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終焉の詩姫  作者: 立川マナ
第五章
271/365

裏切り者 -上-

 バイクで移動すること十五分。人気の無い公園を見つけ、ひとまずその公衆トイレに潜むことにした。

 全身血だらけの格好では、目立ちすぎる。逃げるにも『身だしなみ』を整える必要があった。

 悪臭が漂う中、学ランを脱ぎ、手洗い場で顔を洗う。何度もこするようにしてこびりついた返り血を落としていた。

 ふいに手を止め、瞼を開くと、赤く染まった水が排水口へと渦を巻いて流れ込んでいく。そのさまをじっと眺めて、曽良は息をついた。

 洗面台についた手が震えていた。


「どうすれば……」


 苦しげな声をもらし、ぎりっと唇を噛む。

 ちらりと視線をずらせば、そこにはカイン全員の連絡先が保存されている携帯電話があった。リーダー代理として、藤本マサルから受け取ったものだ。さっきまで延々と震え続けていたのだが、『連絡網』と呼ばれる緊急連絡用メーリングリストを使い、カイン全員にひとまず身を隠すように指示してからは大人しくなった。

 この非常事態に、それぞれ冷静に対応してくれているのだろう。

 曽良は大きく息を吸い、気を落ち着かせた。

 目の前のくすんだ鏡に映る自分を睨みつける。青白くげっそりとして、ほんの数十分で痩せたようだった。

 リーダー代理として、すぐにでも次の指示を出さなければならない。皆、自分を信じて耐えていてくれているのだから。

 しかし――。

 ぎゅっと拳を握りしめる。無力さと絶望に胸が押しつぶされるようだった。

 藤本マサルに指示を仰ごうと思ったが、連絡がつかなかった。入院しているはずの筒井クリニックに電話をしても留守電。藤本のもとに鼎を紹介しに行っているはずの砺波とも連絡がとれない。


「砺波……」


 曽良は顔をゆがめた。痛みに耐えるように、祈るように、かたく瞼を閉じる。


「血は落とせたか?」


 急に背後からしゃがれた声がして、曽良はぎくりとして振り返った。

 そこにはライダージャケットを着た長身の女が立っていた。男子トイレで堂々と佇み、切れ長の目を鋭く光らせている。――曽良をこのトイレに押し込むなり、さっさと姿を消した静流だ。


「ほら」静流は、持っていたパーカーとカーゴパンツを差し出してきた。「サイズが合いそうなのを借りて来た。まだ乾ききってねぇみたいだが、血まみれの服よりはいいだろ」


 借りて来た、か。どこに行ったのかと思ったら……その辺で干してある服を盗んで来たのだろう。さすがはカイン、不法侵入は専売特許。頼もしい限りだ。

 曽良は苦笑し、「ありがとう、姉さん」と服を受け取った。すると、


「砺波のことが心配か」

「!」


 唐突で、そして無慈悲な問いだった。

 曽良は一瞬顔をしかめたが、何も言わずにズボンを脱ぎ捨てた。血が染みたワイシャツを脱いで引き裂くと、それを包帯代わりにして腿の傷を覆い、静流が『調達』してきたカーゴパンツを履く。少しゆるいが問題はない。

 Tシャツの上にパーカーを羽織りながら、曽良は努めて冷静な口調で静流に報告する。


「『連絡網』で、とりあえず、今は身を潜めるように皆に指示を出した。まずは状況を把握して……」

「曽良」と、諭すような声色で静流は口をはさむ。「心配なら心配だと言え。ここでお前が強がったところで状況が好転するわけでもねぇだろ」


 曽良は覚悟が滲む血走った目で静流を睨みつけた。


「俺は父さんから皆を任されたんだ。砺波だけ特別扱いはできない。『連絡網』で伝えた通り、連絡がとれないなら諦める」

「皆を任された……か」


 ふんと鼻で笑ったかと思うと、静流は切れ長の目を見開き、いきなり曽良につかみかかった。

 

「いまさら、リーダー面か!? ふざけるな!」


 急に取り乱した姉に、曽良は戸惑い――ケガのせいで下半身にも力がはいらず――よろめいた。そんな曽良を無理やり立たせるように静流は胸ぐらをひっぱりあげる。


「しばらく監視してから、と思ったが……あたしはやっぱ気が短くてだめだね」


 唇の片端をくいっと上げ、静流は不気味に微笑んだ。

 幼いころから静流に怯えて生きてきたが、それは姉として。今は違った。ここまで、身の危険を感じたことは今までない。さっき、田端と対峙したときとは比べものにならないほどの恐怖が背筋をぞっと凍らせていた。


「監視って……どういうこと?」

「とぼけるな!」吐き捨てるように言って、静流は腰から銃を引き抜き、曽良のこめかみにつきつけた。「神崎カヤのこと……全部話してもらうぞ」


 曽良はハッとして息を呑んだ。


「神崎カヤ? まさか……今回の件、彼女が絡んでいると疑ってるの?」

「お前が答えろ」静流はぐいっと銃口を曽良のこめかみに押しつけた。「どうなんだ!?」

「あのパーティーの日から、怪しい動きはなかった。彼女はシロだ」戸惑いつつも曽良は気を落ち着かせて答えた。「そもそも、今朝、神崎カヤの盗聴をやめろ、と指示したのは姉さんじゃないか」

「それは親父の指示だ」

「つまり、父さんは彼女を信用してる」すかさず曽良は言葉をつなぐ。「父さんのことだ。根拠があってのことに決まってる。神崎カヤは今回の件には関係ない」


 静流はぎりっと歯を食いしばった。瞳の奥にくすぶるのは、憎悪まじりの殺気。そこにはしっかりと曽良の姿が映っていた。


「親父は知らなかったからだ」血を吐くような苦しげな声で静流は唱える。「なんで……隠した?」

「なんのこと……」

「『あなたたち皆を殺す』――『虹の橋』であの女はそう言って、留王と茶々を脅したんだろ!?」

「!」


 曽良は目をむき絶句した。

 ぽっかりと開いた口からは息すら出てこない。ただ硬直して、揺れる瞳で静流を見つめていた。

 そんな曽良に静流は舌打ちした。悔しさと哀しみ、怒り、あらゆる感情をその顔に浮かべて……。


「答えろ、曽良」曽良の姿を捉えた瞳は、憎悪の炎に焼かれながらも水面のように揺れていた。「なんで留王たちを口止めした? なんであたしらだけでなく、親父にも隠した? なんのために、あの女をかばった?」

「かばったわけじゃない!」


 我に返ったようにハッとして怒鳴った曽良の胸ぐらを、静流はさらにきつく締め上げた。


「お前、あたしらを裏切ったのか!?」

「……」


 汚臭にまみれた公衆トイレに、張りつめた空気が漂っていた。今、偶然ここに入って来る者がいれば、わけも分からずとにかく逃げ出すだろう。――女がいる時点で出て行くかもしれないが。

 どれほど沈黙が続いていただろうか。

 静流の言葉が信じられない、といった様子で曽良は啞然としていた。もはや反論する気力さえ湧かないようだ。全身からは力がぬけて、ただ呆然としている。


「なんとか言え」静流は悔しげに顔をしかめ、銃の引き金に置いた指に力を込めた。「あたしに弟を『片付け』させるな」


 それでも、曽良は苦渋に満ちた表情を浮かべるだけ。何も言おうとはしない。

 静流の呼吸は荒くなり、額に浮き出た汗が必死さを物語っていた。


「なんで弁解しない!? 事情を話せ! なんで神崎カヤをかばった!?」

「……かばったわけじゃない」

「じゃあ、なんで隠した!?」


 曽良はぐっと瞼を閉じて、うつむいた。


「言えない」


 ぽつりとこぼれた声はあまりに弱々しくて、静流から怒気を奪い取った。代わりに、絶望と疲労がその表情に浮かび上がる。曽良の胸ぐらをつかむ手はすっかりゆるんでいた。


「どういうことだ? なんで言えねぇ?」

「俺は家族を裏切るようなことはしない」曽良は拳を握りしめ、訴えかけるような眼差しで真っ直ぐに静流を睨みつけた。「言えるのはそれだけだよ」

「……」


 今度は静流が言葉を失った。銃口だけはしっかりとこめかみに狙いを定めているが、引き金にかけた指からは力が抜けていた。脅しにもなっていない。やろうと思えば、簡単にその銃を奪えるだろう。だが、曽良は抵抗する気配も見せなかった。身の潔白を証明するため、そして、姉への信用を示すために違いなかった。

 睨み合いはしばらく続き、やがて、静流が諦めたようにため息をついた。銃を下ろして曽良の胸ぐらから手を離す。


「まだ疑いが晴れたわけじゃねぇからな。とりあえず、今は監視させてもらう」


 曽良はほっとしたように胸を撫で下ろした。


「ありがとう、姉さ……」


 ふいに、二人はぎくりとして振り返った。

 手洗い場に置いていた曽良の携帯が震え出していたのだ。――必死に、助けを求めるように。


 『連絡網』で、次の指示がくるまでは身を潜めるように、と連絡したばかり。それでも電話をかけてきたということは、非常事態ということだ。

 曽良はあわてて携帯電話を取った。

 ディスプレイには『非通知』の表示。怪しいが……何らかの理由で携帯電話を失ったカインが、公衆電話からかけている可能性もある。「おい、曽良!」と静流が制止するのも構わず、曽良は受話ボタンを押して耳に当てた。


「誰!?」


 返答はすぐにはなかった。荒い息づかいだけが聞こえてくる。

 曽良は訝しそうに顔をしかめた。


「誰なんだ?」


 もう一度訊ねるが、やはり荒々しい呼吸だけが返ってくる。

 こんなときにいたずら電話か。曽良は頭痛でもするかのように眉間に皺を寄せた。

 緊張の面持ちで様子をうかがっている静流に首を横に振ると、さっさと電話を切ろうとした。

 そのときだった。


『……曽良』

「!」


 一瞬、息が止まった。


『わたし……』


 携帯電話を握りしめる手にじんわりと汗が滲む。

 安堵するよりも不安が押し寄せた。

 それは確かに、聞き慣れた声だった。しかし……。


「砺波……なにがあった?」


 待ちわびていたその声は、ひどく衰弱しているようだった。

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