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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
281/365

極東の都で

 船を降り、連れてこられたのは廃墟が立ち並ぶ一角だった。まるで戦火に焼かれたあとかのように、今にも崩れ落ちそうなビルが建ち並び、そして死臭が漂っている。今にも生ける屍が現れそうな、不気味な静けさに満ちた街。まさに、ゴーストタウンという名にふさわしい。

 いったい、ここはなんなんだろう?

 船を降りた港からだいぶ歩いても、まだ、吹き付ける風には潮の匂いが含まれている。海に囲まれている、ということだろう。つまり、ここは島?

 遠くを見渡せば、ビルの合間から長い橋が見えた。その先には、背の高いビルが立ち並ぶ都市らしき影が、もやがかった空に蜃気楼のように浮かび上がっている。あれも島なのかな? このニホンという国は、いくつもの島から成り立っていると聞いたことがあるし……。

 私の故郷、イギリスと同じ島国、ニホン。いつか訪れてみたいと思っていた。次にリストちゃんと旅行するなら、思い切って極東の島国へと足を伸ばしてみようかと思っていた。イギリスとは異なる島国の姿を見てみたいと楽しみにしていたのに――この有様はなに? 話にしか聞いたことは無いけれど、昔のイーストエンド(ロンドンのスラム街)を思い起こさせる。


「これがトーキョーとは……肩透かしだねぇ」


 傍らで私の腕をつかむニヌルタが、嘲笑混じりにそうつぶやいた。


「トーキョー?」と、思わず私は振り返っていた。「ここが、トーキョーだというのですか?」

「なにを今更、寝ぼけたことを言ってやがる? 船ん中でも、ずっとトーキョーに向かう、と言ってただろうが」

「そうですが……信じられません。ここがトーキョーだなんて……」

「ま、あと一ヶ月もすりゃ、ここも全部、エンリルの裁きできれいさっぱり流されることになるんだ。そうなれば、トーキョーもなにも無ぇがな」

「そんなことは、許しません!」


 思わず声を荒らげた私に、ニヌルタは「クッ」と口許を歪めた。


「許さない、か。いつ殺されるとも知れないこの状況でもその態度。さすがは清廉潔白なマルドゥクの聖女さまだ。祖神たるエンキへの信仰は、心に突き立てた一本の剣の如き。その聖なる剣は折れることはなく、それを振るうはルルのため、か」

「なにを突然、そのようなことを……」

「――つくづく、虫酸が走る」


 だらしなく伸びた前髪の下で、狂気を感じさせる鋭い瞳がぎらりと私を睨みつけた。まるで、岩の下で獲物を狙って目を光らせる毒蛇のよう。

 ゆるいウェーブがかかったような癖のある茶色い髪は肩まで伸び、顎には無精髭。Tシャツの袖をまくって、日に焼けたたくましい二の腕を見せびらかしている。そんな野蛮人のような身だしなみにも関わらず、ヴァイキングというよりも、百戦錬磨の王のような風格を感じさせるのは、きっと彼が神の血を引いている証なのだろう。

 ぞっと戦慄が走って、後退ろうとするも、ニヌルタに腕を掴まれていてはそれも叶わず――それどころか、ぐっと引き寄せられ、気づけば、あの禍々しい瞳の輝きが目の前にあった。


「お前は先代マルドゥクの王のお気に入り。そして、今の王からも寵愛を受けているそうだな。マルドゥクの連中の中には、命乞い代わりにこんなことを言う奴らがいたよ。マルドゥクを挑発したいのなら、自分でなく、ナンシェ・アブキールを狙え――と」


 また、その話? ニヌルタは何度となく私に語り聞かせるのだった。どれほど、マルドゥクの人間が私を妬み、憎んでいたのか。

 信じたくはなかった。皆に疎まれていたなんて……。確かに、一族の間には当主争いによる確執があったけど、私は継承者候補ではなかったし、関係ないと思っていた。

 先代マルドゥクの王のお気に入り――か。まさか、皆、私がリチャードおじいさまに取り入って王位を譲り受けようとしていたとでも思ったのだろうか。エンキの子孫たるマルドゥクが、そんな邪推をするなんて……考えたくもないけれど。

 充分な水分さえも与えられず、乾涸ひからびそうな身体だというのに、涙だけは不思議なことにどこからか湧いてくるのだった。

 泣いてもニヌルタを喜ばせるだけだ。我慢しなきゃ、と思っても、こみあげてくるものを止めることはできない。せめて、こぼれ落ちるそれを隠したくて、私はふいっとニヌルタから顔を背けた。


「結局、マルドゥクにも卑しいルルの血が流れているということだ」


 吐き捨てるようにそう言って、ニヌルタは私の顎をつかんで自分に向けさせた。

 びくっと身を強張らせる私に、ニヌルタはいつもの笑みを浮かべる。激しい憎悪に取り憑かれたような痛々しい笑み。私の姿を焼き付けんとばかりに見開かれた瞳からは、執着とか嫉妬とかいった人間ルルじみた感情が伝わってくる。

 タール・ニヌルタ・チェイス――ルルを滅ぼす使命を持った神の子。我がマルドゥク一族と対立するニヌルタ一族の王。リストちゃんの宿敵。ルルの王たるアトラハシスの一族を皆殺しにし、エノク様にも手をかけ、そして、王ではないマルドゥク一族の者たちにも手を出した。その行動はあまりに使命から逸脱している。

 いったい、何を考えているの? 私に向けるこの笑みは、なに? なぜ、私だけ生かして、連れ回しているの?


「さて、ナンシェお嬢様」ニヌルタはそっと顔を近づけてきて、囁くように言ってきた。「大好きな『リストちゃん』――マルドゥクの気高き王はどうだろうな?」

「!」


 リストちゃんの名前に、ドクン、と心臓が反応した。どうして、いきなり、リストちゃんの名を……。


「剣の継承者は、神の使命を全うする代わりに不死の身体を授かる。オレもマルドゥクの王も、使命を放棄しない限り――つまり、剣を誰かに継承しない限りは、死ぬことはない。だから、『リストちゃん』は己の命乞いをすることはないだろう」

「何を言いたいのです、ニヌルタ!?」

「だが……ルルの命となると、どうだろうな?」

「ルルの命?」

「マルドゥクの使命は、オレとは逆。ルルを護ることだ。ルルがどんなに愚かしくても、慈悲深きマルドゥクの王はルルを救う」

「当然です」私は不安を胸の奥に押し込んで、きっとニヌルタを睨みつけた。「リスト……我らが王は、マルドゥクとしての誇りを持って、エンキ様から授かった使命を全うします。あなたとは違う!」


 その瞬間、ニヌルタの茶色い瞳の奥で何か火花が散ったように見えた。私の顎をつかんでいた彼の手が、いきなり私の首を掴む。


「うっ……!?」


 急に襲いかかってきた息苦しさに、私は目を見開いた。喉に絡み付く大蛇のような腕をひっかくように掴んだ。


「タール!」と場違いな幼い声があたりにこだました。

「勝手に出てくるな、レッキ」


 視界の隅で、キラキラと火の粉のように散る輝きが見えた。

 『冥府の剣』に宿る天使、レッキが現れたんだ。私を助けるため? ――ううん、まさか。レッキはニヌルタの僕だ。これまでだって、ニヌルタの凶行を止めもせず、見逃してきたのだから……。


「オレとは違う、か。そうか、そうだな」ギリギリと私の首を絞めながら、ニヌルタは蔑むような声で言った。「じゃあ、リスト・マルドゥクは、使命と大事な女の命……どちらを選ぶかな?」

「!?」


 ――使命と、大事な女の命?

 今にも遠のきそうな意識の中で、私ははっきりと耳にした。その、不吉な問いかけを……。


「タール!」


 さっき以上に切羽詰まった声でレッキが叫んだ。


「黙ってろ、レッキ」

「そうはいかない!」


 ニヌルタの手がびくんと震えたのが分かった。ふっと喉の圧迫感が無くなって、酸素が一気に肺に流れ込んできた。ただでさえ、栄養失調で弱っている身体だ。酸素まで足りなくなっては、その場に踏ん張ることもできるはずはなく、私はその場に崩れ落ちた。

 身をくの字に曲げ、アスファルトに右の頬を擦り付けながら、ぜえぜえ、と荒々しい呼吸を繰り返す。

 なぜ、いきなりニヌルタは私を解放したのか。また、いつもの気まぐれだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、車が来る気配もない廃れた道路の果てを見つめていた。

 この世の終わりのような廃墟の街に伸びる一本の道。その両脇には、生きているのか、死んでいるのかも分からない身体がいくつも転がっていた。寒そうに身を丸めて座っている人もいれば、私のように横になっている人もいる。――そんな彼らの間を、しっかりとした足取りで歩いてくる人影があった。黒い外套を頭からかぶり、道路の真ん中に引かれた白線を辿るように、まっすぐにこちらへと向かってくる。

 ここの住人? それにしては、妙な格好だ。明らかに、景色の中で一人だけ浮いている。とうとう、幻覚でも見え始めたのだろうか。

 徐々に近づいてくるその人物を、私はぐったりとしながらもじっと見つめていた。――正しく言えば、それしかできなかった。もう身体を動かす気力もなくなっていた。

 ふいに、ニヌルタがくつくつと笑い出した。


「有り難くて涙がでてくるわ」と、感極まったような声で彼は言った。「まさか、ルルの王が自らお出ましとはね」

「!」


 目が覚めたように、朦朧としていた意識が一瞬にしてはっきりとした。


「ルルの……王?」

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