺し屋』だって、仲間を売るほど夢中になる恋人がいるんだから」


 望からのメールをチェックしつつ、蟹江はねっとりとした口調で言った。所詮は間を持たせるためだけの無駄話だったが、どうせなら面白みがある話題がいい。

 ぎょろりと大きな黒目を動かし、望の様子をうかがうと、彼は気まずそうに口もとを歪めて「参ったなぁ」と長い前髪を掻き上げた。


「僕は藤本くんみたいな良い彼氏にはなれそうにないんで、そういうのは遠慮してるんですよ。『子守り』で、恋人の相手なんてしてられませんから」

「子持ちの男を相手にする女もなかなかいないか」


 もちろん、望に子供などいない。カインのことだ。

 蟹江はメールの住所がデタラメでないことを確認してから、満足げに頷いて携帯電話をしまった。


「だが、『子守り』ももう終わりだろう?」


 すると、望の眉がぴくりと動いた。「そうですね」と冷笑のようなものを浮かべて、背後のドアに振り返る。


「やっと……終わります」


 やっと――その言葉は、蟹江の心にも感慨深く響いた。

 十年前、望がまだ『野沢直人』だったころ、彼を迎えに行き、本間の元へ誘ったのは、他でもない、蟹江だ。それからずっと、望の『子守り』を見守って来た。情ぐらい湧く。


「君は本当に、よくやってくれた」蟹江は味わうようにじっくりとそんな言葉を口にしていた。「本間先生も、誇りに思っているだろう」


 こちらに顔を向き直した望は、面白いほどにぎょっとしていた。


「なに、その顔は? 男前が台無しだよ、望くん」

「蟹江さんにそんなこと言われると気味が悪くて」

「ひどいなぁ」と言う蟹江の表情には、薄ら笑いが浮かんでいた。「まあ、『子守り』も終われば、君も自由になるんだから。これから、遊べばいいさ」

「恋人、ですかぁ?」


 望は困ったように苦笑して、喉元をかいた。


「ダメですね、僕は。お金で買える恋に慣れちゃったから」

「娼婦か……」

 

 蟹江は呆れたようにため息ついた。それに言い訳でもするかのように、「気楽でいいんですよ」と望は付け加えた。

 彼が娼館で働いていたことも、そこで娼婦たちに良くしてもらっていたのも知っている。『野沢直人』の名を捨ててからも、彼は娼館に顔を出しているようだった。彼にとっては、その辺の女よりも娼婦のほうが身近な存在なのだろう。理解できないこともないのだが……しかし、蟹江は「もったいない……」と言わずにはいられなかった。


「お金がですか?」と望は気にする様子もなく、彼らしい皮肉で返してくる。

「そう思っているうちはいいさ。そのうち、後悔するよ」


 蟹江は首を左右に振り、踵を返した。


「あ、蟹江さん。カナから連絡があったら、教えてください」


 その言葉に軽く手を振って応え、蟹江は地下の通路を進んで行く。

 やがて、背後で扉が閉まる音がした。望が『子守り』に戻ったのだろう。

 人質がいるといっても、相手は『無垢な殺し屋』。何をしでかすか、分かったものではない。こうして、望が監視していてくれれば安心だ。


「鼎、か」


 ふと、思い出したように蟹江は携帯電話を取り出し、ボタンを押して耳に当てた。


「わたしだ」コツコツと響く不気味な足音に、蟹江の低い声が混ざる。「そっちの様子は……」


 しばらく電話の向こうの声に耳を傾け、蟹江は苛立ちもあらわにため息をついた。


「『パパ』は手遅れだったか。――まあ、いい。藤本和幸が口を割った。こっちでなんとかなりそうだ。で、鼎の死体・・はどうなってる?」


 蟹江ははたりと足を止め、「そうか」と興味無さげに答えて振り返った。蛍光灯が照らす陰湿な廊下――その奥の扉を見つめながら、蟹江は憫笑のようなものを浮かべた。狩るべき魂を前に、舌鼓を打つ死神のように……。


「兄妹仲良く、処分・・してあげようと思ってたんだけど……仕方ないね。一段落つくまで、望くんには内緒だよ。彼にはあと少し役に立ってもらわないと、拾った意味ないから」

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