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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
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最後の電話

 カヤのために——その言葉は呪いのように和幸を縛り付ける。

 椎名に逆らえば、カヤが売られる。カヤほどの美少女なら、買い手は掃いて捨てるほどいるだろう。そのあと、彼女がどんな目に遭うのか……考えるまでもない。和幸はカインとして、その目でしっかり見てきたのだから。

 だが、椎名の要求を呑めばどうなる? 椎名ははっきりと言った。より良い世界のために、クローンは消えるべきだ、と。そして、カインはその『のろし』。間違いなく、椎名はカインを一人残らず消すつもりだ。

 和幸はぎゅっと拳を握りしめた。

 カヤか、カインか。選択肢はそれだけだ。どちらかを選び、どちらかを捨てなければならない。

 和幸は項垂れ、力無く首を横に振った。


「俺は……」


 何を言おうと思ったのか、自分でも分からなかった。

 カヤの養父、本間秀実こそが『黒幕』。やっと、表の世界で力になってくれる人と出会えたと思ったのに。ずっと踊らされていただけだったのだ。おまけに、罠にまでまんまとはまって、『黒幕』の息がかかった女をカインノイエに招き入れてしまった。

 和幸は手錠に拘束された両手で頭を抱えた。

 全ての元凶は自分だ。カインを陥れてしまったのは、他でもない、恋人を選んで家族を抜けた自分。そして今、再び、カヤとカインのどちらかを選べ、と言われている。

 和幸の思考はかき乱されて、もはや冷静な判断などできる状態ではなかった。罪悪感に蝕まれた心はピラニアにでも食い荒らされているようだった。

 そんな和幸をまるで慰めるように、椎名は優しく囁く。


「カヤちゃんと相談してみるかい?」

「!」

 

 ぎくりとして和幸は顔を上げた。


「カヤ……?」


 椎名が何を言い出したのか、理解できなかった。

 椎名は和幸の返事を待つわけでもなく、背広のポケットからゆっくりと携帯電話を取り出した。ボタンを押し、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な様子でそれを机の上に置く。


「何を……」


 言いかけた声は、突然辺りに響きだしたコール音にかき消された。

 ざわっと胸騒ぎがして、和幸は思わず立ち上がっていた。ガチャン、と大きな音を立ててパイプイスが倒れる。

 椎名は頬杖をつき、クスリと微笑んだ。


「そんなに喜んでもらえると、僕も嬉しいよ」


 やがて、コール音が消え、『はい?』と緊張したような男の声が聞こえた。


「こんにちは、前田さん」机に置いた携帯電話に椎名は暢気に話しかける。「カヤちゃんに代わってください」

「やめろ」と和幸は青白い顔で後退った。「カヤと話す必要はない」

「そんなことはないよ。話せばきっと気持ちに整理がつくさ」


 椎名の言葉は不吉な予言のようだった。避けようの無い運命をつきつけられたような、そんな絶望感に襲われた。

 カヤと話せば気持ちに整理がつく——違う。カヤの声を聞けば、もう……。


『望さん!』


 和幸はびくんと身体を震わせた。


「やあ」和幸に視線だけ向け、椎名は勝ち誇ったようににんまりと笑んだ。「無事みたいですね、カヤちゃん」

『私のことはどうでもいいです! それより、和幸くんのこと、何か分かりました? 様子を見に行ってるっておじさまから聞きました』

「話したいですか?」


 電話の向こうではっと息を呑むのが分かった。


『話せる……んですか?』


 嬉しそうな声だった。瞼を閉じれば、彼女の笑みが浮かび上がってくるようだ。暖かみに満ち、どんな罪をも浄化してしまいそうな笑顔。何度と無く見惚れた。いつまでも見ていたいと思った。何があろうと、その笑顔を守りたいと思った。

 ああ、無理だ。和幸は降参するようにだらりと肩の力を抜いた。

 『選択肢』なんて元から無かったのだ。カヤを見捨てることなどできるはずはない。世界を滅ぼしてでも、彼女を守ると誓ったあの日に——『聖域の剣』で彼女を貫き、そして口づけを交わしたあの瞬間、そんな選択肢は捨てたのだから。

 和幸はゆっくりと目を開き、椎名の携帯電話を見つめた。哀しくも愛おしそうな眼差しで……。


「カヤ、大丈夫か?」


 覇気も生気もない、歓びや希望さえも感じさせない声で和幸は話しかけた。電話の向こうで、何も知らずに自分の帰りを待つ恋人に。これがおそらく最後の電話になるだろう、と悟りながら……。


***


『カヤ、大丈夫か?』


 耳に飛び込んで来たその声に、胸がぎゅうっと締め付けられた。思わず、前田さんのケータイを抱きしめる勢いで握りしめていた。

 間違いない。ドクン、と心臓が大きく鼓動を打ち、自然と頬がゆるむ。


「和幸くん!」ソファから立ち上がり、周りの目も憚らずに叫んでいた。「よかった、声が聞けて……。ケガしてない? ひどいことはされてない? ちゃんと弁護士さんは着いた?」


 質問が次から次へとこぼれ出て来る。

 何も解決したわけじゃないのに、彼の声が聞けただけでぱあっと心に希望の灯が点り、身が軽くなったようにさえ感じた。


『元気……みたいだな』


 安堵したような……でも、疲れているような声が聞こえてきた。


「うん、私は平気だよ。それより、和幸くんは?」

『今、どこにいるんだ? 学校か?』

「え……あ、ううん。本間の家に戻って来たの。こっちのほうが安全だろうから、ておじさまが……」


 ちらりと周りを見渡すと、がっしりとした体つきのおじさんたちが鋭い目つきで私を睨んでいた。

 おじさまが私のために雇ってくれたボディガード……らしいんだけど、実を言えば、ちょっと恐い。表情一つ変えないし、言葉一つ交わすことも許してくれない。ただ黙って私にべったりくっついている。今もこうして、ソファに座る私を四人で囲んで立っているし。終始、無言、無表情で。

 今までのボディガードと親しすぎたのかもしれないけど、どうも落ち着かない。守られている、というよりも、監視されているみたい。野生の肉食獣にでも囲まれてるみたいな緊張感が漂っている。

 唯一、隣で「お茶でもどうですか」、「何か食べますか」と、気を紛らわそうとしてくれる前田さんの存在が救いだった。

 とりあえず、私はそうっと腰を下ろした。じっとしていろ、と視線で言われた気がしたからだ。


『誰と一緒なんだ?』

「誰って……」私の心配してる場合じゃないのに。「ボディガードの人たちと、あと前田さん」

『前田?』


 私はちらりと隣に視線をやった。

 前田さんはソファに浅く座り、組んだ指を忙しなく動かしていた。相変わらずかっちりとワックスで固めた黒髪。体調が悪そうな青白い顔と痩けた頬。凛々しい眉はいつも以上に寄せられて、眉間には、二十代のお兄さんとは思えないほど深い皺が刻まれている。こちらを食い入るように見つめる目は血走っていて、前田さんにも心配をかけちゃってるんだな、と申し訳なく思った。


「おじさまの秘書のお兄さん」私は前田さんに微笑みかけながら、そう答えた。「話したことあったよね?」


 すると、思い出したように『ああ』と和幸くんはつぶやいた。


『ボディガードと秘書。それだけ……か?』

「それだけ?」

『ほん……いや、親父さんは?』 

「おじさまは、今、そっちに向かってるよ」

『本間が!?』

「!」


 ぎょっとして私は固まった。

 いきなり、呼び捨て? ううん……それよりも——私はごくりと生唾を飲み込んだ。

 身体が震えていた。怯えているんだ。彼の声色から伝わってきた、明らかな嫌悪感に。

 急に、どうしちゃったの?

 望さんに対して敵意を示すことはよくあったけど、おじさまに対しては和幸くんは礼儀正しく接していた。しかも、おじさまは今、和幸くんを助け出そうと必死になってくれている。それは、彼も知っているはず。なのに、どうして?


『素直に喜びなよ、藤本くん』ふいに、調子の良い望さんの声が割り込んできた。『本間先生までヘルプに来てくれる、ていうんだから。いろいろと相談に乗ってくれるはずだよ』

『……』


 ややあってから、彼は『そうだな』とぶっきらぼうに答えた。


『それは……心強いよ』


 嘘だ。声がうわずっている。


「どうかした?」さすがに、聞かずにはいられなかった。「なにかあったの?」

『なんでもない』そう言う彼の声はぎこちなくて、無理して笑う彼の顔が思い浮かんだ。『いろいろあって戸惑ってるだけだ。悪い』

「そう……」


 なぜだろう。嫌な予感がする。また、彼が隠し事をしているような……そんな胸騒ぎがした。


「ねえ」と、無意識のうちに私は問いかけていた。「また、すぐに会えるんだよね?」


 なんでそんな無神経なことを聞いたのか。口にしてすぐに後悔した。

 今、一番不安なのは彼なんだ。カインはテロ組織なんて呼ばれるし、よく分からない法律をつきつけられて身柄を拘束されてしまうし。分からないことだらけなのに、どうすることもできなくて……彼はきっと、不安と心細さに苦しんでる。

 だから、私が支えなきゃいけない。今度は私が彼を守る番。——そう分かっていたはずなのに、どうして甘えたことを聞いているんだろう。

 これじゃ、今までと同じじゃない。また、彼に頼ってる。彼に「大丈夫だ」って言ってもらえるのを期待してる。彼が『迎え』に来てくれるのを待ってる。

 だめだ。

 私はぎゅっと唇を噛み締めた。


『カヤ、俺は……』と彼の苦しげな声がして、私は咄嗟に「大丈夫!」と声を張り上げていた。


「私が必ずなんとかするから! 何があっても、どんな手を使ってでも……絶対に、和幸くんを守るから!」

『……』

「だから……だから、私を信じて待っていて」


 真っ白なワンピースのスカートをぎゅっと握りしめ、うつむいた。


「迎えに行くから……」


 結局、懇願するような声になっていた。わがままを言っているみたい。どこにも行かないで、傍にいて、と駄々をこねているみたい。

 なぜか、自信がなかった。彼が本当に私の『迎え』を待ってくれているのか、確信が持てなかった。彼の声にはいつもの暖かみがなくて、今にも消えてしまいそうだったから。もう何もかも諦めてしまったかのような……そんな絶望の色が見え隠れしていたから。


『カヤ』やがて、囁くような掠れた声がした。『どうか、この世界を——』

「え……」


 ぶつりと切れた彼の声に代わって、私の耳に無機質な電子音だけが返ってきた。


「……」


 まるで祈るような彼の最後の言葉が、鋭い痛みを伴って心に引っかかった。

 この世界を……なに? なんて言おうとしたの、和幸くん?

 私は呆然と、もう繋がっていないケータイを耳に当てていた。

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