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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
272/365

裏切り者 -下-

「砺波!?」静流は顔色を変え、とっさに曽良の腕をつかんだ。「スピーカーにしろ」


 曽良は頷き、通話をスピーカーに切り替えた。その表情には焦りと恐怖がはっきりとあらわれている。いかなる状況でも飄々と振る舞い、内面を隠す彼には珍しいことだ。よっぽど動揺しているのだろう。

 静流は曽良の持つ携帯電話を睨みつけ、感情を押し殺した低い声で問いかける。


「砺波か? あたしだ。無事なんだね?」

『静流姉さん?』荒い息づかいに混じって、およそ砺波とは思えない弱々しい声が聞こえた。『うん、無事。一応……生きてる』

「今、どこにいる!?」


 曽良は我を失ったように携帯電話に怒鳴りつけた。「落ち着け、曽良」と静流が忠告しても、その手を振り払い必死に声を張り上げる。


「どこにいるんだ、砺波!? 追われてるのか?」

『追われてはない。今は……コンビニ』

「コンビニ?」

『コンビニの……公衆電話からかけてる。ケータイ、壊されちゃって……』

「壊されたって……」

『曽良、聞いて』と、砺波は曽良の言葉を遮った。『小銭もあんま無いの。だから……とにかく、黙って聞いて』

 

 苦しげだが、力強く説得するような声色だった。

 聞きたいことは山ほどあるが……曽良は堪えるように唇を引き結んだ。


『パパから……伝言があるの』

「伝言?」

『すぐに『引っ越し』を始めるように、て……』


 曽良と静流は驚愕したように目を見開いた。二人とも、己の耳を疑った。いや、疑いたかったに違いない。

 『引っ越し』――すぐにトーキョーを離れて身を隠せ、という指示だ。同時に、カインノイエの解散を意味する。

 

「『引っ越し』って……正気か!?」静流は血走った目で携帯電話を睨みつけ、しゃがれた声を響かせた。「親父はどこにいるんだ!? 親父から直接聞かねぇ限りは信じられねぇ!」

『パパは……ない』

「なに? はっきり言え。聞こえねぇ!」

『パパはもういない!』

「……」


 砺波の悲鳴のような叫びがスピーカーから飛び出し、あたりの空気を震わせた。

 曽良も静流も、思考が止まったかのように放心状態で立ちすくんだ。


「……いない?」


 どちらの口からか、力無い声がぽつりとこぼれた。


『だから……これは遺言なの。聞いて』


 公衆電話によりかかるようにして、泣き崩れる砺波の姿が思い浮かぶようだった。

 遺言。その言葉を口にすることがどれほど彼女にとって苦痛だろうか。きっと誰よりも藤本に甘えていたのは彼女だ。

 曽良も静流もそれが分かっているからこそ、頭に浮かぶ数多の質問を口にすることなく、黙って砺波の言葉を待つことができたのだろう。


『もう……もう誰も殺さなくていい、て……。『無垢な殺し屋』じゃなくて、一人の人間として幸せに生きろ、て……そう伝えろ、て言われた』

「殺さなくていい?」理解できない、といった様子で曽良は顔をしかめた。「なんでそんなことを……」

『……きっと、もう無駄だから』

「無駄?」


 聞き返すと、砺波は黙ってしまった。

 荒い息づかいと嗚咽のようなものは聞こえてくる。電話が切れたわけではないようだ。


「どうした、砺波?」


   *   *   *


 心配そうな曽良の声が、余計に砺波の心を苦しめた。

 言えない――血の味がするほどに唇を噛み締め、砺波は受話器を強く握りしめた。

 コンビニを出入りする人々が、そんな砺波を物珍しそうに見ていく。血の付いた服を身にまとい、公衆電話に泣きついているのだ。気になって当然だろう。

 通報されないことを祈るのみだ。今のご時世、そこまで他人に関心を持つ人間もそうそういないとは思うが……。

 どちらにしろ、早く電話を終わらせなければ。かすむ視界で残りの通話時間をちらりと確認しつつ、砺波は下腹部の痛みをこらえて息を吸った。


『砺波? どうしたんだ?』


 曽良の催促が、板挟みにされた砺波の心をさらに押しつぶすようだった。

 このまま、秘密に出来たらどれだけいいだろうか。このまま、胸の奥にしまい込んで地獄まで持っていけたらどれほど楽だろうか。


「なんで……」と砺波は公衆電話にすがりつくようによりかかった。「なんであんたたちは二人して……」

『砺波? 聞こえない! どうしたんだ?』


 ぎりっと奥歯を噛んだ。哀しみに沈んでいた心に浮かんで来たのは、悔しさと……そして強い憎しみ。自分の大切なものばかり奪っていく女への激しい憎悪。

 残り通話時間を示す数字が一つ減った。

 砺波はぎらりと怪しく光る瞳でそれを睨みつけ、血の味がにじむ喉から声をしぼりだす。痛みに震えるその身体からは想像もできない気迫のこもった声を。


「トーキョーの黒幕は本間秀実。神崎カヤの新しい養父よ」

『!』


 電話口からでも、曽良の動揺が手に取るように分かった。


『どういうことだ!?』と受話器の向こうで静流が声を荒立てている。『神崎カヤの新しい養父? 本間秀実って……』


 神崎カヤが本間の養女になったことは、カインの中では曽良と砺波しか知らなかった。和幸が『勘当』され、実質カインとは無関係になったことで、特に知らせる必要を感じなかったからだ。無論、藤本マサルにも伝えていなかった。

 浅はかだった、と悔やまれてならない。

 血が滲み出てくる下腹部のを押さえつけながら、砺波は力を振り絞って言葉を続けた。


「本間秀実は国家公安委員会委員長。そんな奴相手にわたしたちにできることはない。だから……だから、パパはわたしたちに手を引け、て言ったのよ。勝ち目なんてない。闘ったところで無駄。全滅するだけだもの。だから……わたしたちが生き残るためにも、『もう殺すな』って……そういうことなのよ」


 このくらいの早口、いつもなら平気なのに。すっかり息が上がって、頭は酸欠でくらくらしている。身体が弱りきっている証拠か。


――お片づけって……誰か、他の人に頼んだら? 砺波ちゃんは安静にしてなきゃ。傷が開いたら、また出血が……。


 看護師の言うことは聞くものね、と砺波は嘲笑のようなものを浮かべた。この状態で『お片付け』なんて無茶な話だ、と今なら納得できる。

 でも、せめて……。


「曽良……」頼りなく震える声が、痛みのせいなのか、高ぶった感情のせいなのか、もはや自分でも分からなかった。「皆を守って……。カインの皆が……危ないの」


 通話時間がわずかしかないことをブザー音が知らせていた。砺波はそれでも必死に「お願い」と続ける。心の中を食い荒らしている懺悔の念を吐き出すように。

 ずっと、気にかかっていたのだ。鼎の正体を知ったあのときから――。


「十字架のネックレスのこと……盗聴のこと、わたしが和幸にバラしたの! わたしのせい……わたしがカヤを信じたせいで……だから、パパも皆――」

『砺波! 今、どこにいる!?』


 鼓膜を破りそうな鋭い叫び声に、砺波はハッと我に返った。「え……」と気の抜けた声が漏れる。誰の声か、一瞬分からなかった。


『どこにいるんだ!?』

「……曽良?」


 こんなに男らしい声を出せたのか、と暢気なことを考えていた。ぽかんとしていると『砺波!』と脅すような低い声が再び鼓膜をつんざいた。


『どこにいるか言え!』

「い、いい……」思い出したように、砺波は弱々しくも断った。「わたしのことはいいから。ぶっちゃけ、わたし、もう……」

『いいから、言え! 必ず、俺が迎えに行く』

「!」


 心臓がどくんと大きく揺れた。

 タイムリミットが近いことを告げるブザー音が慌ただしく響いている。――だが、それ以上に心臓が騒がしかった。

 砺波は呆然としながらも、気づけば唇を動かしていた。


「帝南高校の近く……ピコっていうコンビニ」

『帝南……!?』


 唖然とする曽良の顔が容易に思い浮かんだ。

 帝南高校は和幸と……そして、カヤの高校だ。自分が何を考えているのか、もう想像ついたことだろう。


『何もするなよ、砺波! すぐ行く。俺が――』


 曽良の言葉は切れて、代わりに無機質な電子音だけが残った。

 砺波は受話器を耳に当てたまま、ぽかんと呆けていた。

 出血がひどいせいなのか。もう限界が近いせいなのか。身体の感覚が麻痺してしまったようだ。痛みは消えて、頭はぼんやりとしていた。

 ただ、胸の奥が熱くて息苦しい。


「……そっか」


 砺波はぽつりとつぶやき、膝から崩れ落ちるようにその場に腰を下ろした。

 ぶら下がった受話器からは依然と電子音が鳴り響いている。相変わらず、コンビ二の客が好奇のまなざしをこちらに向けて去って行く。

 砺波はアスファルトに座り込んだまま、どこを見るわけでもなくぼうっとしていた。


「あの馬鹿も……男の子なんだ」


   *   *   *


「パスワードは一、二、一、四。父さんの娘の命日。三回間違って入力すると、携帯の中のデータは全部消える」


 曽良は携帯電話を静流に押し付けるようにして渡し、手洗い場に置いておいた銃を手に取った。教室で羽崎から奪ったリボルバー拳銃だ。


「それと、『引っ越し』のことだけど……」静流には目もくれず、銃のシリンダーを開いて銃弾の数を確認すると、腰に差す。「可能な限り、皆をお台場スラムに呼び出して。ちょうど、レオン・リャンの密輸船が来てるんだ。それを使って香港に『引っ越す』。

 警察が相手じゃ、公共の交通機関を使って逃げるのは危険だからね」


 大人しく聞いていた静流だったが、気に入らないな、と言いたげに顔をしかめた。


「なんで、あたしに言う? 指示を出すのはてめぇの役目だろ」静流はわざとらしく惚けたように言って、受け取った携帯電話を差し出した。「このケータイは、今やあたしらカインの命綱。親父が死んだ今、正式なリーダーはお前なんだ。お前が持つべきだろうが。なんであたしに渡す!?」


  静流は切れ長の目をさらに細めて、蛇のごとく曽良を睨みつけた。


「まさか、一丁前に『責任取って辞めます』なんて言い出すつもりじゃねぇだろうな?」


 曽良は動きを止めた。静流に背を向けているが、その悔しげな表情はしっかりと鏡に映っている。

 静流は苛立った様子でカールがかった髪をかきむしった。


「ガキがいきがってんじゃねぇぞ。辞めるなら、まずは責任を果たしてからにしろ」

「そのつもりだよ」


 覚悟のこもった低い声に、静流は表情を変えた。


「どういう意味だ?」

「責任を果たす」曽良は鏡越しに静流をねめつけた。「本間カヤは『黒幕の娘』だった。だから、俺が彼女を『片付ける』。それが、家族みんなとの約束だ」

「できるのか? お前もあの女に惚れてたんだろ?」

「関係ない」曽良はためらいもせずに、はっきりと答えた。「できる」


 曽良は脱ぎ捨てた学ランを拾い、内ポケットから黒い携帯電話を取り出した。ハッとする静流を横目に、その携帯電話――いや、携帯電話に限りなく似せた機械の電源をつける。カヤに贈ったロザリオからの盗聴電波を受信する機械だ。

 静流は険しい表情を浮かべ、腰に手をあてがった。


「今朝も言ったが、あのロザリオには爆弾はついてない。親父が取り外しちまってたらしい。それに……今朝、はずしていい、て和幸に言っちまったんだろ? まだつけてる可能性は低いぞ」

「砺波を『迎え』に行く間に確認する。爆弾は最初から当てにしてない。もうつけてないとしても、今朝までの会話は聞ける。これまで盗聴した中で、なにか聞きこぼしたものがなかったか調べる」 

「聞きこぼしたもの……ね」静流は皮肉そうに笑んだ。「なるほど。盗聴で怪しい動きはなかった、てのは本当みてぇだな。てめぇも、今の今まであの女の正体を知らなかったわけだ」


 曽良は何も答えなかった。静流を見ようともせず、どこかをじっと見つめている。一見無表情にも見えるその横顔には、不気味な恐ろしさがあった。


「それとも……」どこか確信を持ったように静流は低い声でつぶやく。「あの女には『黒幕の娘』とは別の秘密がある……そういうことか?」


 曽良は目を見張り、明らかな動揺を見せた。静流がそれを見逃すはずもない。


「死なない身体、か?」


 核心を突くと、曽良はぎくりとしてこちらに振り返った。


「なんでそれを、て顔だな?」静流は口許だけに笑みを浮かべる。「つまり、図星か」

「留王に聞いたの?」

「ああ。あの女は死なないんだ、て必死に訴えてきやがった。馬鹿げた話だ。信じてなかったが……お前の様子を見ていたら、もしかしたら、て気になってな。

 どういうことなんだ? 死なない身体なんて、あり得ない。何かトリックがあるんだろ?」

「……」

 

 曽良は痛みを堪えるような表情でじっと黙り込んだ。


「あの女をかばっている……そういう雰囲気ではないね?」

「彼女をかばう気はない」

「つまり」と静流は気遣うような柔らかな声色で訊ねる。「家族のため、か?」


 居心地の悪い沈黙があってから、曽良は真っ直ぐに静流を見つめて小さく頷いた。信じてほしい、と訴えかけるような真剣なまなざしで……。


「ったく……」どっと疲れがきたようにため息をつき、静流は肩を竦めた。「分かった。聞かないでやるよ」

「ありがとう、静流姉さ――」

「まだだ」静流は安心しかけた曽良の額を人差し指で小突いた。「矛盾に気づけ」

「矛盾?」

「死なない女をどうやって『片付ける』気だ?」

「なんとかするさ」曽良は自虐的な笑みを浮かべた。「殺す方法ならいくらでも知ってる」


 静流は不服そうに表情を曇らせたが、諦めたように首を横に振った。


「気味良い答えじゃねぇが……説得力はあるか」


 皮肉じみた姉の言葉に、曽良は苦笑を返す。


「ま……あとはあたしに任せな」気を取り直すように明るい語調で言い、静流は携帯電話をポケットにしまった。「疑って悪かったな」

「疑われて当然のことはしたよ」


 それは嫌味ではなく、懺悔のようだった。

 静流は頬を緩め、曽良に歩み寄る。手を伸ばすと、ゲンコツを警戒したのか、曽良は表情をこわばらせた。姉への畏怖・・はしっかりと体に染み付いているらしい。

 静流はクッと失笑し、そんな曽良の頭を掴み――ぐいっと引き寄せた。


「覚えとけ、曽良」驚く曽良を抱きしめて、静流は慈愛に満ちた声で囁いた。「約束が守れなければ、そのときはあたしがお前を殴ってやる。それが姉としてのあたしの責任だ。だから……」


 静流は覚悟を決めるように深く息を吸い、瞼を固く閉じた。


「神崎カヤにこだわるな。砺波と一緒に生き延びることだけ考えろ」

「……!?」

「親父の遺言を忘れるな」


 そう懇願する静流の声は寂しげだった。

 何年ぶりかの姉のぬくもりを全身で感じながら、曽良は言葉も出せずに立ち尽くした。

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